METROPOLITAN MANDOLIN ORCHESTRA

第14回演奏会

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1.日時

2003年10月4日(土) 18:00会場 18:30開演

2.場所

トッパンホール

3.指揮者

小出 雄聖

4.ヴァイオリン

奥村 智洋
1969年東京生まれ。
4歳からヴァイオリンを始め、1984年第53回日本音楽コンクールで第一位・増沢賞を受賞。高校卒業後、奨学生としてジュリアード音楽院に留学。
1990年ワルド・マヨー・ヴァイオリン・コンクール並びにアスペン・コンチェルト・コンクールに優勝。同年カーネギーホールでニューヨーク・コンサート・オーケストラとラロのスペイン交響曲を弾いてニューヨークにデビューする。1992年カール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクール入賞、同時にパガニーニの演奏に対して特別賞を受ける。
1993年ナウムバーグ国際ヴァイオリン・コンクールに優勝し、一躍アメリカ楽壇に認められ、全米各地のオーケストラ(ダラス、ミルウォーキー、ユタ、ニュージャージー、シラキュース、バッファロー、ルイジアナ、コロラド、ナッシュヴィル、ホノルル、ヴァージニア、サンタフェ、エルパソ、スポケーン、ポートランド、スプリングフィールド、ロングビーチ他多数)と共演、ワシントン・ポスト、ロスアンゼルス・タイムズ、フィラデルフィア・インクァイアラーなどの有力紙に絶賛される。1994年2月リンカーンセンターのアリス・タリー・ホールで行われたニューヨーク・デビュー・リサイタルは、特にバルトークの演奏についてニューヨーク・タイムズ紙から最高級の賛辞を得る。またケネディセンター、フリックミュージアム(ピッツバーグ)、ガードナーミュージアム、クラナートセンター等でリサイタルを行い、好評を得る。
その間日本では、NHK交響楽団、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー、オーケストラアンサンブル金沢と共演したほか、浜離宮朝日ホール、東京オペラシティリサイタルホール、宝塚ベガホールなどでリサイタルを行う。 1995年、ジュリアード音楽院室内管弦楽団と共にソリストとして来日。1999年、NHK交響楽団とグラズノフの協奏曲を共演し、好評を博す。
そのほか、スロバキア・フィルハーモニー管弦楽団、台北交響楽団、ハミルトン・フィルハーモニー管弦楽団(カナダ)とも共演する。
これまでに鷲見三郎、堀正文、江藤俊哉、ドロシー・ディレイ、川崎雅夫、フェリックス・ガリミア各氏に師事。

5.曲目

アルバン・ベルク(笹崎譲編曲)/ピアノ・ソナタop.1
○南聡/和声学研究・I op.50‐1(委嘱作品・初演)
○エドワード・エルガー(笹崎譲編曲)/交響曲第1番op.55より第3楽章

クロード・ドビュッシー(笹崎譲編曲)/「前奏曲集(第1巻)」より「さえぎられたセレナード」
○クロード・ドビュッシー(笹崎譲編曲)/「映像(第2集)」より「葉末を渡る鐘の音」
○クロード・ドビュッシー(笹崎譲編曲)/「管弦楽のための映像(第3集)」より「イベリア」
(1.街の道や抜け道を通って  2.夜の香り  3.祭りの日の朝)

6.楽曲解説

アルバン・ベルク(1885〜1935)

ピアノ・ソナタ op.1(1907〜1908)

新ヴィーン楽派の3人、シェーンベルク(Arnold Schonberg 1874〜1951)、ヴェーベルン(Anton von Webern 1883〜1945)、ベルクの中でも、ベルクは、もっともドイツ=オーストリア文化の伝統の上に成り立っている作曲家だと言えるでしょう。彼らは19世紀末の後期ロマン派から出発し無調音楽に至りますが、三者三様のスタイルで12音技法を身に付けていきます。とりわけベルクの作品は、濃厚なロマンと温かい人間性に溢れており、「ヴァイオリン協奏曲」や歌劇「ヴォツェック」は、目眩がするほどの香りを放っています。

ベルクが残した作品は初期の習作を除くとわずか20曲ほどですが、どれも大変に充実した傑作です。彼の師であるシェーンベルクのもとから卒業作品的意味で作曲されたものが、記念すべき作品番号1番を与えられた「ピアノ・ソナタ」です。この曲は、本来は3楽章になる予定だったようですが、1楽章を完成した後「適当なものが思い浮かばない」となりました。相談を受けたシェーンベルクはベルクに、「ではあなたは、言うべき事をすべていってしまったのでしょう」と語ったそうです。この時既にベルクは、後年を予見させるに十分なベルクになっていました。

ロ短調を基本とするソナタ形式によってかかれていますが、調性感はきわめて希薄です。音程関係とリズムで全曲が統一され、冒頭主題が対位法的に展開されます。調性の変化を展開の基本とした従来のソナタ形式に比べ、その手法は革新的です。じっくりと時間をかけて、主題は頂点に向かって進んで行きます。内なる劇性とロマンを秘めて、やがて静かに曲は終わります。

南聡(みなみ さとし)

和声学研究・I op.50‐1 前奏・小唄と舞曲 (委嘱作品・初演)
 独奏ヴァイオリンと4人の独奏者と、3人の打楽器奏者、ハープを伴うマンドリン・オーケストラのための

メトロポリタン・マンドリン・オーケストラのために、今年の春に作曲した作品である。≪和声学研究≫となにやらいかめしいタイトルがついているが、今年の最初にこのタイトルでいくつかの曲を作ってみようと決めた結果である。ニュアンスとしては「和音の繋がりを研究」するというのではなく「響きの調和の探求」というかなりオーソドックスな意味でのタイトルである。べつに、いままで奇妙なバランスの曲ばかり書いてきたのをここに来て突然反省する気になった、というわけではない。(そのようなことは、墓場に入ったときの楽しみにとっておきたい)
ここでは、マンドリン四重奏、ヴァイオリン、ハープ、三人の打楽器が通常のマンドリンオーケストラに纏いつき独自の質感を作ることを、目標にした。これら加えられたパートはオーケストラ的補助パートというわけではない。独立性を持ちながら混交していくパートである。そして、これらのバランスの微妙な変化が「探求」すべき対象であったといっても差し支えない。
曲の形態は副題の示すとおりである。<前奏、小唄と舞曲>となっているように、3つの部分よりなる。<前奏>は比較的見通しの良いフォームを持つ。<小唄>は旋律的運動が多用される、主に軽快な楽想の部分。この最後の部分でマンドリン四重奏は微分音調弦を変化させる。三番目の部分はリズム的要素が主体になるので<舞曲>と命名している。しかし、雅楽のようにゆったり重い速度が基調になっている。当初の構想では、<小唄>と<舞曲>の間にソリストたちによる<カデンツア>を、<舞曲>のあとに<ギャロップ>とタイトルしたよりリズムを強調した部分を置く予定であったが、必然性の確信が持てず頓挫した。
(作曲者記)
作曲家プロフィール
1955年生まれ。東京芸術大学にて野田暉行、故黛敏郎両氏に作曲を師事する。
第53回日本音楽コンクール2位、第1回ミュージックトゥデイ国際作曲コンクール入選
1983年より故八村義夫周辺に集まった若手作曲家、中川俊郎、内藤明美らと同人グループ「三年結社」を結成活動。また、同時期ヴォーカリスト内田房江、彫刻家金沢健一、舞踏家花柳かしほ、コンポザーパフォーマー鶴田睦夫、岩崎真らとコラヴォレーションによるライヴパフォーマンスを東京周辺にて展開。
1986年北海道移住。1990年環太平洋作曲家会議に参加。1991年村松賞。1992年3人の独奏と3群のための《歓しき知識の花園Tb》にて文化庁舞台芸術奨励賞佳作。同年ケルンの日本音楽週間92に湯浅譲二、藤枝守とともに招かれ9人の奏者のための《昼U》が委嘱初演されおよび自作に関する講演を持つ。以降《彩色計画[》(1993初演ローマ)《六花T》(1994初演札幌)《日本製ロッシニョ−ル》(1994初演ローマ)《閃光器官a》(1995初演パリ)《遠近術の物語》(1995初演ボストン)等幾つかの作品が内外で演奏される機会を持ちレパートリー化されCD出版されている。最近は、2001年ISCM世界音楽の日々に《帯、一体何を思いついた?》が入選。バートン ワークショップによって日本初演の機会を得た。。翌2002年の香港大会にも《日本製ロッシニョ−ル》が入選、10月17日に演奏された。
2003年3月にはフォンテック社より作品集のCD「ジグザグ・バッハ」がリリース。
現在札幌在住。21世紀音楽の会会員。北海道教育大学にて後進の指導にあたる。

エドワード・エルガー(1857〜1934)

交響曲第1番 op.55 より第3楽章

「愛の挨拶」と「行進曲威風堂々」などが良く知られているエルガーは、17世紀のパーセル、ヘンデル以来のイギリス音楽界の巨人と言われています。彼の作品は、40歳を過ぎたころから1920年に最愛の夫人を亡くしたころまでの間に集中しています。その特徴としては、ほとんどのチェリストのレパートリーともなっている「チェロ協奏曲」や代表作「エニグマ変奏曲」など、息の長い旋律や大管弦楽を用いたオーケストレーションがあげられます。また、多くのスコアに書き込まれた「Nobilmente(気品をもって、高貴に)」の指定も、その内容を物語っています。

第1交響曲は1908年円熟期に完成され、ハンス・リヒター指揮ハレ管弦楽団によって初演されました。全4楽章構成の保守的な形式ですが、後期ロマン派の作風とは一線を画しながら、精神的な気高さと親しみ易さ、ヒューマニズムが内包された、近代交響曲を代表する作品です。本日お届けする第3楽章アダージョは、安らぎに満ちた主題にあふれており、リヒターはこの楽章をベートーヴェンの偉大な緩徐楽章に喩えたといいます。

クロード・ドビュッシー(1862〜1918)

「前奏曲集 第1巻」より 「さえぎられたセレナーデ」

「映像 第2集」より 「葉末を渡る鐘の音」

「管弦楽のための映像 (映像第3集)」より 「イベリア」

ドビュッシーは、フランスを代表する作曲家ということのみならず、20世紀音楽の進路を決定した作曲家であると言われています。それは、長調・短調といった調性や和声法といった縛りの中から飛び出して、5音音階、全音音階などを自在に駆使しながら、音・和音そのものの響きを前面に打ち出したピアノ曲に特徴的にあらわれています。ドビュッシーのこのような響きは、作曲者の心象風景を伝えるために必然的に産み出されたものです。私たちは耳をアンテナとすることによってさらにそのイマジネーションを広げることが可能です。

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「前奏曲集」は、ドビュッシーのピアノ曲の集大成ともいえます。4年にわたり2巻それぞれ12曲ずつ合計24曲からなる作品集は、ショパンの「24の前奏曲集」を意識したと思われますが、調性による配置がショパンの作曲の上で重要なポイントの一つとなっているのに対し、ドビュッシーの場合、調性的配列はその作曲上何ら関係ありません。しかし、全音音階や教会旋法などのさまざまな音階を使用することで、調性に対する彼の鋭敏な感覚が認められます。第1集第9曲「さえぎられたセレナード」は、冒頭「ギターのように」と書かれた爪弾くようなリズムに始まります。やがて、ためらいがちの愛の歌が流れだしますが、「イベリア」にも登場する騒々しく通り過ぎるリズムに2回邪魔をされながら、それでも負けずにセレナードが続きます。

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「前奏曲集」に先立ち、ドビュッシーは「映像」という題名の曲集を3集書いています。「第1集」「第2集」がピアノ曲、「第3集」が管弦楽のための作品で、いずれも3曲ずつからなる曲集です。このピアノ曲集は中期の代表作で、ドビュッシーは出版社に対して「この曲はシューマンの左、ショパンの右に座を占めるであろうと確信しています」と手紙を書くほどに自信を持ち、またその出来栄えに満足していました。全音音階に基礎をおいた「葉末を渡る鐘の音」は、音楽でありながら沈黙を感じさせる作品です。ほとんど揺れることがない樹の枝、木陰の間から、遠い鐘の音が伝わってきます。

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一方、管弦楽のための映像は、イギリス、スペイン、フランスをイメージした3曲からなりますが、それぞれは個別に出版され、組曲のように連続した作品とは性格を異にします。中でも「イベリア」は3楽章からなる大作で、単独で演奏される機会がもっとも多い作品です。

○1.街の道や抜け道を通って
冒頭からカスタネットの響きを伴って、スペイン風舞曲のリズムが華やかに聞こえてきます。さらに異国情緒にあふれた主題が歌われ、侘しげな挿入主題やおどけた5音音階風の音楽に出会いながら、さまざまに形を変えていきます。ファンファーレに導かれる2拍子の中間部を経ると、静かな弦のトレモロにのって冒頭の主題が帰ってきます。徐々にリズミカルとなり興奮が高まった後、再び静まり上向する音型につられて消え入るように終わります。

○2.夜の香り
ドビュッシーの「印象派」と呼ばれる特徴がよく出ている楽章です。断片的な旋律と全音音階的な和音が、絶妙な音響空間を繰り広げます。冒頭ト音の上にハバネラを思わせる旋律から始まりますが、休止をはさみながら進むため、はかなさを感じます。オーケストラのあちらこちらで断片的なモチーフが始まると、曲は夜の官能的な気分を高めていきます。後半で第1楽章の主題が形を変えて表れ昼の情景が回想されますが、ここでも夜の気分は残ったままです。第3楽章の伴奏音型が暗示され、鐘がなり始めると休みなく次の楽章に続きます。

○3.祭の日の朝
うきうきするリズムが夜の気分を消して、活気づき始めます。祭りの日の朝を迎えたのです。街がにぎわい始め、踊りも始まり、特徴的なピチカートによるリズムがさらに音楽を興奮させて、おどけた旋律は音楽を陽気にさせます。即興的な独奏や踊りのリズムの中間部から、冒頭リズムの華々しい回帰を過ぎると、第1楽章中間部の主題にもとづく慌しい旋律が表れ、一気に興奮を高めて全曲を終えます。

「イベリア」は、これほどまでにスペインを感じさせる作品ですが、ドビュッシーは生涯スペインを訪れたことはありませんでした。このプログラムは手引きとしてご用意いたしましたが、「プログラムの後追いをしなければならない音楽に対して、私は軽蔑感を覚える」とドビュッシーは書いたそうです。どうぞこのプログラムを閉じて、ご鑑賞いただければと思います。

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