初春の田起こし行事から始まった九州のお田植え祭りも、いよいよ終盤
を迎え、実際に水を張った田を舞台に行事が奉納されるようになった。
2月後半から始まったお田植え祭りを振り返ると、山から切り出したエノキ
やケヤキを使って地区で引き合い、作物の収穫を占う「カギヒキ」から始まり、
神社の境内を田に見立て木鍬で耕し、作り物や被りものの牛を使って代かきを
し、籾だねを蒔く「打植祭り」、神社で舞い、踊りなどを奉納した後、御神田
で田植え唄を唄いながら実際に田植えをする「御田植え」など、いくつもの田
にまつわる行事が行われてきた。
終盤にあたるこの時期のお田植え祭りの神事は、奉納舞い(踊り)と御神田
でのお田植えがメインとなるのだが、ここ日吉町では田植えはせず、舞い
(踊り)の後、若者らが白装束に足袋で御神田に入り、跳び回って唄い踊ると
いう他では見られない「せっぺとべ」という変わったお田植え祭りを行う。
御神田でのせっぺとべ
日吉町は、鹿児島市の西方約20Kmにある東シナ海に面した人口6000
人余の小さな町である。西方は東シナ海に面し、日本三大砂丘の一つである
吹上浜へと続いている。
日置八幡神社は、町の中央部の役場近くに位置し、地区の氏神様として長い
歴史を持っているようだ。祭りの起源は定かではないが、日置島津家三代の常久
が今から約400年前の文録4年(1595年)に日置八幡神社を日置総鎮守社
と定め、御神田一反余りを寄付したことからその頃ではないかといわれている。
「せっぺとべ」は、「精一杯跳べ!」という鹿児島弁である。祭りの由来は、
古い時代人間の足を使って田を耕していたとされる足耕や踏耕の名残りではない
かという説と、田で飛び跳ねることにより害虫を追い払い、あるいは踏み潰すと
いう双方の説がある。
現在日吉町のせっぺとべは、日置八幡神社と少し南へ下った鬼丸神社の2ケ所
で奉納されている。
日置八幡神社参道階段
祭りの当日、日置八幡では朝9時半から神事が始まった。やがて奉納踊りの
部隊が参道の長い階段を昇りやって来る。祭りの主体はあくまでもこの奉納踊り
であり、せっぺとべは、祭りの余興として始まったという説が強い。
最初に前庭、続いて境内中庭の本殿前と演舞が始まる。一行は、町内四つの
校区で主に小中学生を中心にした10〜20人ほどで構成されており、それぞれ
伝承されている踊りを披露する。
最初に八幡校区の「棒踊り」が三連、そして諏訪校区の「笹踊り」、日新、
山田校区の「鎌踊り」と続く。また、鬼丸神社のある吉利(よしとし)校区から
も3連の踊り隊もやって来る。踊りを受け継いでいる小中学生らは、祭りが近付
くとその稽古に余念がないという。学校も伝統行事の練習には協力的なようで、
好感が持てる。
棒踊り
鹿児島県の各地の祭りでは、棒踊りがよく踊られている。真剣な眼差しの演者
が棒を構え、飛び跳ねながら打ち合う。ヤッというかけ声とカシッという音が
幾度となく境内に響き渡る。
笹踊りは、腰に刀、片手に笹竹を持った子供達が唄に合わせ、ゆったりとゆか
しく踊る。笹のサラサラした音が情緒を感じさせる。
鎌踊りは、演者が互いに刀と鎌を持ち戦い合う勇壮な踊り。さすがに本物は
使わないが、なかなか気合いが入っており、緊張感が伝わってくる。
笹踊り
せっぺとべの祭りは、数年前から神事を含む本来の祭り部分と見物客に見せる
ためのイベントの部分を午前と午後に分けたので、過度な拡声器などの使用はな
かったのだが、一つだけ気になったことがあった。子供達の踊りの時、引率者が
踊りのバックを唄うのに使っていたハンドマイク(メガホン)だった。
たかだか10〜20人ぐらいの子供達である。本当に使う必要があるのだろう
か?しかも自分達はハンドマイクを使いながら、子供達が踊りながら出すかけ声
に対して、何度も声を大きく出せ!と口すっぱく注文を出している。これでは
子供達も納得できないだろう。大変なのはお互い様である。もう少し考えて大人
は子供らに手本を示すべきではないだろうか。音風景的にもマイクで拡声された
声よりも、地声で唄った方がはるかに良いのだが...。
一連の踊りがまだ終わり切らないうちに、突然本殿横の水を張った仮田に見立
てたドロの中で、若者数人が肩を組み飛び跳ね出した。どうやらせっぺとべの始
まったらしい。バシャバシャと勢い良く足でドロを跳ね上げるので、見物人にも
容赦なく飛んでくる。
時間が経つに連れ、だんだんと参加する人数も増えてきて10数人で肩を組み、
唄いながら飛び跳ねている。焼酎も生でガンガン飲むので、早くもヘベレケ状態
の人もいるようだ。
本殿横仮田のせっぺとべ
ここで30分ぐらい跳ねた後、舞台を300m程西方にある御神田に移すため、
笛・太鼓を先頭に一行が参道を行列行進する。この行列の中には、刀を差し田舎
侍を象った高さ2m半ぐらいの大人形がいる。鹿児島県では、「弥五郎ドン」と
呼ばれる高さ6メートル近いものなど、秋の豊穣祭(ホゼ祭り)に神輿の浜下り
の先導としてこのような大人形がよく出されるが、春のお田植え祭りに出現する
のは珍しいのではないだろうか。
道の両脇には出店や屋台が立ち並び、子供達が店先にへばりついてお菓子を買
い求めるなど、昔ながらの祭り情緒を掻き立てる光景が健在だ。
御神田横のあぜ道を行く大人形
御神田に到着すると祭壇でお祓いをし、祝詞を上げ田の安全を祈願する。そし
て本殿と同じように棒踊りなどの演舞が奉納される。また神事とはお構い無しに
せっぺとべの連中は御神田の中に飛び込み、田の中を走り回っている。
各地区には、それぞれ先端にぼんぼりと旗を付けた長さ20メートルぐらいの
切り出し竹の「のぼり」があり、それを倒さないように慎重に手に持って田んぼ
の中を横切る。うまく渡れると見物人から拍手喝采が起こるので、持ち手はだい
ぶ意識しているようだ。
のぼりを持ち田を走る若者
御神田はかなり広く、大勢の人たちが田に入りそれぞれが気持ち良さそうに
せっぺとべを楽しんでいるようだ。男女を問わず、下は幼稚園児から上は中年ま
で、さすがにあまり高齢の人はいないようだが、中には留学生らしき人も何人か
混ざり、いくつかのグループに分かれてみな楽しそうに肩を組み、唄い飛び跳ね
ている。唄の内容はよく聞き取れないが、最後に「・・・オイヤマカチャンゲ、
チョシチョシチョシチョシ・・・」と囃し言葉が入る。
きっとみな、「一生懸命にせっぺとべをしますので、今年も豊作であります
ように・・」という祈りを込めて飛び跳ねているのだろう...。
御神田のあちらこちらで、バシャバシャ泥を跳ね上げる音、そして唄と歓声が
いつまでも響いていた。
せっぺとべは、傍らで指をくわえて見ているよりも参加してドロんこになった
方が絶対に面白い祭りである。