大 和 西 大 寺 塔 跡

大和西大寺塔跡

大和西大寺略歴

平城京の右京に東大寺(平城京外)を除けば他の諸大寺を凌ぐ規模で創建された官寺であったが、平安遷都以降しだいに衰微した。
貞観2年(860)大火で主要堂塔を失う。
延長5,6年(927,928)には東西両塔を焼失。
鎌倉期に叡尊が真言律の道場として規模を縮小して伽藍を復興。
文亀2年(1502)兵火で鎌倉期復興伽藍をことごとく焼失。
宝暦2年(1752)今日見られる伽藍を復興。
創建時の遺構として、東塔跡に巨大な基壇と礎石を残す。
東塔は当初、八角七重塔として計画されたが、途中四角五重塔に変更されたとされる。

2007/02/17追加:「西大寺の文化」西大寺、昭和38年 より
 西大寺伽藍絵図
元禄11年(1698)の作になる絵図であるが、宝亀11年(780)の「私財流記帳」に記載された記事を基に描いたものと推定される。
近世の絵図ではあるが、創建時の伽藍を窺うことができる。

 南都西大寺中古伽藍図:「西大寺の文化」
推定江戸中期、鎌倉再興期の伽藍を想像して描いたものと推定される。

 西大寺現在堂舎坊院図:「西大寺の文化」
江戸末期の西大寺伽藍坊舎の現状をありのまま描いたものとされる。
五重宝塔跡には「塔堂」が描かれ、龍池院には「西塔跡」と思われる跡が描かれています。

現在は東塔跡と本堂、愛染堂、四王堂、本坊庫裏など、護摩堂、鐘楼、大師堂、東門、南門などの小堂宇、護国院、増長院、華蔵院、清浄院、法寿院、一之室院の坊舎、体性院(奥の院)、幾つかの坊舎跡を残すのみです。

大和西大寺東塔跡

2007/01/31追加:「大和の古塔」
「日本霊異記」では藤原永手の霊が子の家依に語る「我令仆法花寺鐘、後西大寺八角塔、成四角、七重、減五層也」
 ※東塔は当初、八角七重塔として計画されたが、途中四角五重塔に変更されたとされ、発掘調査でもその状況は確認された。

2007/02/17追加:「西大寺」長谷川誠、中央公論美術出版、昭和40年 より
 西大寺東西両塔配置図
    
「日本紀略」延長5年いずれかの塔に火災があった。
「扶養略記」延長6年雷火によって塔1基を焼失。
「法隆寺別当次第」「七大寺巡礼記」建保6年(1218)東塔再建のことあり、「園太暦」貞和3年(1347)東塔修理の供養
文亀2年、一山回録、塔も焼失、ついにその後塔の再興は見ない。
江戸期には東塔跡に四間四面の堂が建立されていた。
これは鎌倉期叡尊以降、東塔を塔戒壇として受戒を行っていたので、受戒のため漸く一宇の堂を建立したものであろう。
 ※「塔堂」の様子は
  上掲:西大寺現在堂舎坊院図:「西大寺の文化」
  大和名所圖會 寛政3年(1791)刊より:西  大 寺 塔 跡(部分図) を参照。

東塔石檀は方55尺前後、高さ6尺3寸内外であるが、明らかに後世のものである。
(西南面は昭和9年の台風で崩れ、その後修築)
但し檀上の17個の礎石(北辺の東第2基礎石を除く)は東塔建立当初の礎石と推定される。
塔の規模は天平尺で、中央間は10尺、両脇間は9尺、計28尺を測る。心礎は八角の造出を持つ。
 西大寺東塔跡実測図
心礎は出枘式で、1.8×1.6mの大きさで、径39cmの出枘を持つ。

2002/9/25追加:2002年秋発行奈良国立博物館のパンフレット
 西大寺与秋篠寺堺相輪図(鎌倉・部分図)
 西大寺寺中曼荼羅図(鎌倉・部分図)
いずれも叡尊が元伽藍のほんの一郭である塔と四王堂あたりに再興した後の西大寺の姿を覗うことができる。
東塔のみ再興された様子も覗える。

2008/02/27追加:「古図にみる日本の建築」より

西大寺寺中曼荼羅図2: 左図全体図
 :上掲「西大寺寺中曼荼羅図」と同一(カラー・大容量 版)
 :西大寺蔵

描写の情景は弥勒堂焼失(徳治2年1307)から五重塔以下大半が焼失した文亀2年(1502)との間と思われる。

作図手法からは室町末期の作と推定される。

2000/12/03撮影:西大寺東塔跡1   西大寺東塔跡2

2002/03/28撮影:西大寺東塔跡3

2008/12/31追加:「旅の家つと37号」明治34年 より
 大和西大寺東塔跡1:全図     大和西大寺東塔跡2:部分図

大和西大寺西塔跡

2007/01/31追加:「大和の古塔」
西塔は延長年中に焼失、その後は再興されることなく、廃絶したものと思われる。
塔跡は江戸期まで残存していたが、寛永4年西塔跡に龍池院が営まれほぼ消滅した。
 「西大寺の日記」:
寛政6年の条:「龍池院裏西方、往古塔跡掘候へば、金銭1文、・・・土中より堀出候」とあり、塔跡7尺余から銅銭万年通宝・神功開宝とともに金銭開基勝宝1枚を発見している。
(開基勝宝は今皇室御物、龍池院も今廃絶)

 ※今西塔跡を訪ねても、地上には何の痕跡もない。・・・・・・・・西大寺西塔跡方面を臨む
 ※上掲西大寺現在堂舎坊院図には江戸初頭の様子が描かれている。

西大寺五重塔復興

2007/02/17追加:「史迹と美術」第610号:より
昭和61年西大寺長老が中国陜西省を表敬訪問、五重塔再興の意思があることを表明、日中親善の為、陜西省が協力を約束。
平成元年陜西省(設計を担当)から、復原五重塔模型が届けられる。(聚宝館に展示)
但し、薬師寺西塔のように十分な資料があっての再興ではなくて、東塔跡に100%推定塔を復興するのは難しいのでは無いだろうか。
「史迹と美術」第618号:
中国産出材を用い、平成4年春着工、同6年に完工予定で準備に入る。
  西大寺復元五重塔模型

※その後、この計画は頓挫しているとの概報を入手するも、その入手資料(概報)の所在が現在不明、従ってその後の経緯は不明。

西大寺宝塔

西大寺金銅宝塔(檀塔):国宝:全高3尺。:「西大寺の文化」より
底の銘文から、文永7年(1270)叡尊の発願によって作成、前年に感得した唐招提寺の舎利安置のため作成という。

西大寺鉄宝塔:国宝:全高5尺8寸。:「西大寺の文化」より
檫銘や学正記などにより、弘安7年(1284)叡尊が法華寺の舎利千粒を納めるため造る。仏舎利を納めた五瓶仏舎利塔を安置する。


2006年以前作成:2008/12/31更新:ホームページ日本の塔婆