長崎くんち「銀屋町鯱太鼓」TOP蘇れ銀屋町/活動の歩み

「銀屋町」復活へ向けての歩み


2007年

1/14 東古川町の祝賀会が行われました。

1/13 銀屋町の町名復活記念祝賀会が行われました。

2007年1月9日。「銀屋町」と「東古川町」が復活しました。
⇒ 報道各社の掲載記事へ

2006年

9/22 長崎市議会の本会議で『古川町と鍛冶屋町の一部を「銀屋町」「東古川町」の町名に変更する議案』が全会一致で可決されました。来年1月9日に、銀屋町と東古川町が復活します。

 ⇒ 平成18年第4回(9月)定例会議決結果一覧
    第97号議案:「町の区域及び名称の変更について(古川町及び鍛冶屋町)」⇒原案可決

9/15 長崎市議会の建設水道委員会は『古川町と鍛冶屋町の一部を「銀屋町」「東古川町」の町名に変更する議案』を全会一致で可決しました。
8/28 長崎市は、九月定例市議会に「銀屋町と東古川町を住居表示として使うための関連議案を提出する。」と発表しました。可決されれば、その後知事の告示などを経て来年1月9日の実施が予定されています。
旧町名の復活は県内初、全国では二例目となります。住民は40年ぶりの復活を心より喜んでいます。

2005年

06/26 旧銀屋町のお隣、旧東古川町の住民で作る「東古川親和会」の代表が長崎市役所を訪れ、旧町界による旧町名「東古川町」の復活を陳情しました。

06/02 市役所が作成した旧町名表示板を、この日「麹屋町」「銀屋町」「東古川町」の3つの旧町名の当該場所に掲示しました。
05/17 磨屋校区の旧町名復活に尽力されている吉原 孝 市会議員をはじめ、銀屋町自治会長、自治会役員、婦人部代表、青年部代表、町内にある長崎循環器病院長 他総勢20名が長崎市役所を訪れ、長崎市長宛の請願書「旧町界での銀屋町の復活について」を、応対して戴いた松本紘明助役へ提出しました。
その際、同席されていた椎木都市計画部長から、「長崎市と銀屋町自治会が一体となって協力し、平成19年の長崎くんちに銀屋町として参加できるようスケジュールをたてて取組んでいきたい。」との回答を戴きました。

⇒報道各社の掲載記事へ


05/16 「磨屋地区まちづくり研究会」が開催され、長崎市が作成した「旧町名表示板」の設置に関するお願いと説明がなされました。またこの中で、銀屋町自治会が総会の決議に基づき、旧町名復活の請願を明日長崎市に行うことも紹介されました。
04/29 銀屋町自治会の総会において、旧町名復活を行うことを満場一致で可決しました。今後、請願書を作成し、行政に働きかけを行います。
01/24 「町界町名問題討議会」が2004年で終了したことを受けて、旧町名復活へ向けてより具体的な勉強を目的とした「磨屋地区まちづくり研究会」の第一回目が開催されました。

2004年

12/15 町在住の方や企業の方のご協力により「蘇れ銀屋町平成17年カレンダー」(500部)を自主製作しました。
11/13 「蘇れ銀屋町」第2版のポスターを自主製作し、町のいたる所に掲示してもらいました。

11/04 桜馬場中学校校区で開催された「市長を囲む会」において、代表者が伊藤一長市長に要望を出しました。
(1)旧町名表示板を設置して欲しい。(2)旧町名を旧の町界で復活して欲しい。

2003年以前

2001年 「銀屋町」の町名ステッカーを自主製作し、銀屋町の家々に表示してもらいました。
「蘇れ銀屋町」のポスターを自主製作し、町の数カ所に掲示しました。
2000年 8月に、磨屋小学校校区の該当する自治会に呼びかけて、旧町名復活に関する勉強会「町界町名問題討議会」の第一回目が開催されました。(2004年までに12回開催されたそうです。)


平成16年12月01日公開、平成19年01月14日更新