ある声優の死を悼んで、井上瑤さんに捧ぐ


 去る2003年2月28日、機動戦士ガンダムシリーズのセイラさん役の声優、井上瑤さんが亡くなられました。
 死因は癌(一部報道によれば肺水腫)だそうです。
 心より、ご冥福をお祈り致します。

 私が井上さんの訃報を知ったのは、3月3日……あくまで噂に過ぎないのだが、この時点であった。
 某声優さんの誕生日オフ会で、その声優さんが厳かに井上さんの訃報を言われたということ。それがネット上に展開されたのだ。
 その書き込みを見つけた私は、まさかと思ってタカをくくった。昨年のガンダムエース誌上で、元気な井上瑤さんと08MS小隊の飯田監督の対談を読んでいたからだ。
 まさか、タチの悪い冗談にも程がある、と怒りさえ覚えた。
 ところが、数時間後。二つの個人サイトの日記に、井上さんの訃報が記されているのが発見された。
 いずれもきちんとした個人サイトである。しかも関連はない。それに人様の死亡を乗せるからには、正確なニュースソースがあるに違いないのだ。
 両者とも某声優……ブライト役の鈴置洋孝さんのオフ会に参加していた。
 ということは、鈴置さんに聞けばことの真偽が判る訳である……が、私には手段も思いつかず、もちろん仕事も手につかず、ただ呆然としていた。

 嘘だ、嘘だ、と呟きながら、涙目になって。
 セイラさんが死ぬ訳がないと。
 「軟弱者!」と、凛とした恐い声で叩かれる自分を想像して。

 そして。やはり私のように気になって仕方がない人が、鈴置さん所属の事務所に電話したそうである。
「マスコミ発表はされておりませんし、ご家族のこともありますのでこれ以上のことは申し上げられませんが、当社には訃報が入ってきております」
 事実である。
 次いで、アムロ役の古谷徹さんのHPに古谷さんご当人が書き込んだ。
「2月28日午前9時29分永眠されました」
 本当のことであった。

 疑いもなく真実であった。
 恥ずかしいが、私は泣いた。声を出して泣いてしまった。いい年をして泣いた。
 帰りのバスの中で泣いた。翌日の代休の日も泣いてしまった。

 3月5日の告別式に参列された古谷さんの書き込みで、また悲しみが増した。
 「純白のウエディングドレスに包まれて」眠られたそうである。詳細は判らないが、何かの理由で結婚式を挙げていなかったそうである。
 女心とは、かくも哀しきものであるか……

 声優仲間のHPにもコメントがそろそろ乗り出し、宇宙戦艦ヤマトの森雪役の麻上洋子さんは、
「徹ちゃんも、みんなだいたい同じ世代。それぞれに、思いは複雑ですね」

 機動戦士Zガンダムのフォウ役の島津冴子さんは、
「私たちに今、できること・・・。それは、愛する大切なひとを亡くされたご遺族や関係者の方々への思いやりをもって、静かにそれぞれの心の中で瑤さんの御冥福をお祈りすることではないでしょうか? 瑤さんは、数々の作品の中で永遠に輝き続けるのですから」

 もっともなことである。

 喪主の井上さんの弟さんは、姉のノートに、という引用で、
「癌は哀しみの病いです 哀しみが引き金となり後押しする。大きな哀しみをかかえた私は癌になった」
 と記されていた。

 ああ、もうセイラさん……井上瑤さんはこの世にいないのだ。

 かつてルパン三世役の山田康雄さんが亡くなられた時、銭形警部役の納谷吾郎さんが、こう弔辞を述べられたそうだ。
「おい、ルパン。これから俺は誰を追い続ければいいんだ!?」
 そしてサザエさんのカツオ役高橋和枝さんが亡くなられた時、お父さんの波平役の永井一郎さんは、
「こりゃ、カツオ。親より先に逝ってしまう奴がどこにおるか!?」

 悲しい名台詞である。

 私は、残念ながら塩沢兼人さんの死についてのお話はよく知らない。
 ただ昔の作品を見たりすると、例えば今回はガンダムのテレビ版や劇場版であるが、マ・クベはもちろんのこと、ジョブ・ジョンやオムルを塩沢さんが演じていたりする。
 目立たないが、いなくてはならない人、ジョブやオムルなのである、塩沢さんは。
 宇宙戦士バルディオス、銀河旋風ブライガーや、ゲームではアンジェリーク、メタルギアソリッドで塩沢さんの声を今でも聞くことができる。

 井上さんに話を戻すが、私は実はセイラさんと伝説巨神イデオンのフォルモッサ・シェリルしか存じていない。パトレイバーや、うる星やつら、リヨン伝説フレアなどは見ていない。
 その分、セイラさん=井上瑤さんというイメージが凝り固まっている。つまり、井上さんの喪失がセイラさんの死と捉えているのだ。
 はなはだ邪道であろう。故人には迷惑であろう。役の固定化を役者さんは嫌ったりすることがあるから、である。

 だが、声優も人間であるが故に必ず死ぬ。
 特に子供の頃に見ていたアニメなら、年齢を数えるまでもなく、声優はいつか死ぬのである。
 天寿。不慮の死。それに関わらず死は、平等にやってくるのだ。

 だからこそ、思い入れのある作品に携わった人が亡くなって、それを悲しんで泣いて、どこが悪いと思うのだ。
「泣きたければ泣けばいい」
 とは誰の台詞だったか。悲しみを我慢できるほど、私はまだ大人ではない。

 島津さんは、作品の中で永遠に輝き続けるのですから、と書いた。その通り、井上瑤さんは、今までのガンダムの映像の中で生きている。イデオンの中に、うる星やつら、パトレイバーの中にいる。
 いつでも逢えるから、アムロではないがそう思う。
 反面、新しいセイラさんにはもう逢えないのだ。例え、代役(最近のマ・クベのように)がついたとしても、私にとっては、それはもうセイラさんではないような気がする。
 山田さんの後を継いだクリカンさんや、高橋さんの後の富永さんには失礼になるけれど。

 しかし、私は生きていく。人がそんなに便利になれる訳もなく、私は生きていく。
 今でも時々、ガンダムを見直して、セイラさんの凛とした声、シャアの手紙に泣き崩れる声、アムロを叱咤する声を聞いて生きていく。マ・クベの狡猾でいやらしい声を聞いて、生きていく。

 これからもたくさんの訃報を聞くことになるだろう。
 それでも生きていこう。そうしないと、セイラさんに「軟弱者!!」と張り倒されてしまうからだ。

 最後に、井上瑤さんご自身が、セイラさんの台詞で気に入ったものを紹介しよう。

「あなたならできるわ」

 今までありがとうございました。お疲れ様でした。
 安らかな眠りのあらんことを。そして、さようなら。

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