その気なれば「ムラ」は変わる
(岩手県前東和町町長) 小原 秀夫著 1998年6月25日 兜莱_社発行
| 著者紹介 : 昭和2年岩手県土沢村(現、東和町)生れ。国立宮古海員学校卆。浜名海兵団(海軍予備生徒)を経て「鹿島」に乗り組む。南方洋上において攻撃を受け、駆逐艦に救助され、九死に一生を得て帰還。戦後、青年団連合会長などを務め、そのリーダーシップを買われ、昭和28年役場に入る。歴代町長の側近として町政に参画、総務課長その他を歴任、昭和53年から助役。昭和61年に町長となる。 以来11年に渡り、独自のイメージに基づいた町づくりを展開。「スピードと実行」をモットーに、従来の殻を破る新機軸を打ち出し、小原町政は東北でも有数の情報発信基地の町として注目を浴びた。平成9年3月長年続いてきた「減反政策」に異議を申し立て、「米を作るも作らぬも農民一人一人の自主判断に任せよ」とする、いわゆる「自主減反」を提唱、全国的な波紋を呼んだ。しかし、半年後に「自主減反」を撤回、同年12月、町長職を辞任。一町民となった今日、「いまなお問題は解決していない。国の農政は改めるべし」として講演等で全国を行脚している。座右銘は「身を捨ててこそ生きる道あり」。前著に「小さな町の大きな挑戦」(東山堂)がある。 |
この本は、姪の推薦で読みました。
彼女は、これまで、あるメーカーの研究所に勤務しておりました。
環境問題に大きな関心を持ち、このままではやりたいことができないと退職し、いま「エコ・リビング コーポレーション」で手伝いをしています。そこでは、「ドイツの自然塗料会社アウロの製品」を取り扱っています。また、「檜を利用した家づくり」について研究している会社とも関係しており、楽しそうです。
この本を読んで、大変感銘を受けました。そして、思いきって転進を図った彼女の心意気も感じ取ることができました。
| 彼女に、私のホームページで、この本 “その気になれば「ムラ」は変わる” を紹介すると連絡したら、次のようなメールを送ってきました。 『メールありがとうございました。 本を気に入っていただけて、嬉しいです。また、本の紹介をしてくださるのは、とても、ありがたいです。農村の方は、今の状況は、確かに大変ですが、自然がある分、いざとなれば、本当は、たくましく、生き残っていけると思います。戦時中などを思い起こせば、よく分かるように、もし、自然災害も含めて、食べ物の流通がストップする状況になれば、本当に危ないのは、都市の方なのだと思います。 ところで、「エコ・リビング コーポレーション」、「ヒノキの家」にも言及してださるのは、とてもありがたいです。 私は、環境問題に大きな関心を持って、現在、「エコ・リビング コーポレーション」という「ドイツの自然塗料会社アウロの製品」を取扱っている会社で働いています。アウロ製品は、職住同源思想の視点で開発され、石油化学系原料はいっさい使用しないで作られています。、また、「檜を利用した家づくり」を研究している会社とも取引があり、家のおもしろさ、重要さを学んでいます。(アウロ社についてはホームページURL:http://www.auro.co.jp/を、ホームページに載せていただく前に一度、見てもらえたらいいと思います) ご一緒にお送りした本、「ドイツを変えた10人の環境パイオニア」今泉みね子著(白水社発行)の方は如何だったでしょうか。アウロ社を創設し、現在も第一線で経営にあたっているH・フィッシャー博士のことも10人の一人として紹介されています。 「檜を利用した家づくり」を研究している会社では、このあいだ、朝日新聞の夕刊に載っていた速水林業のヒノキ(国際森林認証制度で国内で初めて認証された森です)も、利用しています。よく育てられた木は、また、ちょっと違うようです。一度、機会があれば、見学に行きたいと思っています。 ホームページでご紹介いただく件、よろしくお願い申し上げます。 かしこ』 |
この本の表紙の裏についていた「高知県県知事 橋本大二郎氏のからのメッセージ」は私の受けた感銘とほとんど共通しています。
| 橋本大二郎氏(高知県知事)からのメッセージ
東和町という東北の小さな町の名を知ったのは、小原さんが「自主減反」の叛旗を揚げられてからです。 同時にこの本を読んで学んだことは、小原さんの町政に対する素晴らしい熱意です。 「減反」で名を馳せはしましたが、むしろ町民の皆様の願いを心として、着々と布石を続けた行政手腕に小原町政の神髄をみます。 |
私は、拙著「工場管理者心得ノート――その気になったら人は動く!」で組織の活性化の多くの事例をご紹介しております。その私にとっても、この本に書かれた小原町政は、大きな大きな事例として、私を勇気づけるにとどまらず、私に、日本の将来への大きな希望の道を教えてくれるものでした。
激変する社会、価値観が多様化し、生き方の選択肢も多くなりました。この世の中の変化の中で、国民は迷っています。それは国レベルでいえば国民に、地方自治体でいえば県民、市民、町村民に「夢を描いて見せる政治家、官僚、公務員がいない」ことが原因のすべてだと考えています。
政治家、官僚、公務員、そして多くの一般市民までも、既得権の温存の中で生きている。実業の世界では、どんな分野であれ、どんどん実力主義の時代になってきている。○○大学の免状が、その人の将来を保障する時代はとっくに過ぎ去っている。もはや学卒のレッテルだけで、会社は採用していない。また、採用しても将来を保障などしていない。学卒のレッテルだけで、将来を保障するような仕組みを温存している会社は、早晩、この世から消えてなくなってしまうだろうから、そんな会社に入っても将来が保障されたことにはならないのです。
こんな変化の中にある日本で、学卒のレッテルだけで、将来を保障するような仕組みが一番最後まで残るのが、公務員の世界か? 日本の将来をになっている中央官僚の世界が一番遅れている。「何とかならないものか」と思っている時に、この本にであった。公務員の中では、小さい地方自治体の方が早く変化する可能性が高い。
小さい町村のリーダー、首長に、「この本を読んで、頑張って欲しい!」と祈るような気持ちで、エールを送りたいと思います。
(間瀬 誠)
その気になれば「ムラ」は変わる 橋本大二郎知事(高知県)が激賞! |
世の中の事象というものは、 それが本物なら、やがて主流となりいずれ |
トップの哲学によってすべてが決まる時代。 小さな町の町長の決断が歴史を変えた! |
以下、『その気になれば「ムラ」は変わる!』の中から抜粋、引用しながら本の紹介をさせていただきます。
| まずは、小原さんがこの本で言いたかったことをまえがきから紹介 |
はじめに
「岩手県東和町長」――それが平成9年12月までの私の名刺の肩書きである。昭和62年以来3期11年半、私はその任にあった。
この間、東北の山あいにある過疎化の町が「小さな町の大きな挑戦」と称して取組んだ村おこし、町づくりの試みが注目を集めるところとなり、また任期の最終年に打ち出したお上による米の生産調整に反対するいわゆる「自主減反」の方針が、「平成コメ騒動」とか「平成の百姓一揆」とマスコミで注目され、東和町は一気に全国区になってしまった。
その経緯を振りかえるとともに、わが体験や、多くの市町村や農民たちの一所懸命に取組んでいる実例を見るにつけ、じつは、「その気になりさえすれば」、村も町も元気になる、いや日本の社会ですら活性化するのではないかという期待と希望を本書で報告したい。
案の定・・・・・大豊作で、さあどうする
昨平成9年夏、その日はある苦渋の決断を下した日であった。稲の成育でもっとも大切な出穂のはしりである走り穂が例年より早めに出始めていた。暑い夏の抜けるような青空のもと、ひときわ濃い緑一色に東和町の田園が染まって眩しかった。その後も順調に育ち大豊作である。普通なら大いに心躍るところであるはずであるが。
さて、ちょうどこの収穫期をにらんで例年11月に国の減反(米の生産調整)のための目標面積を公表するのが、ここ27年来の通例である。平成10年度に向けても、なお例にもれることなく生産調整の路線が国によって堅持された。それどころか減反規模は、なんと17万6千ヘクタールが上乗せされて全国で96万3千ヘクタールと過去最大の目標値にするという。実に、全国の水田の35%(現行27%)を占める広さで、これは青森県一県に相当するほどの面積である。
案の定・・・・・である。減反政策は改まるどころか、むしろ強化された。全国的にまとまった高まりを見せないだけで、実際には農業現場で「愚策」と批判の声が渦巻いている「減反」に農水省が手をつけないのは、そうするだけの政策変更がなかったということだろう。農業国ニッポンの将来をどうしていこうというのか、将来にわたって日本という国をどう導いていこうというのか、そういう国づくりの展望を語ることのないまま政争や党利党略にうつつをぬかしている政治の貧困は、なお尾を引くことになった。
一方、4年連続の豊作で自主流通米の入札価額は急激に低下し、米価は政府があらかじめ想定した入札下限の60キログラム(1俵)1万6千円という底値の水準である。また、食糧庁は備蓄米が倉庫に山積みとなるので市場で売れる銘柄米以外は政府米として買い入れない方針を打ち出している。
ふだんは黙して語らぬ農民が、「減反はゆるくない。なんとかしてくれ」「このままでは農業経営が成り立たない」とうめくのを聞くにつけ、痛恨の思いがすると同時に、いよいよ我慢の限界にきているなとの実感をおぼえる。「ゆるくない」とはこの土地の言葉で、つまりは「キツい」といううめきの声である。
これが大きなうねりとなって、いつなんどき永田町や霞ヶ関をムシロ旗が覆い尽くすことにならないとは限らない。それほどの限界点に達している。
あえて「自主減反」を世に問うた
さかのぼること平成9年3月、東和町長としての私は勇をふるい、国がおしすすめる米の生産調整という名のもとでの減反政策を批判し、減反するも転作するも農民一人ひとりの自主的な判断にまかせるべし、とのいわゆる「自主減反(自主転作)」を宣言した。
これは国に物申すという提言の形をとったものだが、結果としては一地方の小さい農村が、国の農政に叛旗をひるがえしたような形となり、そのためにわが東和町は全国的に注視の的となってしまった。
その自主減反方針は町民の大半の賛同を得ていたし、全国から暑いエールを贈っていただいた。しかし町政執行にあたって欠かせない地元農協や、町議会の全面的なバックアップが得られず、また国や県を動かすまでにいたらなかったので、半年後の8月この宣言を一旦撤回せざるをえなかった。
結果としてこうなってしまったが、私は撤回してもなお、提起した「自主減反」は正しいものだと信じている。27年の長きにわたって実施されてきた減反は愚策であり、貧政の成せるわざである。
農民が農業に喜びと誇りをもてるようにするには、まずもって農民自身が減反するも転作するも自主的に判断し、選択するところからしか事は始まらない、と・・・・。カリレオならぬ「それでも地球は回る」というのが私の心境である。
農村地域を抱える自治体にあって、減反問題は避けて通れない。それはほかでもない、農民自身の問題であり、農村自体の問題である。豊作なのに喜べないのはどういうことか。一方で減反が強化され、他方で米価下落の圧力が加わって、農民が困窮し、農村が疲弊するというのでは、全くもって間尺にあわない。このまま大豊作が続き、減反政策が続くと2―3年で減反率が50%に達してしまう。そうなれば米作を骨格に成り立ってきた日本の農業は紛れもなく崩壊するだろう。お上にゲタを預けてすむ問題ではない。そこに愚かしい農政がつづくのであれば「ムラ」は自衛するしかない。
必ずや「ムラ」は再生すると信じて
瑞穂の国ニッポンの四季折々に心ふくらませてくれる田園の自然を荒れるがままにまかせておいていいはずはない。田園が荒れるということは、人身が荒れるという事を意味していると思う。
歴史的に見て農耕国家としての日本は良きにつけ、悪しきにつけ「ムラ社会」として成り立ってきた。村も、都市も、企業などの組織もニッポンまるごと「ムラ」のようなものとさえいえる。その原型といえる農村で、人心が荒れ、地域社会が乱れれば、日本という国の根幹を揺るがしかねない由々しき事態となる。
しかし、私は希望を捨てない。その後、新潟県はじめ北陸各地で、独自に農業経営体の方向を追求している農家が、あるいは集配・流通をになう業者が、公然と「減反は農家が自分で決めること」との姿勢を明確して食糧庁と対立している。兵庫県の猪名川農協が減反配分の割当てを農家に強制しないことを決定。これに続く農協が次々と現れている。まだ静かな動きだが、早晩これが燎原の火のごとく燃え盛る様になるに違いない。
季節が巡り、春がきて大地一面に新芽が萌えさかるのを毎年のように見てきた農耕の民は、その気になる。「ムラ」を消滅させないために・・・・。
| 小原さんは減反問題を中心に、この本を書いたつもりでしょうが、私には以下の目次に示されている内容、特に第2章 小さな町の大きな挑戦 に書かれている小原町政の神髄、町長が夢を語り、人々をその気にさせ、引っ張っていくリーダーシップの実際の方が面白かった。10年あまりの間に、「自主減反」を敢然と宣言できるまでに東和町を活性化させた小原町政の方にドラマを感じました。
第4章 その気になっている「ムラ」がある では、東和町以外の日本の元気な「ムラ」が紹介されています。小さい村だからできる元気な「ムラ」づくり、大変参考になると共に勇気付けられ、希望が湧いてきました。 首長がその気になって引っ張ったら「ムラ」の再生はきっとできる。これが私の本書推薦の言葉です。 (間瀬 誠) ―――――――――――――― (注)このメッセージ、“その気になったら「ムラ」は変わる”をご紹介してから、日経ビジネスを読み返していたら2000年5月22日号に格好の記事を見つけました。 |
その気になったら「ムラ」は変わる! 目次
第1章 荒れていく田園
耕作放棄地が増えていく「中山間地域」 農民のその気を殺いでしまった末に 近代農業が農村にもたらしたツケ 「売れる物を作る自由」に逆行した減反 怖いのは人心の荒廃だった 息子に農業を継げといえない このまま・・・田園が消え失せていいのか
第2章 「小さな町の大きな挑戦」
あえて工業団地やベッドタウンを選ばず 悪まで農業に軸足を定めた 魅力あるススんだ町にしたい 農村が育んできた「文化」を復活させよう 「不易流行」を町づくりの哲学に据える 生まれ育った土地にこだわること 歴史にこだわり文化財を保護継承する 1、「流行」の面では、まず人事刷新に着手した 2、「外」へ出て「内」を知ろう アンテナショップをつくる 目玉商品をつくる 町民も、その気になってきた 3、経営視点をとり入れた 交流人口が増えれば副次効果が大きい 海外にもどんどん出て行け 「人材」を登用するに、はばかることなし 田園再生のシナリオを描いていく 第三セクター方式を積極的に導入していこう 「とうわアグリトピア公社」を目玉に起死回生 「農村」と「都市」の交流を積極的に推進する 「健康で生きがいのある暮らし」づくりを 温泉が湧いた! 田園のユートピア「アグリトピア」を想い描く イメージづくりに欠かせない女性と若者
第3章 「自主減反」の旗をあげる
「ムラ社会」の横並びを利用したお上の「減反」 「新食糧法」も救世主たりえなかった 「自主減反」の声をあげた お上は聞く耳をもっていないのか 「最先端行政」の立場だからこそ手を上げた 民意は「自主減反を支持した いったい何のための「農協」なのか アリの一穴を恐れる、国、そして農協 国として為すべきことを為してもらいたい 騙し、騙され、踏み外した道を正す いまこそ「惰性の王国」を脱却しよう
第4章 その気になっている「ムラ」がある
その気になれば希望はある 甘えの構造を脱した宮崎県綾町 日本一の財産「照葉樹林」に町民が気づく この土地を活かして「有機農業と工芸の町」にした 「一村一品」のモデル、大分県大山町 「半ドン農業」で住民の自己啓発がすすむ 産品の生産、加工、流通まで一貫して自分たちの手で 企業発想で経営する農家は元気がよい 東和町は、おいしい米をどんどん作ればいい 減反に反対して元気がいい大潟村自主農家 農業事業体を追求して元気がいいコシヒカリの里 「世襲」を脱却して展望をひらく若者たち 「高原」ならではの農業を確立した信州 「幸せ」が売りのお年寄りだけの山口県東和町 わが町の売りを多く持つことで復活しよう
第5章 日本の農業をグランドデザインする
それぞれの事情で、それぞれの農業があっていい 「農家」を「アグリビジネス」に生まれ変わらせる なにより「田園のユートピア」を想い描くこと 国土に描いた農業モデル基地の中核に 未来に贈ることができる「ムラ」にする
HP/UP0007