旧白毫寺多宝塔・井植山荘多宝塔 |
大和白毫寺多宝塔
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旧白豪寺多宝塔(摂津井植山荘) 2002/3/19焼失
★大和白毫寺多宝塔(在白毫寺)
※「大和名勝」藤園主人述、東京:金港堂、明治36.4 には ★白毫寺多宝塔古記録 「南都名所集」巻之4(延宝3年・1675版)に見る多宝塔
この塔は大正年間に売却され、現在の宝塚の井植山荘に移建され、2002年3月19日まで現存した。 ★白毫寺多宝塔(在井植山荘)/焼失前多宝塔
★焼失前白毫寺多宝塔画像 何れも画像クリックで拡大表示 |
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| 1.多宝塔上下層・相輪・扁額 | ||||||||||||||||
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| 左:ほぼ全容、中:相輪(今般焼け残る)、右:かなり大きな扁額を掲げる。(梵字でシンターマニ<如意宝珠>だそうです。) | ||||||||||||||||
| 2.多宝塔上層 | ||||||||||||||||
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上重屋根は桧皮葺き(まだ新しい)ようです。上重軒は和様の二重繁垂木で、斗栱は四手先のようです。饅頭は型どうりの漆喰。 |
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| 3.多宝塔下層組物 | ||||||||||||||||
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| 下重軒は二重繁垂木。斗栱は出三斗。頭には長押を用いず、禅宗様の頭貫と木鼻で構成する。柱間には間斗束を置く。 極めてシンプルな意匠だったようです。角柱は面取されています。 白壁・桧皮の様子から最近修理がなされた雰囲気で、保存状態は良いようです。 |
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| 4.多宝塔下層下部 | ||||||||||||||||
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| 中央間は板唐戸、両(脇)間は連子窓、板縁を廻らす。亀腹を造る。 | ||||||||||||||||
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○2002年3月23日撮影現場
残念ながら、2002年3月19日から20日の山火事で類焼し完全に焼け落ちました。 ○2002年7月31日撮影現場(某氏より入手:匿名希望) ○2002年8月6日撮影現場(某氏より入手:匿名希望) ●塔のどの部位なのかははっきり分かりませんが、塔の装飾金具?のようです。 |
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★大和白毫寺多宝塔(在白毫寺)絵画 「奈良の白毫寺/焼失の多宝塔、絵で帰る」2002年06月29日
・朝日新聞「奈良」版記事: 住職は旧白豪寺多宝塔焼失の報の後、4月に井植山の塔焼跡に出向き、焼失した多宝塔の残灰をもらい、境内に埋めて供養したという。 その後、住職は上記の手紙を「つて」に、長野県に向かい、頼んで絵を譲ってもらったという。
★白豪寺多宝塔跡 多宝塔跡:敷地および土壇、敷地に至る石段、塔礎石(自然石)などは整備・保存されています。 なお3月23日に焼失現場で取得した銅板?は、白豪寺様に収めさせて頂きました。 ご住職の談:約焼失後1月後に現地を訪れた時は、焼け跡はおおむね整理済みで、露盤・相輪なども整理されて並べられていた。 2003/01/02:追加 焼失塔跡は整備され、中央に相輪のみが再興されました。
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