Liutaio IWAI TAKAO トピックス

2017年5月11日 クレモナに自生するオッピオカエデ(Oppio)

 イタリアには5〜6種類の楓が生息しています。現在バイオリンに使われる多くの楓はボスニア産のAcero di monteで

す。(日本語に訳すと山の楓)ヨーロッパでは一番大きく育つカエデです。今日ここで紹介するoppioと呼ばれる楓は

学名Acero Campestreと呼ばれるものでクレモナ周辺ではOppioと俗名が使われています。この楓はあまり大きくならず

バイオリンには時々使われますが、コントラバスでは見たことがありません。1600年代、1700年代はクレモナの町周辺にも生えて

いたらしくアマティやストラディバリもこの楓でバイオリンを作っています。

私の親方であるパルマのレナート・スコラールヴェッツァは高齢者の大工工房を訪ね、このオッピオ楓を入手してそれでバイオリンを

作ったりもしていました。独特の柔らかい感じの虎杢が特徴です。1992年私がイタリアから帰国した時oppio楓の種を持って帰って

来ました。今年で25年目、鉢植えで大きくならないように盆栽仕立てで元気に育っています。イタリア生まれ日本育ちです。

         

 4月の芽吹きの時期を追って花が咲くまでを写真に撮ってみました。

このオッピオ楓、今は鉢に入っていてそんなに大きくありません。左右の枝の横幅は1m40cmです。私が死ぬ前にはこの楓を

地植えにします。そして150年後未来のバイオリン作りがこの木を製材して楽器を作ればいいと思っています。根元のこぶの所は

独特の杢が出ると思います。


2017年4月9日  カンナ掛け

 弦楽器作りの作業工程は初めは大変ですが、数を作っていくうちに作業工程には慣れて板の厚みや膨らみの形状また、ニスの

成分など微妙な変化はありますが、基本的には作業工程は同じようなものが一生続きます。

 その作業工程の中で私が一番大変だと思っていたのがチェロの横板の厚みだしです。この作業工程は機械でやれば簡単です

が、大規模な工場でない限り、手仕事の鉋削りとスクレーパーで厚み出しを行います。3mm厚の板を1.8mmに削るだけのことです

が、カエデの虎杢は針葉樹のスプルースのように簡単に真っ平らな平面に削ることはできません。カエデの虎杢は木の繊維が波打っ

いて、少しでも気を抜くと逆目がでて、その小さなへこみを取るために全面を削りなおさなければなりません。

私が楽器を作っていて、最も不得意で苦手とする作業工程でした。

 ある日、You-Tubeを見ているとギター製作家の田中清人さんがカエデのギターの横板を和ガンナを使って縦方向にいとも簡単に

カンナ掛けをして厚み出しをしていました。(田中清人さんのyou-tube)

この作業は私にとっては考えられないことで、イタリアのクレモナで習った方法は、カンナで横方向から時間をかけて少しずつ削り、

縦方向にスクレーパーをかけるというものです。一度縦に削ったことはありますが、大きなへこみが出て材料をほかすことに

なった嫌な思い出があります。それゆえ最も安全な方法は、荒取りはカンナですが、多くの時間はスクレーパーで削るしか方法が

ありませんでした。1台のチェロには3枚の横板が必要です。2日間スクレーパーを使い続けると指先が腫れてきて大変でした。

 4月3日の関西弦楽器製作者協会の展示会では田中清人さんに来てもらって会場の一角で、チェロ横板のカンナ掛けの実演を

行ってもらいました。そして、カンナの仕立て方の指導も行ってもらいました。

     

  展示会場での田中清人さんの講習風景

来場者の方たちにはあまり意味がわからなかったと思いますが、楽器を作っている職人たちは田中さんの周りを囲み、彼が

ひと削りするたびに、カエデの削りかすがスルスルと出てくるので、職人の間からオーという驚きの声が上がっていました。

展示会終了後、私はすぐに田中さんの使っていた削り台と同じものを作り、彼に仕立ててもらったカンナを使ってチェロ横板を

こわごわ削ってみました。チェロ横板は貴重なものなので一枚たりとも失敗は許されないからです。

すると「なんということでしょう!」まるでTV番組の「和風総本家」のように、あるいはNHK番組(スゴ技)のように、日本古来の

和ガンナ思わぬ力を発信することになりました。

最も苦手な虎杢のカエデが針葉樹のように削れるではありませんか!

日本刃に受け継がれる、合せ刃の鋭い切れ味は和ガンナに受け継がれていました。

西洋の道具では切れ味が悪いので不可能なことですが、和ガンナではいとも簡単にできることが体感できました。

今まで億劫だったチェロ板のカンナ掛けは田中清人さんのおかげでとても楽しい作業と生まれ変わりました。


2017年4月6日 春爛漫の庭の木

 4月3日4日の関西弦楽器製作者協会の展示会は好評のうち行われました。多くの来場者の皆様ありがとうございました。

来年の展示会は2018年4月22日(日)一日のみの開催です。来年は第10回を迎え、大々的に行う予定です。

4月に入り、わが家の庭では色々な庭木が芽吹き始めました。桜より少し早く、モモが満開です。

   

 満開の桃

風が吹くと金魚の池に花びらが舞い落ちます

桃の花は一本の枝に密集した花が付きとても華やかです。狩野派の絵師が屏風に描いたような枝ぶりになっています。

老木になると、なんともいえない風情がでてくるものと思います。

 

 イタヤカエデの花

5年前にホームセンターで購入したイタヤカエデも花を咲かせました。日本のカエデの花はみんな小さく近くに寄らないと見過ごして

しまいそうな米粒のような大きさの花びらです。公園に植えてあるカエデなどは今月多くの花を咲かせています。秋の紅葉も

きれいですが、春の芽吹きを楽しむのもカエデの大きな特徴です。

もう少しすると、イタリアのカエデも芽吹き始めます。私の庭には3種類の楓があるので、新芽が出たら紹介します。

 

 アーチェロアルジェントのつぼみ


2017年3月 関西弦楽器製作者協会第9回 展示会出展楽器

4月3日(月)4日(火)大阪市中央公会堂での展示会出展楽器バイオリン、ビオラ、チェロ完成しました。

今回で9回目となります。私は第1回から参加していて毎年バイロン、ビオラ、チェロを出展しています。

毎年、恒例になっていている出展楽器の私の作業工程は、前年の冬の間に次の年の楽器を作り始め、汗をかく肉体労働の

多い荒取り作業は12月までの寒い間に終えます。1月2月は白木楽器を完成させ、3月に入るとニス塗りを始めます。

今年は例年より早く4月初めが展示会ですが、ようやく昨日(3月14日)出展の楽器3本が完成しました。

   

 出展楽器 表板側

 出展楽器 裏板側

 

上記の楽器を出店します。ぜひ会場に来て試奏してみてください。展示会の詳細はこちら


2017年3月  オイルニス乾燥促進のためのケース

 

 

自作の紫外線ランプケース 

ケース側面 ファンとタイマー 

 25年前イタリアから帰ってきて京都の亀岡で仕事を始めました。仕事を始める前に仕事場の棚や作業台を作るために、マキタの

万能機を購入しました。手鋸とノミを使ってほぞとほぞ穴を作るのは大変ですが万能機があれば大工仕事の時間を短縮できます。

上の写真にある紫外線ランプケースもそのころに作ったものです。大きさはチェロ一台が入る大きさで、バイオリンだけなら6台

入ります。万能機とは丸鋸と手押しガンナとプレーナーが一体となっている木工機械です。この機械を使うとチェロが入る

大きさの箱でも柱組みにして周りに溝を切り込み、はめ込み式で薄いベニヤ板の壁を付けると軽くて丈夫な箱が作れます。

それにコロを付けると移動も大変楽になります。箱の中は一面に20ワットの紫外線ランプが2本、4面なので8本、160ワットが

取り付けてあります。反射をよくするためにアルミ箔を貼ってあります。油ニスを早く乾かすためには、酸素も必要なので

強制的に箱の中へ空気を入れるものとその逆の箱から外へ出すものが付いています。

ファンは全部で4つついていますが、作動するのは吸気と排気の2個だけです。タイマーを使って1時間毎に作動するファンが

交互に動きます。もしファンが壊れた時、箱の中の温度が上がらないように用心のために4個づつ付けてあります。

この記事を書くために25年ぶりにこの箱をよく見ましたが、ほぞとほぞ穴のはめ込み式で作ったので、何回も引っ越しをして

いるにもかかわらず、箱の強度は作った時のままでした。

最近私が塗っているニスは、塗膜の下層部のニスは油ニスを使って着色します。発色の良い赤はやはり顔料を使ったほうが

効果的です。塗膜の上層部はリノキシンニスを塗ります。油とアルコール混合のリノキシンニスの透明感は、100%アルコールニス

や100%オイルニスより優れていると思います。もっともこれは感覚的なものなので個人差はあると思います。

   

2017年2月に仕上がったバイオリンです。


2017年2月  鳥瞰図の庭

 3年前にちっちゃな物置き小屋を作りました。2年前にもう少し増築しました。昨年の暮れ、その上に登れるように頑丈な板を

敷きました。西洋のエッチングを見ていると鳥瞰図と呼ばれる空の上から見たその町の風景を描いたものがあります。

私もここに引っ越ししてきて3年間庭の手入れを続けその仕事も一段落したので今度はそれらをちょっと高い所から、見おろし

たくなりました。2階の窓からは高すぎて庭の細部が良く見えず、地上からだと低すぎると思いました。

高い脚立を使って色々試してみると視線が今より1m〜1.5mの高くなると良いことがわかりました。

     

階段の側面板 

 踏み板を打ち付けているところ

未完成の階段ですが登れます

 将来的には物置の2階に簡素な屋根と囲い壁を作り、その中に椅子を置き、仕事に疲れた時そこでお茶でも飲み、庭を眺めながら

持ちをリフレッシュさせようと思っています。簡素な小屋とはいえ日曜大工なので完成するには1年位かかるだろうと思っています。

たった8段の階段を上がるだけですが、そこから自分の作った庭を見ていると、鳥はいつもこんなふうに庭を見ていたのかと

新たな世界が見えてきます。


2017年1月20日 元旦サバイバルサイクリング

 

はがれたマウンテンバイクシューズ 

 私は毎年、1月1日にサイクリングに行きます。今年のコースはマウンテンバイクで京都北山に行ってきました。

出町柳→二ノ瀬→夜泣峠→樋ノ水峠→滝谷峠→貴船→鞍馬寺→出町柳

このコースはトレイルランニングと言って山の中を走るスポーツをする人のためのコースガイドに出ていたものでした。

このガイドには樋ノ水峠からのダウンヒルはワイルド系が好きな人に楽しめるトレイルと説明してありました。

行ってみると確かに自転車で行くようなコースではなく、ほとんど自転車を肩に担いで歩かなければいけないコースでした。

でも最近は滝のように汗をかくこともないので、それはとても新鮮で冷たい空気を吸いながら一人で山の中を歩くのは結構

楽しかったです。昨年の暮れ京都は雪が降り、山の中にはそれらの雪も残っていて自然と触れ合うにはうってつけの絶好の

場面が設定されていました。

 ところがある時、左足裏に違和感を感じ足元を見ると、靴底がペロリと口を開いたように半分はがれていました。

そしてこれは困ったと思ったときには全部はがれていました。今回は山の中を自転車を担いで歩くこともあろうと予測していたので

それ専用のマウンテンバイク用シューズを用意していたのですが、20年以上も使用している靴なので接着剤が劣化していた

ようです。こともあろうにこんなところでと今まで楽しかった山歩きに突然暗雲が立ち込めてきました。

はがれた靴底の裏は薄い皮が一枚あるだけであっというまに雪が靴下を濡らし、足も冷たくなっていきました。

コースガイドに書いてあったように、樋ノ水峠の下りはワイルドなコースと変わり何回となく山の中の渓流を横切らないと進めない

コースでした。雪で濡れた岩や苔むした岩をまたいで川を渡る時は、肩に自転車があるだけにバランスが悪く、左足に体重が

かかった時はつるつるとよく滑りました。何回か川にはまることにもなり、雪の積もっている山の中の水は冷たく、思いもよらぬ

事態になっていきました。

一番恐れたのはこの薄い靴底が破れる事でした。破れたら靴下もすぐに破れ裸足になってしまうからです。

一歩一歩歩くたびに過敏に反応する左足の足の裏がその危険性を感じとり、可能な限り左足には荷重がかからないようにゆっくり

ソフトランニング、右足は力強く歩きました。

山の中は日も暮れはじめ、あたりが薄暗くなってくると道に迷ってしまうので不安に拍車をかけました。靴底が破れた時は山で一夜

を過ごし明るくなってからまた歩き始めようか。など色々考えました。

そうなってくると足の冷たさなどは何も感じず、本物のサバイバルモードにはいっていました。そのうち変な歩き方をしているので股関

節も痛くなってくると最悪の事態も考えました。

 ”正月早々サイクリストが京都北山で遭難?” 捜索願が出る事だけは避けたかったので靴底が破れても、なんとしてでも無事に

この山から脱出しなければとの思いで、薄暗い山道をいろんな思いが交錯しながらも必死で歩き続けました。

すると運よく、林道に出くわしました。これで最悪の事態は免れたととても安堵しました。薄暗い林道を自転に乗りひたすら

ペダルを踏みました。

出町柳まで来ると自転車に携帯していた輪行袋を取り出し、自転車を分解して袋に入れ京阪電車で枚方まで帰りました。

電車の中では元旦の夜、下半身びしょ濡れのおやじ、足元をよく見ると片足は靴底のない靴、得体のしれぬ大きな袋を持つ男、

一般の人はその中に自転車が入っているとはわからないだろうし、来ている服だけはなぜか派手な自転車ウエア、周りの人々は

どう思っているのだろうと少しは気になりましたが、私は電車に揺られほっとしている、車内は暖房がきいていて、体も温まり

日々の平常な生活はなんと快適なことだろうと、この日の私は電車に乗っているだけで幸せを感じました。

思いもよらぬサバイバルをした元旦サイクリングでした。

 

よく見ると右の靴もつま先も危険状態   よく剥がれなかった幸運の右の靴

 


2017年1月1日 あけましておめでとうございます

今年の年賀状の版画はバイオリンと鶏をモチーフにしました。そのあとweb用に手書きで色を付け足しこれからサンバでも

踊りそうなちょっと陽気なにわとりに変身させました。もしかしてブラジルに行けばこんな鳥がいるかもしれませんね。

 バイオリンを作り始めて今年で36年目を迎えます。1月3日から平常営業しています。

今年4月3日(月)4日(火)大阪市中央公会堂での関西弦楽器製作者協会展示会ではバイオリン、ビオラ、チェロを出展します。

毎年冬はチェロの荒取りがはかどります。数日前に大仕事のチェロ裏板の平面出しを終えました。

汗をいっぱいかくので、この仕事だけは冬場に限ります。

   

2017年に製作する楽器の途中工程 

冬に元気なノキシノブ

 2日前からわが家では庭の水たまりに氷が張るようになりました。ノキシノブが置いてある水盤にも数日前の雨がたまり

朝は氷が張っていました。毎年霜が降り、寒くなるとこの植物だけは緑は濃くなりすこぶる元気になってきます。


2016年10月25日 50tアクィロットAquilotto ビアンキBianchiの原動付き自転車

   

 新品のタイヤとチューブ

 タイヤとチューブ交換

 原動付き自転車は、日本では昭和40年ごろまで街中でときどき見かけることがありました。、ホンダがスーパーカブを作ってから

多くの人がそれに乗り替え、それ以来街中で走っているのは見かけなくなりました。私が小学生の低学年の頃は自転車に小さな

エンジンが取り付けられ、2サイクルなので白い煙を吐きながら大きな音を立ててゆっくりと走る光景を今でも思い出します。

京都ではその乗り物のことをバタバタもしくはバタコという名で呼んでいました。

 イタリアではエンジンがついている車もバイクも日本より少し早く発達していたので、この原動付き自転車もよく見ると各部分が

大変良く作られています。私がクレモナに留学していた時、自転車が欲しくなり近所のスクラップ工場へ中古自転車を捜しに行きま

した。あいにく自転車はなくこれならあると言われたのが今使っている、アクイロットAQUILOTTOです。山積みの鉄の中から

取り出すとえび茶色の自転車が出てきて、よく見ると小さなエンジンもついていました。手動レバーを動かすと自転車になったり、

バイクになったりするものです。勿論その店で買ったときはエンジンは動きませんでしたが、エンジンとキャブレターを分解掃除

して組み立てなおすと動くようになりました。当時1985年頃のイタリアでは修理工場へ持っていくと、この自転車バイクのブレーキ

シューの張り替えまでやってくれました。

この自転車バイクは気に入っていたので引っ越し荷物と一緒に日本に持って帰り、ナンバーを取得し現在も乗っています。

この前タイヤが古くなったので、店にタイヤ交換をお願いするとこの直径のサイズのタイヤは日本にはありませんと言われました。

今回少し前イタリアに行った時、自転車屋に行きアックイロットのタイヤとチューブを1セットを注文すると、店の人は普通に倉庫に

行き、1分ほどで「はい、これです」と手渡してくれました。50年以上前の部品なのに今も普通に使われていることに大変驚きました。

タイヤとチューブを交換するとエンジンの駆動部とタイヤの接地面のかみあいが良くなり以前よりもよく走るようになりました。

 タイヤ以外にも、カスクといってヘルメットと帽子のあいのこのような珍しい革製のヘルメットを買いました。

これは自転車用というより、小型バイク用に作られたような、妙に頑丈な作りです。

   

 お気に入りのカスク

 蘇ったアクイロット


2016年9月18日 ここにしかないものシリーズその11  天使の輪

   

写真中央の木の上の天使 

 天使の頭上の槇の葉っぱの輪

 この古民家に引っ越してきた3年前、大きな槇の木がありました。庭木は私が剪定するので5mもある木は高すぎて危険なので

2m半ほどに木を伐りました。その木の上に天使を飾り付けました。3年たつと少しづつ新しい枝が出てきて1mくらい伸びたので

針金を使って写真上右のように槇の枝でわっかを作りました。3年越しの構想がやっと形になりました。

2016年9月18日 年に一回の恒例のニス作り

   

酸化重合して固まってきたアマニ油 

 挽肉機でこねているところ

 毎年春になると翌年に使うニスを作りはじめます。

そして夏が終わる頃には写真上のような状態にアマニ油が固まってきます。高槻で作っていた時は、ビルの一室で作っていたので

半年間放置する油にほこりも虫も入り込みませんでした。しかし、現在ここでは網をして不純物の侵入は避けているのですが

その隙間から多くの小さな虫が油のにおいに引き寄せられ、亜麻仁油のなかに入り込んでしまいます。

私は害になるとは思わないのでそのままニスを作りますが、よく見るとゴマを振ったように黒い小さな昆虫が多く入りこんでいます。

このリノキシンニスとは別に純粋な油ニスを作る時、そこに琥珀を混ぜて作ります。

その時使うクズ琥珀の中にも多くの虫が入っています。虫たちのとってとても良い匂いのするものなのでしょうね。

   
炭酸ナトリウムで酸化重合したアマニ油を溶かしているところ

 年季のはいったニスの瓶

上左の写真は琺瑯鍋です。このあとリノキシンニスを作るには硝酸などの劇薬を使うので琺瑯鍋を使っています。

鍋の内側は炭酸ナトリウムを溶かしてあるので新品のように真っ白です。ところが外側は20数年使うとこんなにも年季のはいった

まるでこのような柄が描いてある鍋のようです。新品の時は美しい花柄の鍋でした。

今はもうその面影は消えてあとかたもありません。上右の写真のニスの瓶も年季が入ってきました。

筆を瓶の口でこするたびに、ほんの数量瓶の外にニスが流れ出ます。10年ほど経つと瓶の下の板にくっつき瓶が取れなくなります。

20年目にはニスが下の台を流れ出てしまうので、2枚目の板が必要となります。きっと30年目には3枚の板になっていると思います。

今更ながら年季のはいった道具になってしまいました。

すべてのものは少しづつ変化していることに気付きました。


2016年8月29日  ここにしかないものシリーズその10 工房の換気扇

   
引き戸のガラス戸に桟をつけ換気扇取り付け 工房の内側 換気扇の前近くに机がきます

 弦楽器は仕上がるとニスで美しく光っていますが、ニス塗りの前には白木バイオリンのペーパー掛けの作業があります。

その時工房内はペーパーの削りかすで作業台の上が真っ白になってしまいます。チェロをペーパー掛けするとバイオリンの5台分

のほこりが一度に出ます。コントラバスならバイオリンの15台分のほこりです。

これらのほこりを解決するために私の工房に換気扇を取り付けることにしました。部屋の上には小さな換気扇がありましたがこれで

は大量のほこりを排気しきれませんでした。

解決策として、机の天板の高さに業務用換気扇がくるように取り付けました。机の高さと換気扇のファンの位置が近くにあるので

机のごみをすごい勢いで空気を室外に出してくれます。机にたまったほこりは、大きく息を

吹きかけると舞い上がることなく一挙に室外へ排気されます。排気されたほこりは私の工房前の庭に落ちて自然界にリサイクル

されていきます。これはビルに囲まれて街中では無理ですがここでは多くの緑が吸収してくれます。

取り付け作業では建具屋になり、ガラスカッターでガラスを切り、工房のガラス引き戸に新しい桟を取り付けました。

これからは鋸の切りかすのような空気中に浮遊する粉ほこりはすべて室外へ送り出されます。やっと快適な仕事場ができました。

   
工房外側 四角いアルミが換気扇です   写真中央の四角い銀色が執り付けたものです。案外目立ちません

8月の庭の植物

     
5月 まだ葉っぱだけのハス 6月 茎が1mほど伸び大きな蕾ができます 7月 朝から夕方までは大きな花が開きます 

 2年前知り合いから、大きな水鉢とハスをもらいました。その時、根詰まりを起こしていたので3ヶ所に株分けしました。 

昨年は花が咲きませんでしたが今年は7月には立派なハスの花が咲きました。

今まで目の前で見る事はなかったので今年はハスの花の一生を見る事が出来ました。

ハスの花は花びらが散った後はZライトのような奇妙な形をした花托が残り、その後1ヶ月かけ少しづつ
成長していきます。最後は茶色く縮み、蜂の巣形状の穴には穴の数だけ種が育っています。

     
7月 花が散る前の大変美しいフォルム  花びらが落ち、黄色から緑へ変色しその後1ヶ月かけて少しづつ成長を続ける  8月末。干からびたかと思うと蜂の巣状の花托の中には種が育っている

ハスの花はその他多くの植物と比べても、驚くほど形状が変わっていき、見ごたえのある植物だと思いました。

ハスの花の最後を見ていると、大往生して死んでいく人間と同じようなところがありました。


2016年8月  カルテットの楽器製作中

   

 仕事場の窓からは緑が多く見えます

 製作中のカルテット

 例年ならばこの暑い中で仕事をしていると夏バテ気味になるのですがここ枚方の古民家に引っ越してからは、夏になっても

仕事量が減ることはありません。年中を通していつも気持ち良く仕事ができます。今はカルテットを作っています。

仕上げ段階に入りニスを塗る前にバイオリンを紙やすりで磨くのですが、楽器の数が多いと紙やすりを持つ右手の親指と

人差し指も削ってしまい、皮膚が薄くなり、皮膚の色が肌色からピンク色に変わり、物をつまむのが億劫になります。

長年楽器を作っていますが、私はなぜかいつも白木が完成してニス塗りに入る前の段階のこのとき、ひと仕事した気持ちが

こみあげてきます。この年になって仕事場の環境は仕事量に大きく影響することがわかりました。

   

 夏の暑さのなか涼し気の咲く百日紅

 中央の黒いものが熊ん蜂です

 8月の暑い夏は百日紅の花が咲いています。毎朝水やりの時に百日紅に近づくと、ぶんぶんと音を立て熊ん蜂が花の蜜を吸いに

きています。なぜかこの花には他の蜂は寄ってきません。写真を撮る時は近づかなければならないので大変スリルを感じました。


2016年7月2日 岩井製作バイオリンの演奏 you-tube

   

 千葉安純さんに私の工房にて演奏していただきました。以前にも一度  チャイコフスキーの「懐かしい土地の思い出」を弾いて

もら ました。今回は2回目でバッハ無伴奏バイオリン:パルティータno2.BWV1004 Allemanda Correnteです。

録音日は2016年6月25日です。

使用楽器は2009年に高槻で作ったグアルネリ・デル・ジェズモデルのバイオリンです。ニスはオールド仕上げです。

このバイオリンの内型は1983年から使っているお気に入りの型です。今も使っています。

もとになっているのはピンカス・ズッカーマンが以前使っていたバイオリンで現在はクレモナの市の所蔵品と なっています。

一枚板のカエデでできていてとてもきれいなバイオリンです。クレモナ市のストラディバリ博物館に展示されています。

千葉安純さんの演奏をyou-tubeにupしました。you-tubeのページ

庭の赤松 

   

 剪定前 松の葉がいっぱい

 剪定後 葉が減り小枝がよく見える

 日本の海岸線には大きな黒松がよくあります。一般には関東には黒松が多く、関西には赤松が多いです。

黒松には木の皮がこげ茶色で葉先はとがっていて手のひらでつつくと痛いです。

一方 赤松は女性的で幹もひょろ長く皮は赤茶色です。葉は細く、手で触ると曲がって黒松の葉のように痛くないです。

私の住んでいる枚方の津田では時々植木職人が庭の剪定で松の樹形を整えている光景を目にします。

私の家の庭にも地植えの松が一本あります。私は植物が好きなので、この松の剪定も自分でやっています。

植物は別にほったらかしていてもそれなりに成長して生き続けますが、なぜか私たち日本人は外国の人々とは違って庭の手入れ

だけはこれでもかというほど時間と手間をかけます。特になかでも松は樹形を見たり枝ぶりを見たり、葉をすいたり新芽を摘んだり

多くの作業があります。松はこまめに葉を刈り光を多くあて、枝と枝の間に風の通りが良くなると新たに新芽が出てきて複雑な

くねくねとした枝が増えていきます。すると見るからに古くて存在感のある古木の感じが、まるでオールドバイオリンのようになります。

その横に灯篭があり下には苔があると、これぞ「わびさび」のザ・ニッポンの庭が出来上がります。

何も京都の竜安寺や苔寺に行かなくとも、庭に1本の松があれば、手の入れ方次第で名園に負けない風情のあるものを作ることが

でき大きな楽しみとなります。

プロの庭師による庭も素晴らしいですが、自分でやりだすとちょうどアマチュアバイオリニストのように聴く楽しみの他に弾く楽しみを

体験するとこれはやめられないものになってしまいます。

   

2/3ほど葉っぱを取り除きます 

 時々梯子から降り、全体的な樹形の確認をします


2016年6月9日 ここにしかなものシリーズその9 豆カンナの取っ手

   

木魚の取っ手の ないとき!

 木魚の取っ手の あるとき! 

 今チェロを作っています。最近はバイオリン、ビオラ、チェロなどの楽器を複数同時進行させ、何かの楽器を少し作っては、

作業を中断し、また他の楽器を作って1台の楽器を作るのにできるだけ放置時間長くして楽器製作に於いても木をねかせながら

作業をしています。この方法のほうが少しよく鳴るような気がします。 

 以前はどんな道具を使っても指の力も充分あり手がだるくなることはなかったのですが、最近は握力が少し落ちチェロの

豆カンナなどは使いづらく感じるようになりました。荒取りは和カンナを多用しますが仕上げは洋カンナのほうがカンナの

頭から刃までの距離が短いので使いやすいです。

そこで指の力だけでなく手のひらでも押せるようにと木魚のような取っ手を作りました。自作なので自分の手に合うように作ったので

とても使い勝手が良いです。久しぶりに良い道具ができました。

   
 ブレーキカバーの ないとき!  ブレーキカバーの あるとき!

上の写真の自転車は私がイタリアに住んでいたとき愛用していたスポルティーヴォという軽快車です。

今は日本に持って帰ってきて時々使っています。この前 30数年ぶりに後ろブレーキのワイヤーが切れました。ホームセンターに行って

ブレーキワイヤーを買ってきて自分で交換しました。その時あらためてこのイタリア製のカンパニョーロというメーカーのブレーキを

しげしげと眺めていましたが、なんともイタリア製らしく大変こったデザインで自転車の部品としても大変美しいものと思いました。

何で自転車のブレーキごときにこれだけの複雑なリンク機構を使い、ブレーキをかけた時、左右のブレーキゴムが均等に 自転車リムを

はさみ込むようになっているのだろう。部品数は多くなり、大きなアルミの塊から削り出して作らなくてはならないのでブレーキの値段も

高くなり、かといって制動力は普通のブレーキとなんら変わりません。

違いは美しさだけです。このブレーキはイタリア国内でも値段が高いこともあり生産数が極めて少ない商品となりました。

今となっては自転車マニアたちは躍起になってこのタイプのブレーキを探しています。私はちょうどこれが生産された時期にクレモナに

住んでいたので私の持っているロードレーサーもこのスポルティーヴォもこのブレーキが付いています。

 ちょっと自慢をしたかったのでここで紹介しました。

世界中には多くの自転車部品メーカーはありますが、美しさの点においてはこのブレーキは類をみないものとなっています。


2016年6月1日 庭の動植物 

 

キアゲハの幼虫 

 私の日課は毎朝草木に水をやることです。ちょうど庭に井戸がありその水を使ってシャワーホースからゆっくりと水を出し、

物をよく観察しながら水やりを楽しんでいます。

昨年も今年も5月になると柑橘類やパセリに蝶が産み付けた卵がかえってきます。

最初は5mm位の小さな芋虫ですが、あっという間に葉っぱを食べつくし、5cm位のきれいな色の芋虫になります。

よく見るとすごい勢いで口を動かし、おいしそうに葉っぱを食べています。糞の量も大量です。

そしてある時期になると、急にいなくなりどこかでさなぎになっているものと思われます。

アメリカではポップアートが盛んですが、この芋虫の模様を見ていると実は何千年も前から自然界にはポップアートがあったことに

驚かされます。その芋虫たちは夏までには成蝶となって羽が生え、きれいな模様を付けてそれがひらひらと庭を飛び回るのだから

ポップアートよりも驚きを感じます。

庭の草木の水やりが終わると、次はメダカと金魚の餌やりが待っています。私が餌をやりに行くとスイレンの葉っぱの下から

待ってましたとばかりに魚たちが出てきます。それと同時にアメンボは驚いて逃げて行き、草むらに隠れていた蚊たちは、私の

足首から血を吸い取ります。毎日魚の他にも蚊にも餌を提供していることになります。

まあこのくらいの量なら喜んで差し上げます。

スイレンの花は朝早くは蕾の状態ですが、太陽が出てくると花が開き、夕方にはけっこう早く花が閉じています。

私は毎日仕事をしながら少し疲れると庭に出て、芋虫のえさの葉っぱはまだ残っているか、鷺やカラスが金魚を捕食しにやって

来ないかを確認しています。

1ヶ月ほど前には2年半かけて体長2cmから5cmへと大きく育った金魚を鷺が来て食べていきました。小さな金魚は残っていたので

ほっとしました。ちょうどその時期はスイレンの葉っぱも少なく鳥が空から見ればおいしそうな太った餌があるのはまる見えだった

のでしょうね。

これから冬までは金魚はスイレンの葉っぱに守られて安泰であってほしいと思っています。自然界は厳しいなあ。

食べられた金魚はかわいそうですが、私も毎日3食ご飯を食べています。鷺にだけ魚を食べるなとも言いにくいです。

 

 スイレンの花


2016年5月 関西弦楽器製作者協会展示会

今年の展示会には私はバイオリン、ビオラ、チェロを出展します。

この展示会では出展者の楽器弾き比べがあります。私の試奏時間は以下です。

ビオラ  5月5日(木) 午後5時〜5時半

バイオリン 5月6日(金) 午後5時〜5時半

チェロ  5月7日(土) 午後3時〜3時半 展示会チラシpdf

 


2016年4月 庭の花シリーズ、 バイオリン、自転車

庭の花シリーズ 

4月2日 わが家の庭には10種類ほどのカエデがありますが、毎年早く花がつくのはミヤサマカエデとイタヤカエデです。

カエデの花はあまりにも小さすぎて離れてみていると花が咲いていること自体がわかりませんが、近づいて凝視するときれいな

花が咲いています。

   

ミヤサマカエデの花 

 イタヤカエデの花

バイオリン 
4月30日(土)大阪のいずみホールでアンサンブルモーツァルティアーナの第77回定期演奏会が行われます。

 

   
 2007年岩井作バイオリン  2007年岩井作バイオリン  2007年岩井作バイオリン

花房俊昭氏のバイオリンは2007年に私が高槻で作ったものです。

自転車

 最近は自転車に乗ることがめっきり少なくなりました。 休みの日も外出せず庭で植物の世話や金魚鑑賞することが増えてきま

した。それでも自転車が好きなので、大昔に使っていた自転車のユニホームを額に入れて部屋に飾っています。

私は1981年にクレモナに行きましたが、その前年下見のためにテントを担いでイタリア視察旅行に行きました。その時点では

クレモナで長期滞在できる予定もなかったので、高い飛行機の切符代を払ってイタリアまで来たからには、最悪自分の趣味である

憧れの自転車店は絶対見届けなければと思っていました。そこで時間を見つけ、イタリアミラノ、クザーノにあるデ・ローザの店に

行って下の写真のユニホームを買いました。今こうやって思い出すとこのユニホームを買ってから35年も経ってしまったことに

なります。よくも紛失もせず残っていたものと改めて思いました。

もう一つの服はプリオーリのユニホームです。1ヶ月程前、大阪のビーチクラシカという自転車店で売っていました。この店は

イタリア人がやっていますがとてもマニアックな店です。なぜならクレモナといえばイタリアではバイオリン関係のことを除くと

何の変哲もない小さな田舎町です。そこで自転車店をやっていたのがフランコ・プリオーリです。それもプリオーリが作った

1970年代のユニホームが大阪の松屋町で売っているとはプリオーリが聞けばびっくりすると思います。

インターネットの時代とはあるところは素晴らしいと思います。店で見つけたのではなく、何気なくインターネットでたどりついた

物です。今、クレモナに行ったとしてもこのチェーンステッチされた手作り感のあるロゴマークのユニホームは見つかるものでは

ありません。自転車に乗らなくてもこのユニホームをちらっと眺めるだけで大変楽しい気分になれます。

   
 1980年に購入した自転車ユニホーム  1960〜70年代の自転車ユニホーム


2016年3月 桃の花

 わが家の庭には 大きな桃の古木があります。よく見ると桃の木は梅や桜より花数が多く、木の印象はとてもはなやかです。

音楽用語なら、梅がNobilimento(高潔で気品がある)、桜がPurezzamento(清純優雅)、桃はGenerosamento

(寛大で雅量がある)です。

私の桃はまだ花が咲かず蕾が大きく膨らんでいます。あと10日くらいで開花しそうです。2軒隣の庭では写真右のようにすでに

桃が満開です。

 

 

 わが家の桃のつぼみ

 2軒となりの庭の桃

2013年3月 白木バイオリンとチェロ完成

 バイオリンとチェロ白木仕上がりました。この2本は野村研究所で熱化学還元処理された材料で5本目と6本目になります。

野村先生と一緒に仕事を始め、2013年に第一号バイオリンを作りました。そして笹野さんは弓を一本作りました。この記念すべきバ

イオリンと弓はフラッグシップJAPANの辻さんの口添えでヴェンゲロフが教えているスイスにあるメニューインアカデミーに寄贈しま

した。学校の所有物となり生徒が使います。

   

2013年 秘書の滝さん、野村先生と私 

2013年 ヴェンゲロフと
第一号バイオリンと私

これからもこの野村式熱化学還元処理をした楽器を作り、より良い音のでる楽器を研究します。

近い将来野村先生が論文を発表され、この処理を使っての楽器作りが広がっていくことと思います。

 


 

2016年3月白木完成 バイオリンとチェロ 

2015年 野村研究所内にて 野村、笹野、岩井


2016年2月 庭の花 

   

 梅によく似合った植木鉢

 早咲きの梅の花

 2月は梅の花、毎年今頃になると早咲きのピンクの梅が開花します。あと10日ほどすると満開になると思います。

私の関心は梅の花だけでなく根元に群生している緑青色のヒメレンゲエゴケです。

この苔はいつも梅の花が咲くころ生き生きとしています。写真に写っているように昨年よりも少し縄張りを広げ、ラッパ状の

形状の大きさを競い合っているようです。毎朝霧吹きで苔に水をやるのが楽しみです。

   

15年目のヒメレンゲゴケ

梅盆栽購入時には苔はありませんでした

2016年2月 作業台の改良

   

長さ1,25mの柱を取り付けました 

バイオリンの時は外して使います 

 私は作業机を2台持っています。一台は2mほどある大きな机でもう一台は幅が1m25cmの小さい机です。

この小さい机はマンションンの一室で仕事をしていたとき大きい場所はとれないので、シオジの木で自作した作業机です。

今チェロを作っていてチェロの荒取りの時に机が小さいのでチェロがはみ出していしまい作業がやりにくかったので、木を加工して

脱着式で作りました。このことにより8.5cm手前に広くなりました。仕事を長く続けている人はみんな気になっていると思うのですが、

自分の座っている前の場所は特にナイフやノミや鋸の跡が少しずつ付いて机の表面が傷だらけになってきます。

そこで私は脱着式のまな板のようなものを作り、机の天板が減りすぎた時はそこだけを外して板を張り付けるように考案しました。

このことにより机の傷を気にすることなく作業ができるようになりました。

 そのほかに10段式のスチール棚を作業机の下に入れ込んでいたのですが、灰色では床のモザイクと統一感がないので、

厚さ6mmの欅の板を貼り付けました。10段もあるので目印のために3ヶ所チーク材も使いました。また西洋式の作業台は万力が

机についていて、荒取りの時は鉄の金具で楽器を挟みます。その鉄のひっかけも黒檀とカエデで自作しました。

楽器にやさしい万力のひっかけも作ってみました。写真左下の3本(万力のひっかけ)のうち、左2本はカエデと黒檀でできています。

   

前後スライド式で取り外し可能なまな板

 ケヤキとチークの10段ひき出し


2016年1月 庭の花

 今は1月なので私の庭では「さざんか」がたくさん咲いています。

ざんかは花の咲いている時期が結構長く、花が散っても次から次へと新しいつぼみが膨らんできます。

昨年12月からずっと咲き続けています。そろそろ梅の花のつぼみが膨らみ始めたのでこれと入れ替わるまでさざんかは咲き続ける

と思います。

   

仕事場の中からもこのさざんかが
よく見えます 

近くによるとたくさんの蕾があります 

今年の冬は暖冬なので私が育てているアボカドも例年になく元気です。例年なら霜が降りると葉っぱが枯れ落ちるのですが

私の住んでいるところでは今年は一度も霜が降りていません。庭の雑草も例年よりなんとなく冬場なのになわばりを広げているように

感じます。やはり冬は氷が張るくらい冷えてくれたほうがすべての雑草が枯れ季節感をはっきりと感じ取れます。

   

将来盆栽となるアボカド 

これらは普通の直幹のアボカド 

暖冬といっても私の仕事場は古民家なのでそれなりに寒いですが、今ちょうどチェロの荒取りをやっています。

ノミかカンナを持っている時は半袖に着替えないと汗だくになるくらい力仕事です。削りかすはマキストーブの燃料となっています。

   

チェロ裏板荒取り 

 工房の暖房器具 ダルマストーブ

下の写真の鉋はチェロやコントラバスの荒取りに使う取っ手付きの四方反り鉋です。これは40数年前に茶木弦楽器で働いていた時

に仕事場にあるものを参考にして作ったものです。チェロが仕上がるにしたがって写真にあるようにちっちゃな鉋を使っていきます。

長年使っているので、取っ手の部分をよく見ると黒光りしてきました。写真左下の大きなカンナは割れてきたのでボルトをはめ込んで

今も使っています。

写真右の小さな鉋は、数年前取っ手が壊れたので新しい取っ手を付け替えて使っています。

堅い樫の木でもすり減るので木の中で一番堅い黒檀のコグチをはめ込んで修理して使っています。

   
 


これらの道具はイタリアに行く前から使っているので大変手になじんでいます。実は普通みんなが使っている真鍮製のヨーロッパ製

の鉋より優れもので私はチェロを作る時はこれらを多用しています。


2016年1月 元旦サイクリング

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 今日は一月一日なので例年のごとく家の近くを自転車で走りました。

私の住んでいるところは大阪の枚方ですが自転車で15分走ると奈良県の生駒に入ります。山の中を走ると京都府の精華町に

出て周回コースなのでそのあと京田辺市に入り、枚方の穂谷に出て家のある津田へ戻ってきます。

2時間15分で奈良京都大阪と2府1県を回ってきました。

枚方へ引っ越してから昨年の1年間、天気の良い日は毎朝30分間運動しています。家を出ると、サイエンズヒルズの上にある

空見ヶ丘公園まで15分間上り坂が続きます。そこで自転車から降りて枚方盆地を眺めながら柔軟体操をし、腕立て伏せを50回

屈伸運動を50回して帰ってきます。家についてからは腹筋台で50回運動します。これらの運動すべてがちょうど30分くらいです。

初めの頃は1時間運動したこともありましたが疲れがたまり長続きせず、30分が今の私にはちょうど良い運動量と分かりました。

1年続けると体力も随分と戻り、今日は2時間15分も走りましたがそれほど疲れも感じなくなりました。

これをずっと続ければ私の目標としている、死ぬまでにあと200本の楽器が作れる気がします。

今日も午後からはいつものように普通に仕事をしました。

     

サイクリスト歴50年の私

今日走ったコースの途中に珍しく二宮金次郎の石像がありました。


正月になってもまだ実をつけて 野鳥の餌となるであろう山柿

 

 

奈良県生駒市路線バスの

バス停名「傍示(ほうじ)」そこになぜか

左写真のように二宮金次郎の石像が

ります。昔はよく学校の校庭にありました。

田舎に行けばまだ古い物が残っています。


  2015年12月 野村式熱化学還元処理  新しい音を求めて 

 

野村式熱化学還元処理された
バイオリンの横板と表板

 3年前の2012年春から滋賀県にある野村研究所の楽器用材研究会に参加し始めました。

そして今年2015年から「楽器用木材処理プロジェクト」がたちあげられ、私はバイオリン職人としてそのプロジェクトに

参加しています。野村隆哉先生は木材の研究者で私は楽器製作の職人です。この異質なものが一緒になって新しいものを

発見しようとしています。科学者は数値やデータによる実験結果を通し物事の仕組みを解明するのが目的であり、かたや職人は

どんな数値よりも勘や経験が最上のものと思っています。

このふたつの全く違うものが融合した時、今までになかった新しいものが作り上げられる気がしています。

私の目指すところはオールドバイオリンに負けない音色のバイオリンを作ることです。

これからもさらに経験を積み上げより良いものを生み出そうとわくわくしています。

   

チェロとバイオリンの表板と裏板 

 バイオリンの裏板 一枚板


2015年11月  泣く子も黙るゾンコラン(ZONCOLAN)峠

   

北イタリア・フリウリ地方
ゾンコラン峠の登り口の村 オバーロ 

 宿の名前は「サイクリストの家」

自転車に乗って標高の高い山をのぼることを自転車乗りはヒルクライムと呼んでいます。最近では日本でもツール・ド・フランスや

ジーロ・ディ・イタリアがTV放映されていてアルプスやドロミーテを自転車で走っている映像を見ている方もあると思います。

映像を見る限りではきれいな山をゆっくりと景色を見ながら登っているように見えますが、標高2,500mまで自転車で登るのは

マラソンをするのとよく似たものだと思います。苦しいけれど楽しいのです。

私はこの20年間毎年どこかの峠をチャレンジしています。2015年の今年は8月に北イタリアの東側になるドロミーテのゾンコラン峠を

走ってきました。そこで泊まった宿の名はCasa del Ciclista (サイクリストの家) その名の通りただ寝るだけの簡素な部屋が

あるだけです。此処の宿には世界中からヒルクライマーが泊まりに来るとオーナーが話していました。

ひとりでも20人でも団体でも宿泊は可能です。食事は別館で山料理がたらふく食べれます。

   

私の泊まった個室 

合宿所のような団体部屋 

 今回はこの宿で忘れられない思い出が出来ました。ゾンコランを走ったこの夜、夕食はイタリアの山料理でシカ肉料理でした。

スパゲッティもお皿にてんこ盛りでケーキも大きく、すべての量が都会の食事の倍くらいありました。。私はそもそもアルコールは

体質的にあっていません。しかしこの日はこの宿に泊まった日本人の第1号になったことで、やたらと宿のオーナーが私に

話しかけてきてワインを次々と注がれたのでついつい私の許容量を越えて飲んでしまいました。

案の上、この日は激坂のせいで私の内臓は疲労していたらしく、食後すぐに寝て夜中に目が覚めると気分が悪くなり、あわてて

トイレを探すと、私の部屋は2階にあり、トイレは1階の共同トイレで口を手で押さえなら慣れない廊下を走り、階段を降り

一度宿の外へ出ました。建物は大きくトイレまではまだ10mもあり、私は暗闇の中に夕食で食べたものすべてを吐き出して

しまいました。山中の宿で街灯もなく真っ暗で何も見えず、トイレで口をゆすいでベッドに戻りました。

翌日目が覚めると体調も戻っていて、気分よく朝食をとるために別館の食堂に行きました。

階段を降りると目の前にはきれいな芝生がありました。

そして少し歩くと、消化不良のスパゲッティが、きれいな円形をして誰かが置いたように残っていました。

思い返すと前日のお昼この宿に着いたとき、ちょうど宿の周りの草刈りをやっていました。

私はこれはまずいと思い、サンダルの先でつついてばらばらに蹴散らしましたが、前日刈りたての芝生だけに草の間に隠す

ことはできませんでした。でも隠さなくても山の中なので、すでに大きな鳥が来て私が去っていくのを待っていました。

とにかく山の食事はおいしいので食べすぎには注意すべきと思いました。

 話を戻して、数年前はフランスアルプスのラルプデュエズ峠、標高2,720mのイゼラン峠、イタリアのモルティローロ峠など

走りました。これらの峠はヨーロッパでも激坂峠で有名で、多くのサイクリストやバイクツーリングたちがバカンスを兼ねて

遊びに行くところです。しかしゾンコランだけは「恐怖の坂道」との異名を持っています。この山は景色も特別よくないので

ヒルクライマー以外は行く人もなく有名な観光地ではありません。ただ急な坂道が延々と続くだけです。

私も雑誌やYou-Tubeなどで少しの情報はありました。以前私は日本で一番の激坂である暗峠を走っているのでこれ以上の

激坂はないとたかをくくっていました。

世の中には上には上があるもので、実際にゾンコランを走ってみると暗峠が延々と3倍続いているような峠でした。

私は今回初挑戦のゾンコランでは何ヶ所かの急坂では自転車から降り、歩いて登らなければなりませんでした。

これはヒルクライマーにとって大変屈辱的なことで、山頂に着いた時も何の感激もありませんでした。

その時そこで思ったことは体重をあと5〜6kg減量し相当なトレーニングを1年間続けてでも、もう一度ゾンコランを制覇したいと

思いました。

以前の暗峠のことは「新・自転車コーナー」で書いています。(2010年8月の記事 暗峠その1、その2)

あの時のことは忘れもしない短期間で急激な減量をやったので頭髪は抜け落ち、その後眉毛までなくなり大変なことになりました。

今では眉毛は戻り、円形脱毛症もなくなりました。その後大量の白髪が増え私の頭髪は白黒のぶちになり、今は丸刈りのままです。

しかし大きな代償を払ってでも暗峠に再挑戦したことは大変良かったと満足しています。

いつか再挑戦するゾンコランでは入念な準備が必要だと思います。

私の家は枚方市ですが隣に交野市があります。この交野から奈良の生駒に抜ける峠が結構激坂なコースです。

暗峠までとはいかなくても私が走った限りではそれに次ぐ激坂です。家の近くにこんな素晴らしいトレーニングコースがあるなんて

もう一度ゾンコランに再挑戦せよとの運命のめぐりあわせと思います。一年がかりでこの峠を50回走れば相当の脚力もつくだろうし

この1年は息を切らせ汗を大量にかきながらみっちり楽しめそうです。現在では「ゾンコランへの道」と書いたノートを作り、

走るたびに体重の変化などを記録しています。ゾンコランにとりつかれてしまいました。

   

ゾンコラン峠山頂 

エディ・メルクスの写真の看板が途中にあります。他にも有名なヒルクライマーの
看板が何枚もあります


2015年10月 ここにしかないものシリーズその8   手作りバックロードホーンスピーカー
  
  荷物の整理をしていたらずいぶん昔の写真と資料が出てきました。それは下記の写真でチェーンソーを持っている私です。

撮影日を見ると、1997年4月7日と記してあります。

私は楽器作りを始める前、オーディオファンでもありました。私の友人に渡辺さんという人がいてこの人からオーディオのことを

学びました。その頃私はラジカセしか持っていなくて、渡辺さんの家に行くと立派なステレオがあったので、その音を聞いた後は

心が洗われる思いでした。世の中にはこんなに美しい音があるということをそこで体験しました。1970年代のことです。

 その後、作家五味康祐の「西方の音」を読み、人間はこんなにも音に夢中になれるのかと思いました。またタンノイのオートグラフ

というスピーカーの存在も知りました。そのあと私はイタリアに行ってバイオリン製作を学び、12年後帰国した時に渡辺さんに会い

彼からオーディオ情報誌「別冊FMfan」No.11-1976年とNo.19-1978年をもらいました。そこにはタンノイオートグラフの図面とその

雑誌の編集部の製作体験記が載っていました。私はその図面を頼りにオートグラフを自作しました。

実際には初めに縮小したミニチュアスピーカーを作り、その後、原寸大を作りました。私の場合は、オリジナル通りではなく寸法の

変更も行いました。補強板を入れたりフロントホーンは無垢板の削り出しで作りました。

より良い音を作るためです。

   

チェーンソーを使ってのホーンの
カーブ出し 

荒取りされた枠を2枚づつ接着する

 

 11枚を接着しホーンになる

工房に鎮座するバックロードホーン
自作スピーカー
超高音と超低音を追加し3ウエィに
なっている

このスピーカーを作る前にもオーディオ雑誌などでよく出ていた著名な評論家の言うとおり、いくつかスピーカーは作ってみましたが、

どれも満足がいくものではありませんでした。今から思うと材料の無駄使いでした。

それらと比べるとオートグラフのバックロードは3次元的な立体設計がよくできているので16年たった今でも飽きることなく1週間に

一回は鳴らしています。

家にいながら普段の生活で良い音が聞けるのは何とも幸せなことです。私は61才の現在でも週に1回バイオリン演奏を習いに

行っています。これはバイオリンをより深く知るためです。音に関してとどまることなく追及は続きますが、それらのきっかけを

作ったのは本物のバイオリンの音ではなく、あの時聴いた渡辺さんの部屋の音が始まりだったように思います。


 2015年8月  ここにしかないものシリーズその7 イタリアの公衆電話 Gettone Telefonico

 この公衆電話は1980年代までイタリアで普通に使われていた公衆電話です。このころは写真のように公衆電話専用の

コインがありました。電話をするときはバールかたばこ屋に行って1枚100リラのジェットーネコインを買って電話をしていました。

このジェットーネコインは100リラの価値があるので買い物をするときにも使えました。

イタリアの公衆電話には時代的に変遷があり、1990年代にはいるとジェットーネがなくなり、100リラで電話通話ができる

ようになりました。それと同時にデジタル公衆電話になり、プッシュボタンに変わりました。

2000年ごろになるとテレフォンカードがでてきてタバコ屋やキオスクでカードを買っていました。

2015年ではテレフォンカードがなくなり、20セントユーロのみが公衆電話に使用できます。

現在でも公衆電話機にはテレフォンカードの挿入口は付いていますが、クレモナの町ではテレカを売っている店は

見つかりませんでした。

   

 今の私 卵型の顔と四角い電話機

 イタリアの電話用硬貨ジェットーネ

このジェット-ネの公衆電話は、私がイタリアに住んでいたころ、骨董市を廻っている時に無造作に道端に置かれていたものです。

値段を聞くと「1,000円!」と言ったので骨董好きの私は14kgもある金庫のような公衆電話機を家まで運んで帰りました。

日本なら公衆電話機が骨董に出ることはないだろうし、日本人の私としてはとても珍しいものを手に入れてうれしかったです。

その後、この電話機を当時のイタリアの工房に備え付け、これまた日本ではありえないことですが、

これを家で使えるようにしてほしいとイタリア人の知人に頼むと、そんなの簡単だと言って私の願いをかなえてくれました。

私は帰国する1992年までこの電話機を実際に使っていました。それから長い年月が経ち今年イタリアに行った時、

私の家の倉庫の奥にこの電話機が眠っているのを発見し、懐かしさのあまりイタリアから大阪へ郵送しました。

現在この公衆電話機は枚方にあります。

ただFAX機はついていないので利用するのは少し不便で飾り物となっています。

   

  公衆電話機の外部

 公衆電話機の内部

古いアルバムを探してみると当時の証拠写真が出てきました。私の顔の左側に映っているのが四角い箱の公衆電話機です。

下の写真の右側は現在のイタリアの国鉄クレモナ駅のプラットホーム備え付けの公衆電話機です。

時代とともに電話機のフォルムも色も変わりました。どうも近代に近づくとすべてのものは角が取れたデザインに変わっているようです。

四角い電話ボックスは円形のプラスチックになり、四角い電話機は卵のような流線形をしたものに変わりました。

当時の私のヘアースタイルも現在では角がとれ、髪はなくなりました。なんとなくクレモナ駅の公衆電話と似た形のようにもみえます

時代とともにデザインは変わっていくものです。

   
 1990年イタリアの私の工房  2015年クレモナ駅の公衆電話


2015年6月  イタリアのカエデA アーチェロ・カンペストレ Acero Campestre

 このカエデはアーチェロ・カンペストレと呼ばれています。日本語に直訳すると田舎のカエデです。

実はこのカエデは数は少ないですが、ヨーロッパ中に自生しています。勿論イタリアのクレモナにも自生していて、

バイオリンが生ま
たアマティの時代からバイオリンに使われています。ミラノのビジャッキファミリーもこの木を

時々使っています。

 私の親方であるパルマのマエストロ・レナート・スコラールベッツァはこの木が好きだったらしく、展示会に出展する楽器や

楽器の辞典に掲載する写真にこのカエデを使っていました。クレモナやパルマではこの木のことをオッピオと

呼んでいます。

一般的にバイオリンで使われるカエデはアーチェロ・ディ・モンテですが、イタリアでは大昔からこのカエデも

使われています。オッピオカエデは20m位までしか大きくならないのでチェロ用材として見たことはありません。

クレモナ育ちの年配の大工さんならこの木のことはよく知っています。現在のクレモナでは伐採されてほとんど

見る事はありませんクレモナ郊外のスターニョロンバルドに行けばみることができます。

そこはロンバルディア州の保護区の自然の森です

上の写真のオッピオは大阪の私の庭で育てています。このカエデは23年前にイタリアから帰ってくるときに楓の種を数個

持ち帰りました。それを発芽させ今も毎日眺め育てているものです。葉の形が日本の紅葉ともアーチェロ・ディ・モン

ティとも違います。葉っぱは少し小ぶりで盆栽にうってつけです。

 

1年半前に高槻から枚方に引っ越しした

時に、大きな植木鉢から木を抜いて根づ

まりしている根を切り取った時、根伏せしたものが今年の春、発芽しました。

見事な生命力で数本のオッピオの新芽

がでてきました。

 

上の写真はハギをしたバイオリンの裏板です。よく見るとオッピオ独特の虎杢を見る事が出来ます。

板の上部に置いてある小鉢をよく見るとオッピオがあります。これも100年たてばバイオリンの裏板となるかも

わかりません。以前の私のホームページで紹介したバイオリンも写真と同じオッピオ材です

(その時の記事はこちら  アーカイブ 仕事風景2 「オッピオカエデのバイオリン」 2013年8月記載)

 

昨年冬に落葉したオッピオの葉っぱを

水に漬けて8ヶ月放置しておくと、こんな

きれいな葉脈が残りました。 

自然の織りなす美しい模様です。

 


2015年6月  ここにしかないものシリーズその5-続編 寄木細工の工房の床の完成

 古民家の中の一室に洋間の部屋があります。そこが私の仕事部屋であり、工房つまり仕事をする部屋です。

イタリアで暮らしていた時の生活は、どこへ行ってもすべての部屋の床がレンガか大理石かタイルで、日本人

の私にはなんとなくなじみませんでした。それは床が堅すぎて冬は冷たすぎて、何よりこけたり、物を落とすと

大変衝撃を受けました。

最初京都の亀岡で仕事を始めた時は、4畳半の畳の上にビニールシートを敷いたものでした。これはバイオリン

を作る作業場としては床がふかふかしすぎて落ち着きませんでした。

 高槻のローソンの2階の工房は床がコンクリートの打ちっぱなしで、その上に緑色のペンキを塗って使ってい

ました。この床は堅くて丈夫でしたが建築物の床が薄く、国道171号線―京都と大阪をつなぐ主要幹線に面して

いました。そこでは大型トラックが通るたびに微妙に床が揺れました。初めての来客者はよく地震と間違ってい

ました。

 次のJR高槻駅前の雑居ビルはコンクリートの床の上に木目調のフローリングでした。この床は快適でしたが、

よく木を知っている私としては厚さ0.2〜3mmの板をビニールシートの張り合わせたイミテーションの木の床は

何か違うと思いました。このようにこの20数年間のうちに少しずつ床の状態も変化していきました。

 2013年12月にこの古民家に引っ越して、すぐに仕事をしたときは床下から隙間風が入り結構寒いものでした。

そこで工房の床は自分で作ろうと思い、まずもとあった床の上にツーバイフォーの2cm厚の針葉樹の板を敷き

詰めました。そこで1年近く仕事をしましたが、このカントリー調の雰囲気にはなじめずバイオリンを作るには

しっくりとしませんでした。

そこで今度はその上に1cm厚の板を寄せ木細工で敷き詰めることを計画しました。

仕事の合間をぬってコツコツとモザイクを張り合わせ7ヶ月かかりやっと完成しました。今までで一番良い床と

なりました。これは歩いたときの感触も、部屋にいるときの落ち着き具合もバイオリンを作るのにぴったりです。

床に油をひき少し時間がたつともっと良い色調になると思います。

この床は私が今後仕事をするであろう二十年から三十年充分耐用年数はあります。

死ぬまで気持ちよく仕事ができるようにと今までの不遇な床事情を改良改善して理想の床となりました。

   


2015年4月 イタリアのカエデ@ アーチェロアルジェント Acero Argento

高槻から 枚方津田に引っ越しして1年5ヶ月が経ちました。若い時の引っ越しはそんなに苦になりませんが、

ある年齢になると荷物も増え体力も落ち、元の形になるのに時間がかかります。

最近ようやく小鉢に入れた盆栽などの配置も決まり、バイオリン作りである私は特にカエデに興味があるので、

カエデコーナーを作少しづつ紹介していきます。

今回はイタリアのカエデ アーチェロアルジェント Acero Argento

   

さし木のカエデ 

 アーチェロアルジェント 葉っぱC

このカエデは日本のもみじの葉っぱとカナダのメープルシロップのカエデの葉っぱの中間の形をしています。

イタリア全土に多く育っています。街路樹にもあります。古木になると30mほどの高さになります。

イタリア語では銀のカエデと言って、新芽は下の写真のように赤い色をしていますが、その後は緑色になり

秋には葉っぱの裏が銀色になります。街路樹なので下から見上げると色に特徴があるので すぐにわかります。

   

 芽吹きの瞬間@

 春一番の葉っぱA

上の写真は芽吹きの時で、私の春の大きな楽しみのひと時です。筍のようなつぼみの中から、

るで折りたたみ傘を広げたようにある時期が来ると、上の写真の左の状態が1週間くらいで

右のように変化していきます。この変化を見るのが植物を育てる醍醐味でもあります。

   

 葉っぱB

 工房のカエデ材とニスの色見本

つぼみから出たてのアーチェロアルジェントは赤い色をしていますが、葉が開いて太陽を浴びると

1週間くらいで緑色に変わっていき ます。

(最上段右側の写真 葉っぱCです)よく見るとかすかに赤色が残っています。その後緑色になり、

あとは秋までそのままです。

最後の写真は次に作るバイオリンの板を軒下で乾かしている様子です。

今後このカエデコーナーの写真は拡大して細部もよく見えるようにしていく予定です。


2015年4月 関西弦楽器製作者展示会 出展の楽器と弓 

4月11日(土)12日(日)大阪市中央公会堂での展示会の出展楽器と弓完成しました。

楽器はバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス(5弦)とバイオリン、ビオラ、チェロの弓を出展します。 

今年の展示会は例年とは違ってとても広い会場で行います。試奏会、ミニコンサート、職人トークショーもあり、楽しめる展示会となっ

ています。高槻から枚方に工房を移転し、楽器や弓の製作に専念しています。ぜひお越しください。

   

 チェロ    バイオリン  ビオラ

 バイオリン  ビオラ  チェロ

   

バイオリン ビオラ チェロ 

 5弦コントラバス


2015年3月 親愛なるニコラ ・ラッザリ Nicola Lazzari da Casalbuttano

 この写真は1982年に撮ったものと記憶しています。左がクレモナのニコラ・ラッザリ、右は私岩井孝夫です。

服装、髪型を見ても何か変です。何十年か昔のものだとすぐに理解できます。

私がマエストロ ジョバッタ・モラッシーの工房に弟子入りした時すでに、ニコラ・ラッザリはそこで仕事をしていて私の兄弟子となりました。

このとき毎日ニコラ・ラッザリの仕事を見たり、アドバイスを受けたりすることがありました。今になって思うと親方は50歳で

体力的に一番元気であり、毎日すさまじい勢いで仕事をしていました。まるでイノシシのようでした。

親方の仕事机の両端はたばこの灰皿となっていて真っ黒に焦げているし、工房内はいつもたばこの煙に包まれていました。

親方は材料販売もやっていたので、一日のうち数時間は隣の部屋で材料製材をやっていました。その作業が終わると

バンドソーの音が止まるので急に静かになり、親方が工房のほうに入ってきます。その時はいつも肩や頭の上に1cm位の

木くずが積もっていて、それをこっちの工房に来てから両手ではたいて木くずを落とすのが日課でした。

 

ニコラ、  私、  モラッシー 

この頃の親方は白髪が一本もなく、針金のような黒髪をしていました。兄弟子のニコラ:・ラッザリはこのころから

大変緻密な楽器を作っていたので、親方がニコラに「もっと早く作れ」とたびたび言っていました。

親方は私には早く作れなどといったことはなく、「もっと美しく作れ」とよく言いました。

楽器作りの繊細なところはニコラ・ラッザリの仕事を見て学べばよかったのに、当時の私にはそういう考えはありませんでした。

私には物作りの貪欲さに何か欠けるものがあったようです。上の写真はモラッシー工房での私の1本目のバイオリンの記念撮影です。

 それから30数年たってニコラと私は、よく似た頭の状態となりました。

上の写真は2007年フランス・ストラスブルグでのE.I.L.A.(国際弦楽器製作者協会)の会合風景です。世界中のバイオリン作りが100名

ほどいましたがそのうちの3人です。

真ん中がニコラ・ラッザリ、右はロレンツォ・マルキです。3人とも昔は痩せていたのに、大きなお腹となっていました。

時の経つのは早いもので私自身は少し前にバイオリン作りを始めたとしか感じられません。あっという間ン三十数年が経ったようで

す。今となってはイタリアに12年いて一番良かったことは、ニコラとの関係のように一生続く友達を持てたことです。

師弟関係や弟子同士のつながりは素晴らしい宝物ものです。

この写真は2014年ニコラの家族みんなと一緒に撮った写真です。右がニコラのお父さん、お母さん、真ん中がニコラの奥さん

日本人の渚さんです。左端がニコラ・ラッザリです。私がバイオリン作りを始めて30数年たちますが、毎年1回は会って

今どうしているかを話し合います。

 昨年2014年の東京での弦楽器フェアでイタリア製作者協会のブースには20〜30本の楽器が展示してありました。

その中でも少し離れて見ていても際立って美しい楽器が1本ありました。「この楽器は美しい」とニコラに話しかけると、

それは私が作った楽器だと言っていました。

とにかく美しい楽器を作る職人の見本のような人です。私は油絵を描きます。ニコラのバイオリンを見ていると、「ぼかし技法」を

駆使した美術品を見ているようでした。バイオリンを手に取ってくるりと一周まわすと、裏板から横板、そして表板へとオレンジ色

の中にも濃淡が入れてあり、微妙な色の変化がなんともいえず美しさを醸し出していました。

イタリア人が作った一般的なバイオリンとはおおいに違うと感じました。

現在ニコラはクレモナ近郊のカザルブッターノの町で仕事をしています。とても簡素な田舎町で美しいピアッツァ(広場)と鐘楼があり、

その回廊の一角にバール(bar)があります。

 
右手の建物の回廊の中にバールとニコラの工房があります。

その2階で彼は仕事をしています。このバールでコーヒーを飲みながら一息つくのが心休まる時です。

この町には作曲家ヴィンチェンツォ・ベッリーニのオペラ「ノルマ」にゆかりある「ノルマの塔」もあり隠れた観光地でもあります。


2015年2月 今の私の工房 バイオリン・ビオラ・チェロ

  4月11日12日に大阪市中央公会堂にて第7回関西弦楽器製作者協会展示会が行われます。

今はそれに出展する楽器を作っています。チェロとコントラバスはすでに仕上がっていてバイオリンとビオラを製作中です。

現在関西弦楽器製作者協会の会員は47名でそのうち37名が約50本の楽器を出展します。

私はバイオリン1本、ビオラ1本、チェロ1本、コントラバス1本、それとそれらの楽器の試奏用の弓を出展します。

ニスの乾きも考えなくてはいけないので、早くバイオリンとビオラの仕上がるのを気にしながら毎日仕事を進めています。


以前とくらべると楽器を仕上げるのに時間がかかるようになりました。時間はかけるのですが、パーフリングのは入り具合や

渦巻の彫刻など楽器の精度は少しずつ荒くなってきました。原因は年をとり、視力とともに集中力も少しずつ衰えを感じます。

ここで終わると、もう終焉を迎える楽器作りのように思われますが、楽器の音に関しては、最近作る楽器のほうが、よく鳴るようになってきたと思います。

作っている人間が少しずつ変わっていくので作られる楽器も同じように少しずつ変わっていると思われます。

60才になって、楽器製作で一番重要なのは「音」であり、それが一番大変であり、また一番面白いところでもあると気づきました。

   

今作っているバイオリンとビオラ 

2015年 枚方・津田で作ったチェロ


2015年2月 自転車 イゼラン峠ヒルクライム

 
最近トピックスの更新が滞っていて昨年の秋の記事をここで紹介します。

私のライフワーク 自転車の峠越え フランス編を紹介します。

イタリアドロミーテの有名な峠はほとんど制覇したので最近はフランスのアルプスを走っています。

2014年10月1日曇り時々小雨 峠にたどり着いた時には、吐く息は真っ白でペダルを踏むのをやめるとすごい勢いで体温が

下がるのを感じました。峠の山小屋のカフェも閉まっていて、標高2,770mに雨の降る日に峠を登るサイクリストはだれも居ず、

どうやって記念写真を撮ろうかと迷っていると、バイクツーリングの二人連れがあらわれたので、あわててその人にシャッターを

押してもらいました。御礼を言ってカメラを受け取った時、かれらは「ユ-アークレイジー!」とあきれていました。彼らをよく見ると完全防寒のいでたちでした。

 
 アルプスのイゼラン峠 標高2,770m


2014年12月 ここにしかないないものシリーズその6 ビアンキ・アックイロット原動機付き自転車

   

すべてオリジナルのアックイロット 

当時ミラノで作っていたものなのでしょうか

 これは自転車にエンジンがついているものです。レバーがあってそれを作動させるとエンジンで動いたり、また普通の自転車に
なったりするものです。エンジンがかかっている間は発電機もついているので、ヘッドライト、テールライトがついたり、クラクションが
鳴ったりします。

 イタリアでの話で、1985年頃、私は中古自転車を捜しに家の近くのスクラップ工場に行きました。山積になった鉄ゴミの中に自転車らしき
ものがあったので、引っ張り出すとエンジンがついていました。しかし私はその時、自転車が欲しかったので店主に「安い自転車を
探している」と話すと自転車は今ない。これなら自転車にもなると言われたのでしかたなくならこれを買いました。
私は機械的なものは少しは知識があるので、家に持って帰りエンジンをばらして新しいピストンリングをつけたり、ドラムブレーキの
ブレーキシューを新品に交換したりして動くようになりました。

 日本に帰国する時はコンテナーだったので、この自転車バイクも一緒に持って帰ってきました。15年前くらい前まで日本でナンバープレートを
申請して乗っていました。この10年間は全く乗らず、数日前に蔵から引っ張り出して30分くらいツーリングしようと思いました。

パンク修理もして当時のことを思い出しながら、走ろうとしたのですが、なぜかエンジンがかかりません。

日本に帰ってから7年間は動いていたので何か簡単な電気系統の故障だと思うのですが、
バイクの修理で電気系統に詳しい人がいたら私にアドバイスをください。お願いします。

   

当時使っていた車両税の支払伝票 

 パンク修理のタイヤチューブ

 


2014年11月 ここにしかないものシリーズその5 寄木細工の工房の床

   

埋め木 八角形まで完成

 床全体の5%完成

 今年の春に工房の床を張りました。ホームセンターで2cm厚のツーバイフォーの松の木を購入し、それを床に貼りつけました。

しかしそのままではちょっと不満だったので美しい床を作ることにしました。私の趣味は銘木の切れ端のコレクションなので

色々な美しい木を持っています。それらの木を組み合わせ自分でデザインを考え、1cm厚の木を床に貼り付けていきます。

デザインは思いつくままにコンパスを使って、床に直接書いていきます。その後、木の色を考え幾何学模様を埋めていきます。

図面上では簡単ですが、実際には微妙な誤差がでてきて、1個1個手作りで微調整をしないとぴったりとはめ込められません。

現在のところこの八角形は床全体の5%くらいの仕上がりなので、この床がすべて完成するのは1〜2年後になると思います。

仕事の合間を見つけてやるので気の遠くなるような時間がかかりそうです。

   

菊のデザイン 中心を抜いたもの

 中心を入れたもの


このデザインの中心は菊の花のデザインをしました。私の工房のある大阪の枚方市は菊の花で有名です。枚方市の花は菊です。

私が子供の頃、町内会の遠足では京都からバスに乗って、枚方の菊人形展を観覧に行ったことをよく覚えています。

この床のデザインに使っている木は、カエデ、ウオールナット、クスノキ、パドックなどの木です。

今後は木の小口を使ったり、板目、柾目を別々に木取りをしてみたり、同じ木でも木の表情を誇張できるような手法で

デザインを変化させていきたいと思っています。

バイオリン職人の私にとってこの8帖の仕事場はとても重要なものです。このタイトルのとおり「ここにしかないもの」を作り自分の

一番気持ちの良い状態で楽器が作れるようにと始めました。このことはきっと楽器にも反映されると思います。


2014年10月 ここにしかないものシリーズその4  大阪で作られたモラッシーとスコラーリのバイオリン

 関西では20年前と比べると楽器職人の数が大きく増えました。最近では年に1回大阪中央公会堂で職人が主催する楽器展示会

まで行われるようになりました。

これらのことに大きく貢献したのが、マエストロ・ジョ・バッタ・モラッシーとマエストロ・ジョルジョ・スコラーリです。

いまから思うとよくも10,000kmも離れた日本まで来てクレモナ式バイオリンの作り方を教えてくれたと感謝しています。

あの時代は彼らにとっても楽器の注文も入り、人生の中で最も忙しいときであったであろうに、何のお金にもならない日本人の

楽器製作者の指導のために来てくれたことは幸運なことでした。

 私は今回イタリアに行ってモラッシーとスコラーリとコニアをレストランに招待して、上記のことのお礼を伝えました。

また、30数年前にリュックサックと自転車1台を輪行袋に入れて、クレモナに行って、今では私の理想とするところの古民家の中で

バイオリン作りができることになったのはとてもうれしいことだと伝えました。

モラッシーとスコラーリが数年間、交互に大阪に来て、バイオリン製作指導をした時のバイオリンが1台白木でありました。

枚方の新しい工房に引っ越ししてから、ここの一角にバイオリン資料館を作る予定です。(現在は小規模です)

そこの展示品として2人が製作した1本のバイオリンに私がニスを塗りました。

   
大阪で作ったとのマエストロ2人のサインと私と鈴木さんのサインがあります  証明書右側は当時の写真が貼りつけてあります

この楽器を作った時、私と鈴木さんが製作学校を運営していたので、このバイオリンの製作に当たり荒仕事は2人が手伝いました。

f孔や板の厚みや板のふくらみなどは彼らが仕上げたものです。

歴史的に見ても貴重な1本です。このバイオリンと共に関西ではバイオリン製作者が数多く育っていきました。

マエストロ、ジョ・バッタ・モラッシーはA.L.I.(イタリアバイオリン製作者協会)の創始者・初代会長、

マエストロ、ジョルジョ・スコラーリはイタリア国立バイオリン製作学校の副校長です。

彼らは最も伝統を根付かせることの大変さを多く体験しています。そんな彼らだったからこそ協力的に日本にまで来て私たち日本人

にバイオリン製作を根付かせてくれたものと思っています。

 

 

思い出のピチェネンゴでの会食
左から岩井、スコラリーリ、モラッシー、コニア
 

上記のバイオリンに入れるラベル
モラッシー、スコラーリ、岩井、鈴木の4人のサインがあります 

私はクレモナでガスと水道のない生活をしたことがあります。その場所はクレモナ郊外のpicenengoという村です。

今回3人を食事に招待したのはその村の大変質素な田舎風野外レストランでした。思い出話に花が咲きました。


2014年8月 ここにしかないものシリーズその3  イタリア製ヴィンテージロードレーサー
 
 私は小学生の時からずっと自転車が好きで、色々な種類の自転車に乗っています。
そのうちの一つに珍しい自転車があります。イタリアのクレモナといえばバイオリンで有名な町ですが、
私の持っている自転車はクレモナで作られたロードレーサーです。

Franco Prioriはもともとプロのメカニシャンをやっていてヨーロッパの自転車レース、ジーロ・デ・イタリアなどを仕事場と
していました。クレモナ出身のアマチュアレーサーがオリンピックに出場した時は、メカニシャンとしてPrioriもイタリア代表として
オリンピックに参加しています。
彼は1960年からクレモナに自分の店を開業して現在は80歳を越え、息子と娘が店を継いでいます。

   
フレームの断面は少し楕円になっています  ハンドルステムにもPrioriの刻印

この自転車は私がイタリア在住中に購入したものです。フレームはクロムモリブデン鋼です。確か1986年ごろに購入した記憶があります。
その後日本に帰国してもこの自転車で八ヶ岳、乗鞍岳、大台ケ原、富士山など走りました。

今となってはこの自転車は28年間ほど乗り続けていて、当時最新的だった自転車でしたが、最近では自転車マニアからは
渋いヴィンテージ自転車にのってはりますねと話しかけられます。気がつけば私もおんとし、60歳、年季が入ったヴィンテージサイクリストかも。

   
 よく見るとクレモナと書いてあります  10年ぶりの分解大掃除

現在日本には数多くのイタリア製自転車が輸入されています。しかしFranco Prioriの自転車フレームは私の知る限りでは
日本に1台限りです。

   
ラグの裏側、コロンバスの刻印あり  シートシティは円形、ダウンティは楕円、チェーンスティは三角形


2014年7月 ここにしかないものシリーズ その2 ステファノ・コニアのバイオリン

 

インテックス大阪での仕事風景


 1998年この年は私の親方の一人であるマエストロ・ステファノ・コニアが日本に来て、インテックス大阪・エレクトロニクスショー・
ソニーのブースでバイオリン製作の工房再現を行ないました。

もともとは私に仕事の依頼が来たのですが、話を進めるうちに本場イタリアからバイオリン作りが来るならより良いイベントになるのでステファーの・コニアをイタリアから呼んで実際のバイオリン作りを実践してもらうことになりました。私もアシスタントとしてその仕事に参加することになりました。

そのイベントはたしか一週間続き、親方は大阪で白木のバイオリンを1本作りました。

仕事を終えてイタリアに帰るときこの作ったバイオリンはどうするかとの話になり、私は、そもそもこの仕事は私が企画提案をまかされたもので、親方は満足する報酬を主催者から得たのだから、このバイオリンは私のものだ。と震える声をさとられないように主張しました。
すると親方は、お前はバイオリンつくりだけでなく物事のやり取りまでも学んでしまった。と苦笑いしていました。そしてちょっと学びすぎだ。と付け加えました。

この時の状況は相撲部屋で行われている親方の胸を借りる‘ぶつかり稽古’のようなものでしたが、私が勝ったので、
私のものとなりました。現在ではこのバイオリンは売り物ではなく、私の資料館の展示品となっています。
このバイオリンのラベルはStefano Conia fatto a Osaka と書かれています。もちろん本人のラベルと本人のサインです。

 

ニスは岩井が塗りました 


2014年6月 ここにしかないものシリーズ その1 「クレモナの地図」 

   

 右端に92人のサインがあります

 1992年9月20日完成

ここに1枚の地図があります。これは私がイタリアから帰国するとき思い出として、またその時の記憶として残しておくために
1992年に私が作ったものです。当時クレモナの商工会議所に登録しているプロのバイオリンつくり92人全員です。
一人一人を廻り、直筆のサインをしてもらい、工房の所在の地図を作製しました。

このような地図はイタリアのクレモナに行っても存在していません。

終わりに近づき人数が増えると説明も楽になりましたが、廻りはじめの5人、10人の時が説明するにも時間が係り大変でした。
ヨーロッパではサインが実印のようなものだからです。
初めは1ヶ月位で作れると思いましたが、最終的には完成まで
3ケ月かかりました。
クレモナの町の地図も正確に書き写したので、22年経った今となっては、クレモナ郊外には
バイパスなどができ現在の地図と
比べると時の流れを感じるものとなりました。

サインをもらった人の中には年をとりバイオリンつくりを引退し、年金生活をしている人も何人かはいます。

この地図を作る時、イタリア人から一番多く受けた質問は、今後も日本人はクレモナの楽器を買い続けるか?でした。
1980年から1992年までの12年間がクレモナの黄金時代でした。
この時代多くのクレモナで作られたバイオリンの8割近くが、日本に輸入されていました。

アマティそしてストラディバリが活躍していた時代を含めても、こんなに多くの楽器が海外に売れた時代はないように思います。
イタリアブームに乗ってそれを買った日本人は喜び、それを売って生活していたイタリア人はもっと喜びました。

私が弟子入りした、マエストロ・ステファーノ・コニアそしてマエストロ・ジョバッタ・モラッシーはその恩恵を受け、信じられないほど数多く楽器を作りました。そのおかげで私もした仕事のアルバイトが出来たり、私の生活も支えられました。

その時代に生きたクレモナのバイオリンつくりはその当時の話をすると、ほとんどの人があの時代は良かったとみんなが話します。

また、私が日本に帰ると話した時、イタリア人が心配してくれたことは、日本に帰ると生ハム、チーズ、ワインなどはどのように調達するのかということでした。それと日本ではバカンスが短く、昼寝の時間もないと聞くがどうするのか?と心配していました。多くのイタリア人がそのことを話したので、イタリア人にとって食べたり飲んだりすること、そして休養・休息は大変重要な問題だということがよく解りました。

22年経った現在、日本ではほとんどのイタリア食材が簡単に入手できるようになりました。オリーブオイルなどはローマ近辺のサビーナ地方の絶品のものがクレモナでは買えないが、大阪で買えたりするような時代に変わりました。

私が帰国するときクレモナで労働許可を取っているバイオリン作りは92人でした。これからは少しづつ減るだろうと予測していましたが、その後も増え続け、クレモナで作られる楽器の海外への販売数は減っているのに、労働許可を取っているバイオリン作りの人数は120人近くに増えて、バイオリン職人過密状態になって大変なようです。
クレモナで作られたバイオリンの輸出先は日本が減り、中国が増えています。

私がイタリアに渡った1981年は35〜40人位しか労働許可を取っていなかったので3倍に増えたことになります。
数字的に見るとこの35年間はクレモナは大きくなり続けているということになります。
これからも問題を克服し、より良い町になるよう発展していってくれればよいと思っています。

この地図の作成者である私だけは特別に、記載されていることがあります。

私は12年間イタリアに滞在中に4回引っ越しをしました。これらの4ヶ所は特別に赤字で記しました。
テントを担いで、クレモナのキャンプ場に泊まって始まったイタリア生活ですが、よくあの状況を乗り越えられたなあと思うことも何回かあり、この地図を見ているといろんなことが懐かしく思い出されます。

私の青春をしるしたものとも言えます。


2013年 9月
バイオリン製作職人シリーズ その5 板の測定 動画upしました。youtubeページ


2013年 9月

「カエデの芽吹き」動画upしました。 

 日本には四季があり、夏は暑い、冬は寒いと相場が決まっていますがそれにしても今年の夏は暑かったです。
わが家の庭のカエデも同じ思いをしたに違いありません。
よく枯れずにいてくれたとほっとしています。毎年繰り返して行われる春の芽吹きを今年は毎日写真に撮ってみました。
微妙な自然の移り変わりと音楽をお送りします。

     


2013年 9月 「バイオリン製作職人シリーズ その3 横板とライニング」 動画upしました。


2013年 8月 動画 「バイオリン製作職人シリーズ その2 ブロック成形」 upしました。
2013年 8月 バイオリン製作動画始めました you-tubeでご覧になれます

バイオリン製作動画始めました。 「材料製材」  「バイオリン裏板横板の木取り」

21年前イタリアで12年間修行し、日本に帰国したとき楽器を作っても売れずに困っていました。
しかし当時毎日のように、バイオリン製作に関する問い合わせの手紙、電話、時には直接の訪問者が来られました。
そこで私は大阪日本橋に行って、VHSビデオデッキ2台、タイトラー、マイク、撮影用ライトetcを購入し、翌日から私の工房は撮影スタジオとなりました。
そしてバイオリンビデオ大全集90分×6巻なるものを作り販売し生活を支えました。撮影機材を買うときは大きな投資でバイオリン材料を売ってのことでした。
スタジオといってもその部屋は畳敷きの4畳半でクーラーもなく、夏は大変暑かったのを覚えています。

当時のビデオカメラは光量が少ないとうまく映らず、部屋の壁と天井にアルミ箔を張り、光を集め撮影をしました。
多くのライトを付けた時は、私がオーブンの中にいるようで、その解決策としてビデオカメラに映らない私の背後、つまり
Tシャツと綿ズボンの後ろは
直径30cmほど大きくはさみで切り取り、放熱させながら作業を続けました。今思い起こせば必死になってやっていたと懐かしいです。

今回は今行っているバイオリンの作り方を少しずつ動画配信していきます。
以前の販売したビデオは有料でしたが、今回のものは
無料です。(内容は優良です)

当時ビデオ大全集を購入していただいた多くの方々に御礼申し上げます。


トピックス記載記事アーカイブ

記載年/月

タイトル 閲覧場所
     
     
     
 2014.02 新たな職人の工房を目指して  仕事風景2  
 2014.01 元旦に思ったこと  雑記帳 
 2013.12 高槻から枚方に工房を移転しました。 仕事風景2 
 2013.10

アボカド 

 植物編 
 2013.10 イタリアのスポーツ新聞から   新・自転車 

2013.8

オッピオカエデのバイオリン 仕事風景2 
 2013.8

ストラディバリとグアルネリ弾き比べ

雑記帳 

 2013.7 

ト音記号の椅子 木工クラフト  
 2013.06 オリジナル弓ケース 木工クラフト 
 2013.05 奈良カエデの郷ひらら   植物編
 2013.04 新しいバイオリンの試み[野村式熱化学還元処理]  

仕事風景 

 2013.03 第5回関西弦楽器製作者協会展示会 出展 

仕事風景 

 2013.03 暴れん坊将軍の虎杢  

仕事風景 

 2013.02 狩野山雪「老梅図襖」に新たな発見   植物編
 2013.01 蝉丸神社 初詣サイクリング   新・自転車
 2013.01 正月から仕事   仕事風景
 2012.11 東京 弦楽器フェア 同窓会  仕事風景
 2012.10 東京 弦楽器フェア出展 

仕事風景 

 2012.09 バイオリン 目覚めまでの20年 

仕事風景 

 2012.07 アベーテロッソの変遷   植物編
 2012.06

わびさび盆栽 

 植物編
 2012.06 VENEZIA ゴッフリーレモデル ビオラ製作中 

仕事風景 

 2012.03    電気振動測定器  仕事風景
 2012.03    第4回関西弦楽器製作者協会展示会   仕事風景
 2012.02    自作内型固定クランプ   仕事風景
 2012.01    新しい指板の試み   仕事風景
 2012.01     ガスパロ・ダ・サロモデル ビオラ製作   仕事風景
 2011.12    バイオリン材料 カエデと松  仕事風景
 2011.11    自転車   新・自転車
 2011.11    ちょっといい話  雑記帳
 2011.11       東京・弦楽器フェア出展楽器   仕事風景
 2011.10    オリジナルモデル 鳥のかたちをしたバイオリン   仕事風景
 2011.10    ビオラダモーレ制作   仕事風景
 2011.10    なんでも自分で------スピーカー修理   雑記帳 
 2011.09  作業台の平面出しと和ガンナ   仕事風景

2011.08 

運搬自転車   新・自転車 

2011.07 

憧れのスピーカー  雑記帳

2011.07 

弓のフロッグ製作   仕事風景 

2011.07 

自転車の手作り変速機   新・自転車 

2011.06 

自作の木工品の紹介
(椅子1号〜4号)
工事中 
 2011.05 第3回関西弦楽器製作者協会展示会   展示会履歴
 2011.05 2011年製作ビオラ・ストラディバリモデル   仕事風景
 2011.05 2011年製作コントラバス・ゴッフリーレモデル    仕事風景
 2011.04 5月の展示会出展用の楽器   仕事風景
 2011.02 ジュゼッペ・オルナーティvn(製作楽器)  仕事風景
 2011.01

鯉の滝登りバイオリン (製作楽器)

 仕事風景
 2010.12 手作りメガネフレーム  木工クラフト
 2010.11 オルナーティ・モデル製作中  仕事風景
 2010.10 弦楽器フェア出展のバイオリンとビオラ   仕事風景
 2010.10 イタリア切符事情  雑記帳
 2010.09

コントラバス製作中 (ゴッフリ−レモデル)

 仕事風景
 2010.09  トウヒとカエデの盆栽    植物編
 2010.08 再挑戦 暗峠その2    新・自転車
 2010.08

自転車峠越え(国道308号線  暗峠)

 新・自転車
 2010.06 大阪・展示会出展楽器の調整   仕事風景
 2010.06 手作り小刀   仕事風景
 2010.05 バイオリン飾り棚製作 木工クラフト
 2010.05 陶芸   陶芸
 2010.05 カヌー 日本のカプリ・青の洞窟  カヌー
 2010.04 美しい模様のカエデ  木工クラフト
 2010.04 私の愛車コルナゴ   新・自転車
 2010.03 弓製作  仕事風景
 2010.03 バイオリン完成     仕事風景
 2010.02 職人の技により生き返った表板  仕事風景
 2010.01 ぎりぎり節をまぬがれたカエデ  仕事風景
 2010.01 元旦サイクリング  新・自転車
 2009.12 ビオラ完成の記事  仕事風景
 2009.12 自転車修理   新・自転車
 2009.12 高槻の工房紹介   仕事風景
 2009.11 ドロミテ2回目のステルビオ   新・自転車
 2009.11 イタリアクレモナでの仕事   仕事風景
 2009.10 自作のタンノイ・オートグラフ 木工クラフト
 2009.10 現在の私  仕事風景