−お出かけ写真館−

徳島県鳴門市撫養町大桑島(おおくわじま)


(くわじまはちまんじんじゃ)
鳴門市撫養町大桑島字三佐谷7番
主祭神:誉田別神(ほんだわけのかみ)
     大物主神(おおものぬしのかみ)
     大山咋神(おおやまくいのかみ)
     大山祗神(おおやまづみのかみ)
例  祭:10月14日
由 緒:慶長年間この地に淡州志知川の人々が移住し、
同8年(1603)別当寺開山運誉上人が八幡・金毘羅・山
王の三神を奉斎して地主神とした。寛文3年(1663)宥誉
上人により方四尺の神殿が造営された。
(徳島県神社誌より)

(ことしろぬしじんじゃ)
徳島県鳴門市撫養町大桑島字蛭子山

(ことしろぬしじんじゃ)
徳島県鳴門市撫養町小桑島字北之組

(すべりいわえびすじんじゃ)
徳島県鳴門市撫養町大桑島字濘岩
由 緒:桑島八幡神が、社安永4年(1775)11月現社殿
の壮大な規模に造営された。そのとき村内を6組に分け、
安芸の宮島にならって神社を中心に各組に事代主神社を
奉斎し「七蛭子」とした。今、境内に祭る末社蛭子神社と
大桑島蛭子山の事代主神社,大桑島北の組の事代主
神社,大桑島濘岩の恵比須神社,小桑島西の恵比須神
社,小桑島日向谷の事代主神社,小桑島前組の事代主
神社がそれである。

(徳島県神社誌より)


徳島県鳴門市撫養町岡崎(おかざき)


(にしのみやじんじゃ)
鳴門市撫養町岡崎字二等道路東39番
主祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)
     倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
     表筒男命(うわづつおのみこと)
     中筒男命(なかづつおのみこと)
     底筒男命(そこづつおのみこと)
     神功皇后(じんごうこうごう)
例  祭:10月17日
由 緒:創建年代不詳。
「阿波志」に「西宮岡崎村に在り即ち蛭子」と記し、また「寛保改神社帳」には「岡崎村 住吉合祀西宮大明神別当岡崎村蓮華寺」とある。そして慶長9年(1604)の棟札に「岡崎大明神」とあるのを享保年中(1716-1735)に「西宮」と改称したと伝えている。
(徳島県神社誌より)


徳島県鳴門市撫養町北浜(きたはま)


(はちまんじんじゃ)
鳴門市撫養町北浜字宮ノ東4番
主祭神:応神天皇(おうじんてんのう)
     大山咋神(おおやまぐいのかみ)
     大物主神(おおものぬしのかみ)
例  祭:10月10日
由 緒:慶長年間(1596-1614)に淡路国三原郡七川村鎮座の広旗大神を祝祭し、安政4年(1857)再興したと伝える。「阿波志」には「八幡祠 北浜村にあり金毘羅山王を合食す古鏡を臓す」とあり、「寛保改神社帳」には「北浜村八幡宮 金毘羅合社 別当岡崎村蓮花寺」とある。
(徳島県神社誌より)


徳島県鳴門市撫養町木津(きづ)


(かすがじんじゃ)
鳴門市撫養町木津字居屋敷1123番
主祭神:天児屋根命(あめのこやねのみこと)
例  祭:10月17日
由 緒:天和年間(1681-1683)の創建と伝わる。本社の飛地境内社に野神社(木津字前川屋)がある。
(徳島県神社誌より)

(ことひらじんじゃ)
鳴門市撫養町木津字居屋敷1035番
主祭神:大物主命(おおものぬしのみこと)
     猿田彦命(さるたひこのみこと)
例  祭:11月15日
由 緒:慶長6年(1601)8月、林崎主益田八右衛門の創祀にかかるという。その後蜂須賀忠英が再建したと伝えられる。「阿波志」にも「金毘羅祠木津山にあり慶長6年置く…」とある。また「寛保改神社帳」には「木津神村金毘羅大権現別当木津村長谷寺神主同信濃大夫」と記されている。また、古くから海上安全の祈願が多く、勢見・宮島とともに阿波三金刀比羅と呼ばれてきた。なお本社の飛地境内社に船戸神社(木津丸山)がある。
(徳島県神社誌より)

(たんじょうじんじゃ)
鳴門市撫養町木津字奥中山1306番
主祭神:
 丹生都比売大神 (にふつひめのおおかみ)
 高野御子大神  (たかぬみこのおおかみ)
 大食都比売大神 (おおげつひめのおおかみ)
 市杵島姫大神  (いちきしまひめのおおかみ)
例  祭:10月11日
由 緒:創立年代不詳なれど約250年前中山村の鎮守神として和歌山県伊都郡かつらぎ町天野鎮座 元官幣大社正一位勲八等 丹生都比売神社(通称高野四所明神天野大赦)の御神霊を勧請奉斎したものである。
(神社御由緒略記より)

(はちまんんじゃ)
鳴門市撫養町木津字原畑400番
主祭神:応神天皇(おうじんてんのう)
     仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
     神功皇后(じんぐうこうごう)
例  祭:9月15日
由 緒:創立年代不詳。
もと古城山に鎮座のところ、天文元年(1595)8月15日旧社地より一丁西の山すその現社地に遷祀した。「阿波志」には「八幡祠木津村に在り 大宮と称す 元文元年東麓より移す 文禄4年、慶長12年重造す」とある。また、「寛保改神社帳」には「木津木津神村八幡宮神主木津村太川大夫伊賀大夫」とある。
(徳島県神社誌より)

(ふなとじんじゃ)
鳴門市撫養町木津字原畑331番
主祭神:来名戸神(くなどのかみ)
例  祭:旧10月16日
由 緒:創立年代不詳。
(徳島県神社誌より)


徳島県鳴門市撫養町黒崎(くろさき)


(うさはちまんじんじゃ)
鳴門市撫養町黒崎字八幡130番
主祭神:応神天皇(おうじんてんのう) 
     仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
     神功皇后(じんぐこうごう)
例  祭:10月15日
由 緒:創立年代不詳。
もと八幡祠と称し、西方の山麓にあった。慶長4年(1596)藩主蜂須賀家政の招きに応じて播磨の国より此の地に移住し塩田を開いた馬居七郎兵衛らの発願で、今の社地に奉遷社殿を壮大にした。同時に豊前国宇佐八幡宮の分霊を奉迎して合祀し、社号を宇佐八幡神社と改め斎田・黒崎の氏神として奉斎した。
(徳島県神社誌より)

(しおがまじんじゃ)
鳴門市撫養町黒崎字清水172
主祭神:塩土翁命(しおつちおじのみこと)
例  祭:10月11日
由 緒:明暦8年(1662)9月11日、奥州の塩釜大明神を勧請し創建したと伝う。天明2年(1782)3月郡奉行より撫養塩屋12か村の鎮守と定められ、明治4年村社となった。なお、「阿波志」には「塩釜祠 黒崎村に在り慶長中置く」とあり、宇佐八幡神社の勧請と同じ頃の創建だとしている。
(徳島県神社誌より)

(すみよしじんじゃ)
鳴門市撫養町黒崎字磯崎1

本社は、鹽竈神社(黒崎字清水)の飛地境内
社である。



徳島県鳴門市撫養町小桑島(こくわじま)


(えびすじんじゃ)
鳴門市撫養町小桑島字西

(ことしろぬしじんじゃ)
鳴門市撫養町小桑島日向谷

(ことしろぬしじんや)
鳴門市撫養町小桑島字前組
由 緒:桑島八幡神が、社安永4年(1775)11月現社殿の壮大な規模に造営された。そのとき村内を6組に分け、安芸の宮島にならって神社を中心に各組に事代主神社を奉斎し「七蛭子」とした。今、境内に祭る末社蛭子神社と大桑島蛭子山の事代主神社,大桑島北の組の事代主神社,大桑島濘岩の恵比須神社,小桑島西の恵比須神社,小桑島日向谷の事代主神社,小桑島前組の事代主神社がそれである。

   事代主神社
事代主神社
(徳島県神社誌より)


徳島県鳴門市撫養町斉田(さいた)


(いなりじんじゃ)
鳴門市撫養町斎田字岩崎
主祭神:字迦之御魂神(うかのみたまのみこと)
由 緒:詳細不明。


(いわさきじんじゃ)
鳴門市撫養町斎田字岩崎147番
主祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)
例  祭:3月10日
由 緒:創立年代不詳。
明治9年村社となる。なお「阿波志」には「岩崎祠財田村に在り」とみえ、「寛保改神社帳」には「斎田村恵美須(岩崎明神と云う)別当黒崎村西田寺」とある。
(徳島県神社誌より)

(のじんじゃ)
鳴門市撫養町斎田字西発62番
主祭神:野槌命(のづちのみこと)
例  祭:10月20日
由緒:詳細不明。
(徳島県神社誌より)

徳島県鳴門市撫養町立岩(たていわ)


(えびすじんじゃ)
鳴門市撫養町立岩字内田

当社は、立岩八幡神社の飛地境内社である。


(はちまんじんじゃ)
鳴門市撫養町立岩字内田124番
主祭神:応神天皇(おうじんてんのう)
例  祭:11月2日
由 緒:創建年代不詳。
元禄3年(1690)8月再興と伝える。「阿波志」には「八幡祠立岩村に在り」と記し、「寛保改神社帳」には「立岩村八幡宮別当岡崎村蓮華寺」とある。
(徳島県神社誌より)

徳島県鳴門市撫養町林崎(はやさき)


(みょうけんじんじゃ)
鳴門市撫養町立岩字内田124番
主祭神:天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
     事代主命(ことしろぬしのみこと)
例  祭:10月10日
由 緒:当社の祭神天御中主神は、平安時代末期に中国から伝わった北辰(北極星)信仰と結びつき妙見社として祀られるようになった。室町幕府第十代将軍足利義植は、京都を退いて淡路を経て撫養に移り大永3年(1523)この地に没した。その義植がさきに周防の大内家に身を寄せていた時に妙見尊星をこの山勧請して社殿を造営したのが当社の起源とされている。
(徳島県神社誌より)

徳島県鳴門市撫養町弁財天(べざいてん)


(いちきしまひめんじんじゃ)
鳴門市撫養町弁財天字三ッ井丁1番
主祭神:市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)
     大己貴命(おおなむちのみこと)
     事代主命(ことしろぬしのみこと)
例  祭:10月10日
由 緒:創立年代不詳。
荒井理右衛門が播州荒井村よりこの地に移住(慶長のころか)、庄屋となりここに鎮守の神を祀った。天保9年(1838)7代目荒井喜之治が、これを再興したと伝える。「寛保改神社帳」には「弁財天村弁財天蛭子大黒合社別当岡崎村蓮花寺」とある。
(徳島県神社誌より)