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清水寺三重塔 ・ 泰産寺(子安塔)三重塔
★都名所圖會
天明年間刊「都名所圖會」巻3の清水寺から(部分)
清水寺三重塔は西門裏で現位置と凡そ同じ位置にあるが、子安の塔は仁王門下にあった。
(現在、泰産寺三重塔<子安の塔>は清水寺本堂の南方、谷を隔てた峰上にある。)
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都名勝圖會 巻3 清水寺:左図拡大図 ※仁王門下に子安塔がある。
明治維新の頃、泰産寺は廃寺、子安塔のみ現地に残るも、
清水寺の管理下になり、明治43年(この前後の説もある)現在地に移す。 |
2003/5/18:追加
清水寺参詣曼荼羅図:16世紀:図中の左端に清水寺三重塔(上)、泰産寺三重塔(下)がある。
※「描かれた日本の中世」下坂守、法蔵館、2003 では
清水寺参詣曼荼羅図は清水寺本(推定16世紀半ば制作)と中島家本( 推定16世紀後半制作)の2本がある。
両本の構図はほぼ同じであるが(中島家本は清水寺本を底本とする)、個々の図柄は異なる点がある。
掲載図は中島家本、下段中央の三重塔は不詳。(五條大橋を渡り、一の木戸を潜って左にある。)
洛外洛中図屏風(上杉本):上が清水寺三重塔、下が泰産寺三重塔と思われる。
洛外洛中図屏風(町田本):清水寺三重塔 2006/09/17追加:
花洛名勝圖會 巻6 清水寺 より:元治元年(1864)刊行
2009/02/03追加:「幕末明治 京都名所案内」 より
音羽山清水寺略圖(左半部分図):右手上に清水寺三重塔、右下に子安塔がある。
★山城清水寺三重塔:重文 塔創建は承和14年(847)とされる。
「塔における両界曼荼羅空間の展開」より:
「清水寺縁起」:
「三重宝塔一基 坐四仏 件塔、承和14年故師葛井親王(嵯峨天皇皇子、田村麻呂大納子女春子女御所生也)請官符建立之、・・・」
寛永10年(1633)徳川家光再建。本堂(江戸)は国宝。
西国16番札所。
純和様の大型塔。高さ(総高)約31m。一辺5.2m。
2009/11/05撮影:
山城清水寺三重塔31
同 32
同 33
同 34
2001/12/09追加:
★山城清水寺三重塔模型:宮大工・棟梁高木敏雄師製作(高木師自宅所蔵)
詳しくは「宮大工・棟梁高木敏雄師」のページを参照
★山城泰産寺三重塔(子安の塔):重文 山城清水寺子院。清水寺本堂の南の谷を隔てた尾根にあり。
江戸初期建立。全貌の写真撮影は結構難しい。
一辺2.5m、高さ約12m。
※明治43年頃までは、清水寺仁王門下にあった。(上記清水寺三重塔の諸資料も参照)
大正5年「京都坊目誌」碓井小三郎編(下京第ニ十ニ學區之部)より
<泰産寺三重塔の記事部分>
元仁王門の西南にあり。
三重塔
寛永6年清水寺諸堂炎上。寛永7年清水寺造営に際し、この塔も修理を加える。その後寺院荒廃。
元禄年中僧清長之を中興。明治42年本寺境内の整備の際、現在地へ移転。修理す。書院を新築。
元地には「子安塔址」の石碑が建てられ標とする。(未見)
碑 文:
【北面】 上部は「光明皇后、念持観音」と並列し、下部は「子安塔址」と標す。
【東面】 明治四十三年十二月境内下山ニ移ス
【南面】当山末泰産寺跡 とあると云う。
2000/8/5撮影:
山城泰産寺三重塔1 同 2
同 3
2002/3/30撮影:
山城泰産寺三重塔1 同 2
同 3
同 4
同 5
同 6
同 7
同 8
2007/09/22追加:
「O」氏ご提供画像:2006/02/11撮影
山城子安塔遠望
山城子安塔 1
同 2
同 3
同 4
2006/09/17追加:
○花洛名勝圖會 巻6 清水寺 より:元治元年(1864)刊行
泰産寺三重塔(子安観音・子安塔)部分図

2006/09/17追加:
○移転前山城泰産寺三重塔写真
2009/11/10追加:
移転前子安塔11:OLD
PHOTOS of JAPAN より
入り口の石の柱は明治16年(1883)8月に建立されたものと云う。
移転前子安塔12:「La
sociedad Japonesa : usos, costumbres, religion, instituciones, etc.
」Bellessort, Andre, 1866-1942 より
2009/11/05撮影:
子安塔跡石柱
子安塔跡現況:写真中央に松の木が1本立つが、この付近に子安塔はあったものと思われる。松木の向かって右手すぐに上記の石柱はある。
2006年以前作成:2009/11/10更新:ホームページ、日本の塔婆
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