<太子の説法岩と霊窟>

白洲正子さんは、昭和44年1月に来坊され、『芸術新潮』に連載の「かくれ里」で教林坊を紹介されました。昭和46年に出版された『かくれ里』は、今なお色あせることなく日本の自然と歴史、伝承の美しさを名文で伝えています。

 

白洲正子『かくれ里 石の寺』より

〜かつては観音正寺の末寺が三十以上もあり、繁栄を極めたというが、現在は教林坊というささやかな寺が一つ残っているだけである〜
〜ここで私の興味をひいたのは、慶長時代の石庭で、これが中心の庭になっているのだが、いきなり山へつづく急勾配に作ってあり、よく見ると、それは古墳を利用してあるのだった〜
〜その石室の巨大な蓋石を、そのまま庭石に使ってあるのだが、不自然でなく、日本の造園の生い立ちといったようなものを見せられたような感じがする・・・・・

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