佐藤!気合い!!

 

ここは、ryuzyが個人的に応援している佐藤 浩選手についてのコーナーです。

プロフィール

佐藤 浩(さとうひろし)

ポジション:GK(ゴールキーパー)
出身地:神奈川県
経歴:神奈川県立寛政高校〜東京YMCA社会体育専門学校〜日産ファーム〜全日空佐藤工業サッカークラブ(横浜フリューゲルス)〜サンフレッチェ広島〜名古屋グランパスエイト
横浜フリューゲルス:1992〜1998年
生年月日:1972年3月7日
身長/体重/血液型:181cm/74kg・O型
Jリーグ通算成績:10試合、20失点(’97年度:8試合、13失点)
Jリーグデビュー:1995年7月8日 対ジェフユナイテッド市原戦
1996年度背番号:30 19997年度背番号:16


佐藤 浩選手とJリーグ(1996年)

1996年は前年のTOPデビューでも思わぬ結果を残せずに、サテライトリーグでの開幕となった。この年のサテライトリーグはA〜Cの3ブロックにわけ、フリューゲルスは横浜M・平塚・清水・磐田・名古屋と同じBブロックでの戦いとなった。フリューゲルスはサテライトリーグでは快調に勝ち星を重ね、9月末の時点でブロック通過を決め、決勝トーナメントに進出した。佐藤浩選手はブロック優勝を決めるまでの間、楢崎が故障したときにはトップの控えとサテライトのGKの両方勤めた。ブロック優勝が決まってからは出番を杉原に譲った。ブロックを1位で通過し、準決勝は浦和レッズと大宮で対戦した。この試合ではPKを1つ決められ、1失点はするものの、2−1で逃げきり、決勝へ進出した。
決勝の相手はヴィッセル神戸、同じ日の神戸がJリーグに昇格したすぐ後に、同じ神戸ユニバー記念競技場で行われた決勝は、すさまじい試合となった。フリューゲルスは前半いっきにたたみ掛け、光岡、瀬戸、そして久保山の2得点の4−0で折り返すものの、ここから信じられないことが起きる。ヴィッセルは後半に入り元フリューゲルスの上村をDFから前線に置き、システムを変えると、5分で2点を取りリズムを作る。このまま4−2でロスタイムに突入しもう勝利を確信していたが、そこで悲劇が起こった。ヴィッセルはロスタイムにもう2点取り追いついてしまったのだ。ゲームはそのまま延長戦に入り、延長後半6分、嘉悦がVゴールを決めサテライトリーグで優勝を収めた。

写真:96年10月27日 vsヴィッセル神戸戦(撮影:本多 恵美子さん)
 

佐藤 浩選手とJリーグ(1997年)

1997年は佐藤浩選手にとって忘れられない年になったと思う。1997年は佐藤浩選手の出たTOPの公式戦(Jリーグ、ナビスコ杯)はすべて観戦したが、Jリーグで初の勝ち星を挙げたのである。それについて以下に示していきたい。
この年は森選手がコンサドーレ札幌に期限付き移籍(後にフリューゲルスも解雇)したために、佐藤浩選手はJリーグの開幕あたりから常にトップの控えに回り、サテライトで2試合出場した以外は公式試合での出番がなくなっていた。去年の森選手がずっと控えに甘んじ、ほとんど試合に出られない1年を過ごしたことを考えると今年で腐ってしまうのではないか心配だった。

そこに転機が訪れた。97年9月6日Jリーグセカンドステージ第10節、急きょ日本代表に選出された楢崎選手に代わり、スタメン出場することになったのだ。出たは良いものの、開始わずか1分も立たないうちにゴールを割られると、試合感もなくなっていたせいか、また守備陣も頼りなく合計3失点、得点はフェルナンドが1点返したのみで、完敗した。その次のマリノス戦は佐藤選手のミスから決勝点を与えてしまい、負けてしまう。続くガンバ戦は、だんだんなれてはきたものの、攻撃陣が手薄なために得点が奪えず1−2で惜敗し、3連敗を喫してしまう。
そして9月20日のサンガ戦、相手も調子が良くなかったが、ここで佐藤浩選手はJリーグ公式戦で初勝利を挙げる。佐藤選手自身は初勝利を挙げたが、チーム状態は相変わらず良くなく、続くヴェルディ、ジェフに連敗する。そして10月1日のベルマーレ戦で、佐藤選手はスーパーセーブを連発し、分厚いベルマーレの攻撃に耐え、PK戦まで縺れ込ませ、そのPK戦でも1本止め勝利に貢献した。またこの試合が自身の初完封試合になった。続くサンフレッチェ戦も好調を維持し、チームもJリーグ最終戦を白星で飾った。

Jリーグ終了後に行われたナビスコカップ決勝トーナメントの準々決勝・1st.Legが10月15日に三ッ沢で行われたが、この試合のゴールマウスには代表帰りの楢崎選手が立っていた。楢崎選手も試合感がなくなっていて、この試合を0−1で落としてしまった。続く2nd.Legは10月18日に柏サッカー場で行われた。この試合の佐藤選手は違った。再三にわたるシュートを防ぎ、完封するとともに、三浦の芸術的FKなどで3−0と快勝し、準決勝へと駒を進めた。準決勝に進出したフリューゲルスは、11月1日に準決勝1st.Legではジュビロと三ッ沢で対戦した。この日も佐藤はゴールマウスを守り抜き、約1年半ぶりのジュビロ戦の勝利に貢献するなどだんだんと調子を上げてきた。続く2nd.Legはジュビロ磐田スタジアムでの対戦で、0−1で90分を終了し、延長戦に突入。延長前半14分、ドゥンガにVゴールを決められ、敗れてしまった。その後の天皇杯では出番がなく、1年を終了した。ちなみに佐藤浩選手のこの年のトップでの成績(Jリーグ・ナビスコカップ)は10試合出場で15失点という内容だった。

写真:97年9月6日 vs浦和レッズ戦(撮影:鬼塚 よしえさん)
 

佐藤 浩選手とJリーグ(1998年)

佐藤 浩の1998年のJリーグは、ナビスコカップでの出番しかなかった。日本代表GK楢崎の存在が大きく、佐藤浩に出番はなかった。楢崎が代表で抜けたナビスコカップでの4試合にとどまった。しかもチームの調子は最悪で、1勝3敗、しかも、唯一の勝利がJFL(Jリーグが二部制になる前の)の川崎フロンターレで、4試合、8失点であった。佐藤浩での横浜フリューゲルスでの出番はこれで終わったが、佐藤浩は横浜フリューゲルスになくてなならない存在であった。

 

佐藤 浩選手とJリーグ(1999年)

サンフレチェ広島に移籍した佐藤。ここでも、日本代表・下田、元日本代表・前川の壁が大きく、なかなか出場機会に恵まれないまま過ぎ去ろうとしていたが、9月に入って、名古屋で楢崎があごの骨を骨折し、長期戦線離脱。そして今、名古屋グランパスエイトへ。