☆星を祀る神社仏閣
ここでは、降星伝説にまつわる星の信仰を伝える、下松市内の寺社を紹介します。

降松神社降松(くだまつ)神社 下松市 大字河内吉原

 下松市街地から、やや北にある鷲頭山(上宮・中宮)と、そのふもと(若宮)に位置します。
 元々、海辺の桂木山にあった妙見社を、康保元年(694年)に遷座した、下松妙見社の現在の名称です(なお、くだまつ神社と読むのが正しいが、下松と区別するため、くだりまつと呼ぶ場合もある)。
 下松の、というより、旧大内氏領内における妙見信仰の拠点でしたが、明治3年、神仏分離令という悪法のために、妙見菩薩は次に述べる鷲頭寺に遷座させられ、代わりに同じく北極星を本地とする天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が勧請されました。なお、神紋は大内菱(大内家の家紋)です。
 現在、旧下松町、旧久保村域内などの氏神として、崇敬を集めています(ちなみに、うちも氏子です)。
写真:降松神社若宮拝殿。

妙見宮鷲頭寺妙見宮鷲頭(じゅとう)寺  下松市中市

 もとの、下松妙見社にあった七坊のうち、別当閼伽井坊(あかいぼう)の、現在の名称です(下松市花岡に閼伽井坊というお寺が現在もあるが、あちらは花岡八幡宮の旧別当である。なお、花岡閼伽井坊の多宝塔(塔婆)は日本十六塔の一つとされ、室町時代の密教建築。国の重要文化財に指定されている)。宗派は、真言宗御室派に属します。
 元々、下松妙見社若宮の隣にあったものを、明治12年に現在の地に移転しました。本尊は、旧下松妙見社に祀られていた妙見菩薩で、現在「みょうけんさま」といえば、こちらのお寺を指します(同寺の隣にある、山陽本線をオーバークロスする県道下松田布施線の陸橋は、「妙見大橋」という名で市民に親しまれている)。
 明治の廃仏毀釈・神仏分離令は、日本人の伝統的な信仰に、深刻な影響を与えました。たとえば、安徳天皇と壇ノ浦で敗れた平家の人々の菩提を弔うために建立された下関の阿弥陀寺は、明治になって赤間神宮に改変させられてしまい、寺院だった旧跡は何も残っていません(現在でも、地名だけ阿弥陀寺町という)。それから考えたら、下松の妙見信仰の場合、形は変わっても、現在まで昔の信仰が残っていることを、感謝しなければならないのかもしれません。
写真:妙見宮鷲頭寺本堂。神殿造で神社のように見える。

七星降臨鼎之松金輪(かなわ)神社  下松市北斗町

 JR下松駅のすぐ北側、その名も北斗町にある小さなお社です。現在は、マンションの影になっていますが、こここそ松に星が降りた聖地なのです。
 境内に石碑が立っており、「下松発祥之地 七星降臨鼎之松(しちせいこうりんかなえのまつ)」と刻まれています。その隣にある、やや小ぶりの松は、何代目かの松です(私が子どもの頃は、もっと大木だったが、マツクイムシにやられて枯れてしまった)。その昔は、降臨の松、連理の松、相生の松の3本の松が鼎立していたので、「かなえの松」という名があるのです。
 七星というのは、北辰妙見信仰は元々、北極星に対する信仰なのですが、広く北斗七星も同一視する場合があり、そのためと思われます。
 しかし、今もし星が落ちてくるとしたら、こんな小さな松ではなく、付近にいくつかできた10階クラスのマンションに、落ちるかもしれませんね。
写真:七星降臨鼎之松と石碑。ここ数年のうちに周辺にマンションがいくつもできた。
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