聞法山頂妙寺本堂扁額※

「都名所圖會」

天明年間刊「都名所圖會」巻1の伽藍図

 聞法山頂妙寺:左図拡大図

川東移転後の伽藍。
恐らく天明の大火で焼失前の伽藍と推定され、現在の堂宇が相対的に簡素であるのに比べ、往時の伽藍 は概ね重厚な造りであったことが推測される。堂宇の配置は仁王門拝殿が退転するなどはあるが、基本的に現在まで維持されている様子が覗える。
しかし、現在京都の諸本山と同様、荒廃も進む。

頂妙寺略暦

聞法山と号する。現在は日蓮宗一致派本山。本尊:十界曼荼羅。
日祝上人を開山とする。日祝上人は下総の出で、中山・日常の第八の祖。
文明初年(1469)上洛し、壇越の細川勝益に四条・錦/万里小路・富小路の寺地を得て、文明5年開基。
永正6年(1509)に新町・長者町、大永4年(1523)に高倉中御門に移転。
洛中21本山に列する。
天文法華の法難(天文5年<1536>)で京を追われる。
天文11年(1542)帰洛が直許され、高倉中御門の旧地に再興。
天正元年(1573)信長の焼討ちに会い、鷹司新町に移転、
さらに秀吉の命で三度高倉中御門の地に復帰する。
これらの工事は町衆の多大な援助によってなされたと伝えられる。
天正7年(1580)の安土宗論には頂妙寺日bが臨む。
文禄3年(1594)堺妙国寺日bは中山法華経寺住持を兼帯し、以降京頂妙寺・京本法寺・堺妙国寺による中山法華経寺輪番制が始まる。(京両本山住持は日b弟子に由来する。)
寛文13年(1673)禁裏に隣接している理由(防火)で現在地に移転。
仁王門通の名称は当寺の仁王門が南接するためとされる。
現本堂は天明8年(1788)の類焼後の再建。

現伽藍:
 概  要 図目測をメモしたもので必ずしも正確ではない。
 本  堂(桁行5間梁間4間入母屋造り本瓦葺)・祖師堂・仁王門・大黒天・鬼子母神※・妙見・庫裏・客殿※・表門等
 典型的な日蓮宗の堂宇をよく残す。
 本堂・大黒天・祖師堂:左から並立。 鬼子母神・妙見等※:右鬼子母神、左妙見
 庫裏は近年改築(新築)されたと思われる。
 また境内は駐車場化し、かつ庫裏裏に立体駐車場が建設される。
 記念碑※です。
 現在塔頭は
  善性院・大乗院・法論院・真如院・妙雲院・本立院・善立院・真浄院の8院を残す。
   画像は2001年5月25日撮影。※は2001年6月10日撮影。

大正5年「京都坊目誌」碓井小三郎編記事より(上京第ニ十八學區之部)
旧境内7,970坪、今5,500余坪。
本堂 ・・・南面す。天明に火し、天保7年に再建す。・・・
祖師堂西面。・・・
現塔頭:善性院・大乗院・法輪院・妙雲院・本立院・善立院・真浄院・真如院
慈雲院・瑞泉院・輪蔵院・養泉院・霊雲院・常住院ありしが、明治2年以来、或は統合し或は転地せり。

頂妙寺仁王門:1972年撮影画像

2009/11/03追加:2009/10/27撮影
 頂妙寺伽藍配置:Google地図から転載
 頂妙寺表門両門番
 頂妙寺仁王門1     頂妙寺仁王門2     頂妙寺仁王門3
  :近世には多くの信仰を集めた仁王門も、今は某運送の中継場所に賃貸(?)しているとも思われ、
  寺院の矜持というものなどはどこかに忘れたのであろうか。
   (某運送の境内・仁王門の無断使用であれば、上記の言は撤回する。)
 頂妙寺本堂1      頂妙寺本堂2      頂妙寺客殿      頂妙寺庫裏
 頂妙寺祖師堂      頂妙寺大黒天      頂妙寺鬼子母神     頂妙寺鐘楼
 頂妙寺妙見大菩薩    頂妙寺妙見堂      頂妙寺秋山自雲
 頂妙寺妙雲院     頂妙寺本立院     頂妙寺善立院     頂妙寺真浄院
 頂妙寺善性院     頂妙寺大乗院     頂妙寺廃坊舎(坊名不明)     頂妙寺法輪院     頂妙寺真如院

 


2006年以前作成:2009/11/03更新:ホームページ日本の塔婆