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渋谷倶楽部とかんじきソフトボールの誕生

渋谷倶楽部って何する団体?
かんじきソフトボールってどんなスポーツ? 
という疑問がわかる誕生の歴史を紹介

渋谷倶楽部はじめて物語

 むかし、むかし、北海道の黒松内というまちのとあるお話を聞かせよう。このまちに十年ほど前からはじまったお祭の話である。

 雪深いこのまち外れの集落にかんじきを作り続けている古老がおった。自然の尊さを忘れかけ始めた時代にあって、昔から民具として使われていたかんじきをこれからも残しておきたいと思ってのことだという。古老は自ら林まで出かけヤマグワを切り出し、ひとつひとつ手づくりでかんじきをコツコツとつくり、集落のみんなにできたかんじきを分けていたそうじゃ。

 これを知ったまちの若人らが、古老の心と技を讃えたいと夜鍋をかけて語り合った。「偉い人じゃ」と讃えるだけなら誰にでもできる。若人らしい、新しい何かを生み出したいと決まったお祭が「かんじきソフトボール」という。

 古老と若人らの夢がかなったのが、昭和63年3月のことじゃった。人の話だと、この若人らの集まりを「友ろう」といったそうじゃが、平成2年の秋にもっとかんじきを多くのまちの人達にも知ってもらいたいということで、「渋谷倶楽部」に名を改めたという。
 遅くなったが、この名は古老の渋谷吉尾爺から由来している。来年の2月に行われる大会で第10回を数えるこの祭を支える若人達は、23人。山本会長、井上副会長のほか、広報部、競技運営部、会場設営部の三部と、渋谷の森整備本部、かんじき伝承研究会の組織となっている。

 この倶楽部の6年間の祭りごとは、ソフトボール大会のほかに、「かんじきブナ・ウオッチング」、「かんじきづくり体験」、「ヤマグワ植樹」などを古老とともに行ってきた。今までに、古老の心が三千人に広がっていると聞く。

 そして、来年の第10回記念大会をもってかんじきソフトボールを終えるが、倶楽部ではこの時から、「新しいはじめて物語」が生まれることを祈っているそうじゃ。
 
ブナセンター発行
Fagus 第7号 1996冬より


「渋谷倶楽部」結成の後

 平成2年10月5日、「渋谷倶楽部」が結成された。結成式には、部員五人と渋谷爺の合わせて六人と少なかったが、それほどの問題ではない。いつもの会議よりも、二人多いと考えれば儲けものだ。それに、梨の輪切りなんて他では見ることのできない代物だ。もう、10月。大会まで5ヶ月を切っている。

 その夜は、いろいろな話が出た。渋谷爺が写真を撮られたがっているのも分かったし、意外と小さな字を読むことができることも知った。勿論、今年のミス・ビーチが誰なのかを知りたがっていることも。大会なんて、お祭だから楽しく考えればいいし、失敗しそうになったら天候のせいにすればいい。

 しかし、かんじきを300足揃えるというのは、話は別だ。渋谷爺の健康状態を分析することから準備は進む。夫婦仲を調査することも、何処かの探偵事務所に依頼しなければならないはずだ。

この夫婦仲が、かんじきの出来上がりに微妙に影響を与える。

 そして、渋谷倶楽部の中に「くわのき盗賊団」を組織化し、一本でも多い桑の木を集めなければならない。盗賊団の党首は、当然、山本さんがあたる。辻さんだと、雪に足をとられ前に進めないからだ。山本さんだと、かんじきが無くても平気で雪原を歩くことができることは、皆が知っているとおりだ。このことは、極秘裡に行われる。間違っても、町内新聞にチラシを入れてはならない。盗賊団のチラシ発行は法律でも禁じられているからだ。

 「渋谷倶楽部」の結成の後、こんなことを考えている。

 そして、平成2年11月1日現在部員は、17名となった。

 

TOMORROW発行 1990.10〜11号より


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