主張-V: 人類行動を反省する
        (これで良いのか地球上の現代人?)

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索 引                                            .
A001: はじめに
A002: これで良いのか地球人:地球上の人類行動を反省する
A003: 人類の行動を反省する

A004: 環境負荷を増加させぬ生活を
A005: エゴイズム・利己主義
A006: エゴと情報統制


A007:  IT情報システムのスピード化は人類滅亡を加速?
A008: 株式という隠れ蓑
A009: こんな地球に誰がした
A010: 反省すべき屈折点
A011: 長期的見方で人類末裔の生活を考える

E001: 近代ツールを減らした生活に戻れるか?
E002: 被子植物との共存
E003: 人類の末裔・子供達に残すべき自然との共存

E004: 自然の中の人間
E005: 明日のエネルギーを考える
E006: エコロジーを意識する

E007: エコロジーに対する意識と責任
E008: 謙虚な生き方
E009: 地球環境に目をとめよう
E010: 大声で警告を始めた自然環境
                                                      .


001:はじめに 001:はじめに 001:はじめに
   

  これで良いのか現代人、地球上の人類行動を反省せよと誰かの声が聞こえる。
今こそ反省をし、生活の方向変換をしなければ、
人類は一気に滅亡への坂道を転がり落ちて行くように思えて、
感じている思いの一部だけでも文章にしたいと(Minoさん)は思う。

  その昔、いずれの国でも大自然の恵みの一部として狩猟の獲物や
植物の実を貰い受けて人類は生活していた。
その昔、道具を使い、火を使い、
自然界の動植物を巧みに手なずけ生活の安定を計ってきた人類であった。

   海の幸、山の幸に依存する生活は集団での協力が必要で、
集落、家族ともに大人数の営みが普通であった。

(東日本大震災の復興が遅遅として進まないのは、
農耕地・港湾の施設立地が回復できないこともあるが、最も大きな原因は、
従前のような人間の協同組織が簡単には出来ない状況に置い込まれたためであろう)

  戦前の小規模な魚農業は欧米の大規模食料生産に押され、
大量消費の生産活動、台頭する重化学工業、物流加速の中で窒息した。

  小規模ながら大家族組織で行われてきた農漁業の生業ナリワイは破綻し、
現金収入を必要とする近代化社会の流れの中で、大家族は崩壊し、分散し、
労働力は核家族として都市に移動した。

(一端都市流入した労働層は、経済低迷の職不足の中でも、
故郷に収容できる労働環境はなく、
残存する高齢者が危険な雪下ろし作業などに追われ、孤独な生活に喘いでいる。

田舎に残された世代、田舎から都会へと大規模生産の労働力としてシフトされた世代、
共にこれで良いのかと孤独の中で悩んでいる。)

  常にそんな感じをもち続けているのは小生だけではないらしい。
故にここでは小生とか、(Mino)さんとかいう表現で当WEB編集者の意見を述べてゆく。

理路整然としない文節構成、重複、文責を負えない内部矛盾などは、感じている憤りや錯乱と、
自分では気付いていない痴呆的論理性減少のためと許容願いたい。




002:これで良いのか地球人:地球上の人類行動を反省する


   最近の生活環境・労働環境の変化は極めて急速である。
故に親が子供に、先輩が後継に適切なる助言を与えることも難しい傾向にある。

環境は大家族小規模農漁業から、工業化大量消費時代、高度経済成長時代、
高速化による経済競争時代へと急変した。
日本でのこれらの変遷は終戦からの高々60年間での変化である。

   年少期に太平洋戦争の生活苦に喘ぎ、都市集中型経済の中に子供達を送り出し、
自らは過疎にあえぐ田舎に命を繋ぐ老齢者達の足取りは重い。
地球上に存在する人類の消費活動に対して、
資源・エネルギー源が豊富な内は、資源の利用限界なんて問題ではない、
使えるだけ人類の欲求に応じて利用すればよい。

  しかし、化石燃料、森林、鉱物、地下水、等々そろそろ限界を見せ始め、
それに代わる新エネルギーの開発も追いつかぬ状況にある。
各人に割り当てるエネルギーや食料が底を突けば
生活のスローダウンも考えねばならない。

  生活レベルの低減・減速は大方の人は嫌う、利便性・快適さの後戻りは辛い。
だから廃棄物処理の技術が未完成なのに、
汚染リスク甚大な原発も平気で加速されてしまった。

勿論、個人生活の快適さ意識からは、
リスク甚大な原発電力は止めておこうと考えたに違いない。
しかしそれが国レベルの反対運動に発展しないかぎり、電力供給での利潤・儲けを優先して
リスク対策を後回しにする資本主義経済競争は止まらないのだ。

   利潤追求の団体、それに連なる人脈は
徒党を組んで危険性情報を出来るだけ隠し、
行け行けドンドンのキャンペーンを仕組んで利己主義を膨張させる。

憤りを抑えるのは結構大変だが、要は、人間総じて愚かさを自覚し、
自然からの恵み以上に地球に負荷を負わせ、
人類末裔まで危険な廃棄物処理を背負わせ、
まだ快楽を追い続ける、そんな態度を改めることが必要だろう、そう言いたいのである。

   恐らく1億年以上も被子植物と互恵関係を継続しているミツバチ達は、
彼女等が地上に誕生した頃と左程変わらぬ生活パターンで、
花から花蜜・ネクターや花粉を貰い、
代わりに花粉交配を手伝う互恵ライフを続けている。

  人間も地球上の自然環境の中で自然との互恵関係を定常化させたいものだ。
人類生存期間中に行うべき最も重要な価値判断の方向転換時期は、
実は今なのである。

そう感じられてならない




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003:人類の行動を反省する 003:人類の行動を反省する


   2011年平成23年3月11日の東日本大震災、そして原発災害は、
人類がこれから生きるための価値観とその方策の変更を求めている。
地震被災規模は想像を絶し、
地震規模と広域さ、津波の広さと高さ、原発のもろさ、
情報伝達の幼稚さ、何をとっても震災の規模に対応出来なかった。

  ことさら大きな問題は国民を愚弄するいい加減な指導・報道体制だ。
想定を超える震災規模?津波規模?想定は判る範囲の過去事例を無視していたのだ。

   原発事故報道は放射能漏れレベルは即座に影響及ぼさないという
御用学者の適当な見解ばかり、
言い逃れ報道が国民を愚弄した。
放射能汚染情報はかなり抑制され、汚染地域で生活継続の住民が放置されていた。

  旧来の政府・電力会社・エネ庁・原子力安全保安院など、
関連団体は利益第一優先で原発の安全キャンペーンをやって、
該当地域には補助金・交付金バラ蒔いて原発を推進してきた。

この3月11日の被災以降も電力各社のこうした親方日の丸体制は変わっていない。
原発災害以来1年を経過したが、東電新社長は
「電力値上げをお願いする、値上げは電力会社の義務であり権利だ」、と言う。

  発電コストその他の経営努力に関係なく総資産額?の何%かを
収益と算定することが認められているらしい。

基幹エネルギーの電力だから、、と擁護されるのは一定度判るが、
それが電力会社の権利だ、、なんてホザキが社長から出るほど
体質的にボロ企業に任せてる現状は嘆かわしい。

   我々国民は、残念ながら未熟で身勝手な政府・行政を選んできてしまった。
その政府はエネ庁なんぞから天下りを回して
こんなボロ企業を養生してしまった。

現状の組織(政府行政、電力供給体制、エネ庁、マスメディアなど)を
批判するだけでは何も改善されないだろう。
安易な指導体制に任せ、軽率な安全基準を信じて、
地震対策・原発推進に異論出すこと過少であった。
国民の我々自身が反省することが先ず必要なのだ。

   この東日本大震災からの復興に際して、
ただ単に元の状態に戻すだけでなく、
これからの人間生活の方向・方法を哲学的に考えねばならない。

何のために生きるのか、生きることに何が一番大切なのか、
幸福とは何なのか、何によってもたらされるのか、
どういう行動で幸福に近づけるのか?

今までと同じ物質文明・価値観で進んでいいのだろうか?
現状では家や箱物をいかに復元するかに注目が集まっているが、
最も大事なのは生きるという事の考え方を、どう修正するのかだろう。

   コンピュータ情報処理などの加速、高速化、
それに伴う経済活動の加速化は本当に必要なのか?
従来型のコンピューター演算素子(スイッチ機構)は微小化に限度があって、
現在はナノレベル・原子レベルの超微小化が検討されているらしい。

この微小化が完成すれば、信号距離も激減、小型で演算速度も画期的に早くなる。
勿論この高速化は人類の生活の多方面にメリットを与えるだろう。

しかし用途によって、それは致命的な人類滅亡への加速をさせる可能性も大きい。

スピード化・高速化は、単に経済競争で勝ち残るための資本主義、
資本債権者の手段として利用されてきたのではないか?
それが現在社会の大きな歪ヒズミを生んだ元凶とも考えるから。

勿論インターネット通信・情報配布・公表で誰もがより多くの情報に接近し、
各自の意見も出しやすくなって、世界の民主化に寄与してるのは疑いないが。

   競争激化の資本主義経済活動は単に利潤追求のために
電力・エネルギーを浪費、地球環境汚染・破壊をしているのでは?
現状の資本主義経済体制が人類滅亡リスクの最大の原因ではなかろうか?
今、地球上で行われ、何となく常識的に認知されてしまっている人類の行動は、
人類の・我々の幸福に向かって進んでいるのだろうか?

そもそも幸福とは?幸福という状態はどんな状態だろうか、
どんな道を通れば良いのだろうか?

人類が人類生存期間中に行うべき最も重要な価値判断の
方向転換時期は、差し迫っている。




A004:環境負荷を増加させぬ生活を A004:環境負荷を増加させぬ生活を


   人口年齢分布をみれば高齢者比率の増加は明らかに。
高齢者の老後年金を支える労働年代にその負担、重荷が増加している。
特に我々高齢者は、
地球環境をを破壊しない範囲で・周囲に迷惑をかけない範囲で
余生を過ごさねばならないだろう。

  高齢者層に突入した還暦以降の人達は
既に高度経済成長期の大量生産大量消費、物質依存文明の推進に、
自らの意思であろうと、無かろうと、
その加速の歯車を回して来たのだ。

   余生の生き様は
人類の子孫末裔に負担を押し付けない程度で行きたいと思う。
その昔、生産活動に耐えない60歳以上の人間は江戸期、おそらく明治前期までは
飢きんなど食料不足対策のため、口減らしの対象であったろう。

  遠野物語にある村外れの蓮台野(れんだいの)に追いやられる老人達、
信州篠ノ井線・姥捨てなど、
水子に流された赤子同様に、老人達も食を断つべき環境があった。

   だからと言う訳ではないが、子孫末裔に負の遺産を増加させてまで、
勝手な振る舞いは許されないであろう。
快楽・快適さを追求する動き、それに乗じて飽くなき高度経済成長の追求、
自己中心的/利益追求のみの生産活動、などが悲しいかな、とめど無く進行中である。

  老人が老人を介護せざるを得ない状況であるが、
高齢者が若者労働層の就労環境や経済的生活環境を意識せず、
省エネ・省電力などにも注意を払わずに、
たまたま持てる蓄財にものを言わせて快楽・遊びに奔走することも考え物だ。

   例えばの話であるが、
エコロジー・省エネルギー環境の中で、従来の自家用車燃費は、
効率的エンジン開発に努力が傾注され、ハイブリッドなど電気自動車もしくはその併用で
著しい燃費改善が達成されてきており、資源保存や汚染防止にも貢献している。
問題は、特に定年後の時間と金にユトリある高齢ユーザーにある。

燃費が良いから、もっと遠くまで突っ走ろう、
今まで我慢してた分、エブリデイ・サンデーで走り回ろう、
効率化努力は、安易な快楽追及で水の泡、

結局効率化追求の開発費・研究労働・製造ライン新設経費などの持ち出しで終わる。
不良老人達の節度ある生活と、その価値観の再考を節に望みたい。
文責者は如何してるって??
勿論、質素で密やかな老後生活を狙って、、、、

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A005:エゴイズム・利己主義 A005:エゴイズム・利己主義

   生産活動から引退した高齢者層が余生を楽しく暮らす。
それも許されよう、何十年も心身共に労働に労働を重ねてきたのだ。
一方労働総数では減少しつつある成人・若者層は就職難、社会保険料の高負担、
増額可能性の高い税負担などに追われている。

結婚・子育て・養育などに苦慮する若年層も存在し、
従来の就職・結婚・子育てというプロセスは常識とは言い切れない傾向にある。

   何かにつけて負担・義務が若年層に集中するとなると、
それは「世代間エゴ・世代間利己主義」と仮称せざるを得ない。
他にも純粋な気持ちで判断するならば、
それは利己主義・エゴだと思われる事柄が沢山存在する。

   国家間の軍事防衛戦力の点では、
自国の核兵器を棚に上げておいて、後発国には核兵器持つと制裁を加える??
そんな理不尽が許されている、
気を付けないと、そんな理不尽さが普通の考えと世論化されて
世界政治が正義感を持って動かされてしまう。

   放射能汚染の点では、
その危険性は情報隠蔽され易く、安全性と原発必要性の世論作りが先行する。
米国スリーマイル・露国チェルノブイリー・そして
福島原発だって不確定要素・リスクは隠され易い状況にあった。

儲け主義に都合悪い情報は隠蔽され、隠されて、危険が潜在する生活が放置される。
これも本質的には原発産業での電力供給儲けを優先する企業・債権者の
エゴ・利己主義的行動である。

  その他、リスクを抱えながら進行中の遺伝子組換え食料供給(穀物・家畜ともに)、
核廃棄物の投棄、地下水の節度無き汲み上げ利用などなど、
エゴ・利己主義的な儲け追及中心の行動がとめどない、
悲しいかな。



A006:エゴと情報統制   A006:エゴと情報統制


   2011年平成23年3月11日の東日本大震災は、
津波避難警報、警報伝達・情報伝達等、地域広報の重要性を示した。
同時にマスメディアに流された情報は
危険を過小に過小に抑えようとする事なかれ伝達の嫌いがあった。

どこの団体・部門の指示か判らぬが、
NHKの原発事故報道は即座に人体に影響及ぼさないという御用学者を
入れ替わり登用してのいい加減な説明が優先され、
その偏った報道が国民を愚弄した。

   何でも「直ちに影響及ぼさない」、即座というのは、
直ちにといのは何時間か何日か、何年なのか、
視聴者をバカにした、国民を愚弄した言い方が、いつまでも繰りかえされた。
こんな報道を何回も繰り返さねばならないアナウンサーも、
顔の皮を鍛錬して大変だったろう。

   チェルノブイリー原発事故でも管理当局からの汚染情報・原因究明・避難等
に関する情報・広報は遅れに遅れ、広域住民の被災を助長したし、
放射能汚染の指摘・異常報告も他国からされる状況だった。

日本の原発促進団体・実施部隊も同様の嫌いがあって、
エネ庁・原子力保安院・電力会社原発部門などは
牽制機能・相互管理見張り機能を持つべき関係なのに、
本質は天下り関係・仲良し関係にあって、関係者の利益追求が優先されて、
電力消費者・国民を愚弄するいい加減な体制であった。

   原子力発電所の設計・安全基準でも、実際過去にあった津波情報も無視されていた。
より安全性を高めれば建設コストは急上昇し、儲けは減少する。
想定を超える震災規模?津波規模?設計時のリスク想定は
記録でも判っている過去事例を無視して、
儲け中心の適当なレベル設定で実施されてしまったのだ。

想定出来ないのは人命・安全よりも、儲けを優先するために安全設計基準を引き下げて、
実行してしまう担当部門・人間の悪意であり、犯罪である。

   放射能汚染情報もかなり抑制され、
汚染地域で生活継続の住民が放置されたままだった。
今までの政府・電力会社・エネ庁・原子力保安院など、
関連団体は利益第一優先で原発の安全キャンペーンをやって、
該当地域には補助金・交付金バラ蒔いて原発を推進してきた。

   住民説明会への九州電力の画策、原発賛成意見のでっちあげ、
これほどの汚染が起こったのに親方日の丸体制は変わっていない。
原発推進の賛成意見をデッチあげる画策、
ドロボウ行為・犯罪行為を平気でやっているのだ。

我々国民は、残念ながら判断未熟で、いい加減な原発推進政策、
そして、そんないい加減さ実現する行政政府を選んでしまった。
不適な原発推進団体、擁護する政府議員を選んでしまった主権者たる我々国民の
大きな過失でもあった。

我々国民が真摯に反省すべきは反省し、
かような産業犯罪とも言える不正な画策を叩き潰さねばならない。


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A007:  IT情報システムのスピード化は人類滅亡を加速?

   
国民個人として反省すべき、あるいは考え直してみる事項は多数ある。
先に記述の、儲けを優先する団体・組織が作る安全基準なんて当てにならない。
マスメディアに流される広域情報は何処かで誰かに制御されてる危険あり。
などなど、

さらに言えば、株や債権を持つ人も多いと思うが、
債権者から資金を預かる株式会社実行部隊やファンドマネージャーは儲けを優先的に考え、
債権者が徳するように将来の生活環境やらエネルギー情勢への影響なんてものは、
考慮する余地は許されず、頭の隅に追いやられてしまう。

その投資行動の責任は本当は投資者・株主が本来責任を負うべきであるが、
投資者の意識は無いに等しい、、、そんな状態であろう。
株・債権保有者は先ず、自らの投資行為に責任を感ずるべきである。

   さてITの情報スピード化であるが、
資本主義経済下の現状で、
生産・流通・サービス等の活動は、利潤追求のためには競争が起こる。
競争は行動のスピードに左右されるからIT情報システムの高速化が求められる。
純粋に科学技術や医療・福祉のための情報システム高速化もあるが、
IT情報システムの高速化が経済競争を加速・激烈化の原因であるとも言える。

  この競争激化はエネルギー過消費、原材料確保のための資源消費、大量消費と
それに伴う廃棄物処理、
そして汚染対策、核燃料利用での発電では処理技術未開発の核廃棄物や
何十年も先まで有害性を持つ放射廃棄物の蓄積など、人類末裔に迷惑をかける程度にまで、
危険物を発生させてしまった。

   こうした状態から脱却するためには、経済体制の変更、
例えば用途/分野別、期間的、地域的?統制経済体制や一程度の制約を加えた
自由資本主義経済体制などの再検討が必要な状況に来ている。





A008: 株式という隠れ蓑   A008: 株式という隠れ蓑

   自然からの供給が人間の消費需要を上回っていた時代、
自然の価値はゼロに近く、
ただ綺麗な場所・風景などという感情的価値しか認められなかった。
しかし、自然資源は大量消費という急激な需要によって枯渇・供給不足となった。
だから[自然の価格をゼロとみる時代は終わった]、そう思う。

しかし、限度を超えた生物多様性の対策費は経済的負担で、
その負担のためにさらに自然環境も損なわれるという悪いスパイラルに陥る可能性もある。
今我々が乗っかっている経済社会は、人間の善悪判断とは無関係に、または予期しない内に、
人類の将来を危うくしているという危険が有る。

  自然資源は潤沢にあって、それを活用しない手は無いといった儲け主義、商売拡大主義、
無秩序な経済成長引き上げ策、そんな現状の経済システムに見落としがちな盲点があるが故に、
世界は人類の生活安定性を低下したり、環境面での生物種や生態系を喪失しつつあるのである。

簡単に言えば、今までの経済システムは、
熱帯ジャングルを切り開きモロコシ畑や果樹園プランテーションにしたりする方が、
熱帯林を自然のまま残すよりも採算がとれる。

   乾燥した大地には大量の地下水くみ上げで灌漑農業を広げた方が収益・国益も上がる。
湿地を残すよりも、
ショッピングモールを建設して電化製品を扱った方が誰のためにも良い、などなど。
だれもこうした活動が、天候変化、地下水の塩分上昇、生物種激減での生存能力不安定化、
などなど人類の将来・将来環境に重大な悪影響を与えようなどとは、考えもしなかった。

今、多くの人々がより長期的な視野をもって将来環境を考えている。
指導者でもない普通の国民の多くが、環境や将来性、持続性などを考え、
個々の善悪判断をするようになりつつある。希望的観測ではあるが。

   ただ、全ての人が常識的な善悪判断をしているとは言えないし、
最悪は、直視できる自分の行動は善悪判断できるが、コントロール出来ない部分(感知し難い)にも
自分の意思決定が及んでしまうことだ。

簡単な例は選挙で選んだ代表が、選ぶ時には意図していなかった方策を具体化していた、、、
なんて状態がある。経済活動で頻繁にある事象は、株券購入して株主になるが、
後は会社任せで成績上昇と配当増加を願うけれども、
どんな会社指針で善良な企業活動しているかには企業代表者任せで、
直接感知しようとしないことだ。

   企業代表は兎角直近の企業活動活性化と収益性に重点を置き、
人類の将来や環境などに注意を払う傾向は小さくなる。
こうした客観的状況を株主が認識するかしないかは問題ではなく、
株式団体の実施行動に株主は全面的に責任を負う必要がある。

一般的にはこの認識が薄く、活発な経済活動が多くの株式母体によって実施され、
その善悪判断、是正活動が不十分な状態だと感じる。

   特に法人組織は 
その団体が周囲との交渉・結果については「法的には人として扱う法人格」で処理される訳だが、
実際にはほんの少数の代表者の儲け主義に支配されて活動している常態と思われ、
長期的な人類の幸福を考える時、
現状の経済システムの最大の欠陥がそこに潜んでいるというシグナルに思われて仕方がない。

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A009: こんな地球に誰がした  A009: こんな地球に誰がした


   
自由資本主義の競争激化、
エネルギー、原材料・資源大量消費、発生してくる廃棄物処理、そして汚染対策、
子孫にまで持ち越される放射性廃棄物

   人類末裔にまで頼み込む廃棄物処理技術の開発、
どこまで迷惑を残すのだ、現在の地球人よ、滅び行く現代人よ、
こうした状態から脱却するためには、経済体制の変更、例えば用途/分野別、期間的、
地域的?統制経済体制や一程度の制約を加えた自由資本主義経済体制などの
検討が必要かもしれない。
将来の子供達が叫んでいる、「こんな地球に誰がした?」

   安易な指導体制に任せ、軽率な安全基準を信じて、
地震対策・原発推進に異論出すこと過少であった。
有害な団体、擁護する政府議員を選んでしまった主権者たる我々国民の大きな過失でもあった。
真摯に反省すべきは反省しよう。
人生の幸福度は?なんて価値観の見直しも重要であることは間違いない。

   何のために生きるのか、生きることに何が一番大切なのか、
幸福とは何なのか、何によってもたらされるのか、どういう行動で幸福に近づけるのか?
今までと同じ物質文明・価値観で進んでいいのだろうか?
人類が反省すべき時期は今なのではないか、

人類の生存期間中で、
今が一番慎重に自分達のそして末裔の将来に考えをめぐらすべき時期ではないのか?



A010: 反省すべき屈折点  A010: 反省すべき屈折点

   人類は今こそ反省すべき屈折点にいる。 
何度も言って申し訳ないが、ここまで地球資源を浪費し、環境を破壊し、
快楽・利便性を追及する生産活動・経済活動・経済成長率なんてものを加速させてしまった。

  世界人口だって小生が小学生の頃(昭和20年代後半)概ね27億とか言われていたものが、
現在・今日時点で70億2352万人、過去200年で6倍、直近の60年では3倍に増加し、
2025年には90億になりそうという予測もある。

  小学校の生物観察実験で、
シャーレーの中に培地用寒天砂糖と小さなカビ付きパン屑の小片を入れて観察する。
青カビの草原がシャーレーの中に広がって美しい。
何日目かの朝、一夜のうちに突然、青カビの草原は消滅する。

  力強く繁殖を続けていた青い大草原の生物は
食料枯渇で一瞬にしてそのコロニーは全滅したのだ。
このまま行けば地上の人類は全く同じ経過をたどるのは間違いない。
戦争のための核、電力のための危険な原発、食糧生産の限界、
人類滅亡のワナは多数仕掛けられている。

それに比べて人類の協力、協同作業は一進一退を繰り返している。






A011: 長期的見方で人類末裔の生活を考える


   現在では今日より明日、今年より来年はと、急速な利便性・快適さの追求が普通だ。
それに向けて活動する人間像が快活で美しいナンテ誰もが思っている。
確かに楽しい、気持ちよい、楽である。

   知らずシラズの内に、サイバーな、高速移動可能な、楽な生活に慣れてしまう。
そのために莫大な地球資源の消費、汚染、環境劣化は進行して、ここまで来てしまった。
どこまで???工業廃液・廃材での汚染、鉱業掘削などでの河川汚染、
化学肥料農薬での生物異変(生態機能異常)、
原発核汚染、核兵器、過剰使用での地下水系の変質、などなど。

   リスク管理出来ていない福島原発の事故でも、
地表汚染・水質汚染の現実と 対策の不安定さが切実にこの危機を物語っている。
レスターブラウンの地球環境白書関連の報告をみると、
危機的環境変化は数え切れないほど散在している。

それでも幸いなこと国家レベルでも着実に環境リスクを検討し、
将来へ向けた改善策を実行しようとする動きがある。

   メディアの放送の仕方、タイミングで情報受け側が混乱されるが、
例えばドイツは福島原発事故のショックから原子力発電の撤退を決めたように理解され易い。
ところが、そんな簡単な感情的判断での国策変更ではない。

ちゃんと長期的な論議と視野にたって国策是正をしてきたし、
福島原発事故はその変革アクションのスピード化を進める要因の一つに過ぎない。
それだけ、着実に環境汚染の対策論議を進めているドイツなのである。

   その対策に若干触れると、
ドイツの脱原発のきっかけは社会民主党(SPD)と緑の党の連立政権で、
脱原発に向けた合意はすでに2000年に成立しているし、2002年には原子力法が改定、
原発の平均稼働期間は32年と規定されて各原子力発電所の許容発電量が設定された。

その設定で全ての原子力発電所は、
2022年頃に使用停止となることがすでに予定されていたのだ。

その後のドイツにおける原発政策では段階的廃止についての合意が主要政党、
および国民的合意が成立しており、今回の福島原発事故のリスク対策の問題点は、
段階的廃止のスピードを加速する方向で作用している。

   福島原発事故が有ったからだけでなく、
多くの地球表面の問題を真摯に対策しようとするドイツ国家レベルの
行動が活性化しているのは嬉しい。




E001: 近代ツールを減らした生活に戻れるか?

   2月23日、総合テレビの地球でイチバン・シンプルライフ「タンザニアのハッザー部族」
の単純な生活・満足しているその日暮らし、そんなレオポート番組があった。
人口密度が極めて低く、森や野生動植物の恵みを受ける環境でなければ成立しないが、
弓矢と皮の敷物と数個の鍋釜を所有するだけの生活だ。

   先進国から時折持ち込まれるツールなど見向きもしない、
数日間獲物が無ければ空腹に耐えなければならないが、
過去や数日以降の将来なんて考える事も無い、それで満足な様子だ。
自然に逆らわない、自然に同化した生活なのだ。

   開発途上の国・地域に限らず、
単純な生活こそ最大の幸福と考える人達も一杯いるだろう。

今日と同じように何事もなく平凡な明日が来れば良い、
嬉しいことがそんなに一杯なくても良い、
その分がこれからの生まれてくる子供達・子孫の生活にも分配されれば、
それは私の一番嬉しい、幸せと感じることだ、
そう思って生活している多くの人達もいるのだ。

世代間エゴを払拭して生きるこうした人達に拍手だ。

   地上に生きる人類が生きる価値観・幸福感を再考すること、
そして現在の国内外の生産活動・経済活動のシステムが人類の将来の、
人類末裔の将来の生活に利するものか否か冷静に考え、
生活パターン・快楽/利便性のダウン、全ての活動のスローダウンだって考えてみる必要がある。

一部の国の、民族の、地域の、時代の人間のみの欲求を満たすために、
将来の多くの人達に負荷を残す活動は修正すべき時期であろうと感じる。


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E002: 被子植物との共存  E002: 被子植物との共存


   
原発事故以来、より安全なエネルギーへの転換が世界中で論議されている。
人類が地球上で安全に生存し続けたいという願い、その表れだ。

   宇宙の誕生は遠く140億年前、銀河宇宙の誕生が120億年前、
太陽系が46億年前に出来、ほぼ同時(40〜45億年)に地球も出来た。
琥珀コハク(樹液化石)の中に化石化したミツバチがアメリカで発見される。
それは8000万年前の化石、今とあまり変わらぬミツバチの体だ。

  つまり、この地球に被子植物(花と種)と共生して大した進化も必要としないまま、
ずっと生息し続けてきたのだ。すばらしい。
人類はアクナキ快楽追及のために
その進化(はたまた衰退?枯渇)を急ぎ過ぎていないだろうか?





E003: 人類の末裔・子供達に残すべき自然との共存


   子供達はどのように愛だとか優しさの心を培うのか
最近の幼少期の教育には道徳とかモラルとかの
人間として社会生活で守るべき生活態度・基本理念なんてものが組み込まれていないようだ。
さらに核家族化した殆どの家庭では
昔のように祖父母・高齢者が生活の中で育む社会教育らしき環境は皆無に近い。

  何処の山里でも農業の近代化(崩壊化?)で多量の化学肥料・殺虫剤を使用し
田畑や周辺の用水炉・小川の小動物の全てを駆逐した。
蛇もカエルもイナゴもホタルも、みんなみんな山里環境に調和してきた生物は駆逐されてしまった。
水は汚染され、灌漑水汲み上げで地下水低下・水質変化も問題になっている。

最近のテレビレポート(秩父の夜祭)に懐かしい『虫追い』の行事が放映されていた。
60年ほど前の私の少年期には平塚の山郷の集落にも「虫追い」の一日があった。

  集会所に集まってオニギリや茶菓で会食の後、子供等を中心に隊列をなしてバケツやらアルミ蓋、
小太鼓やらの鳴り物を打ち鳴らし、手に手に竹笹を振り回しては田畑の畦を辿って行く。
麦や稲穂の出る季節に先んじて、しばしの間、虫達には里山の奥に退避してもらうのだ。
小正月の頃には、「鳥追い」なんていう子供中心の行事もあったらしい。

(三味線持った鳥追い姿の娘さん、、
これは三味線・唄いの門付け芸人で、本来の鳥追いには三味線不要)。

   祖母と連れ立って畦を散歩する時、祖母はむやみに虫を殺さず、竹やぶの方に追いやっていた、
虫にも多少の食料は必要だネと言って。
そんな自然との協調、生物との共生、いたわり、そんな大切さを感じられる環境があった。
今は子供達に自然に対する優しさを培うには何をして上げたらよいのだろう?



E004: 自然の中の人間  E004: 自然の中の人間


   先日、宮崎に出かけたおり、青島の鬼の洗濯板に行った。
概ね3000万年前に海底が隆起して地表に出てヒビ割れ、浸食されたらしい。
高千穂峡にも形状の異なる積層岩盤が多数そそり立っているから、
当時の南方から押し寄せるフィリピンプレートの勢いが想像できる。

   同様に丹沢山塊は600万年、伊豆半島は200万年前、南から流動してきて隆起した。
突発的な地殻旧変動でなく徐々に何万年もかけての変化だったと想像するが、
そんな恐ろしい地表岩盤の衝突隆起よりずっと前からミツバチは生きている。
それも、越冬時期は別としてミツバチの生体寿命は50から60日の短命。
女王蜂は日に1000〜2000個の卵を産み、これが次々に世代交代する。
生息実績8000万年、1世代寿命3ヶ月の単純計算では3億2000万世代が経過している。

   一方人類はどうか、
猿に似てるが猿人(火などまだ使えない)の出現は約200万年前、
人間の生殖交尾の年齢が15歳としても 高々13万世代しか生存してない。
誰もが人間の祖らしいと認める現生人類ホモサピエンスなんぞは約5万年、3000世代、
人類などはまだ生存の痕跡さえも認知できないとミツバチ達は言うに違いない。

そんな人類が地球を、そこに居る生物を危機に追いやることが許される訳がない。
現に、自然を破壊し汚染し資源を浪費する下等な動物だとして、
人間をみれば蜂は怒って刺しにくるのは当然とも思える。


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E005: 明日のエネルギーを考える  E005: 明日のエネルギーを考える

   
原発許すまじ、反対の声を発するは簡単
原発安全キャンペーンに唆されて30%電力供給まで来てしまった。
政治家の責任か
原発推進エネ庁か原子力保安院など推進派一派の責任か

   国民の責任か、
そんな政治決断した政府を選んだ国民の責任も大きい
もっと反省すべきは、ただ単に『原発反対』の声を張り上げてるだけの人間だ
この類の人間は戦争気運の中では出征(徴兵)推進の声を張り上げてきた部類に同じだ

   すでに30%の供給電力レベルまで原発は来てしまった
ソーラーや風力など代替発電手段を急がねばならぬが、
そんな早急にはいかない
ただただ反対の声を上げる人は生活でも30%節電する覚悟があるのか
30%電力削減の過去の生活に戻れるのか、
国民全体が、少しでも可能な安全策を考えるべき時期が来ている。

ただリスク回避の面では、現状の政府指導の安全対策にかなりの危険性が内在する、
そう考えれば、単に大声で「反対・ハンタイ」と叫ぶだけの意味も有るかもしれない。
うん、確かに現状は危ない、反対の声を上げよう。

  前に記述したと思うが、ドイツの脱原発政策と同じように、
世界各地には環境汚染への対策、安全な代替エネルギー追及など
国・団体がその活動を活性化していることは間違いない。

   自分のことだけを考えるのではなく、周囲の人間集団として考えることであり、
周囲の動植物を含めて、地球上の生物の行動と結果を想うことが出来ればすばらしい、
そう、望みはまだ有るかもしれない。
これからしばらくは、そう考えてみる事にしてみよう。




E006: エコロジーを意識する E006: エコロジーを意識する


   
生物学はどちらかといえば生物1個体の構造・特性・機能などに焦点を当てる。
エコロジー(生態学)とは、その個体が集まった時、他の生物各種と共存した時に、
どんな行動・影響が出てくるかを科学する、

地球上の集団接触、動植物変化に影響する条件、
環境変化と生物生態などの検討もこの分野であろう。

   身勝手な人類は、生物種間のエゴによって、
子孫末裔の生活環境など無視した世代間エゴによって、
際限なき快楽追求のために 
地球ガイヤ・全ての生物を絶滅させるかもしれない。
それに比して、極端な進化も必要としないまま、環境を変化させず、
被子植物(花)と共生し続けてきたミツバチは偉い。。。

  我々は戦のある時も平和なときも、清浄な時も汚染物が違法投棄されてる時も、
各自に割り当てられた役割・場所・行動半径を持って、
相互に抗争しないように生活する。
全ての生物種もその生息領域、行動半径(縄張り)を調整して共存している。

意識されることは少ないが、食う相手生物と食われる相手生物が在って、
この食物連鎖の中に生存することを薄々宿命と感じている。
動物達もそう感じているに違いない。

   生物進化の世界では「全く意味のない現象は存在しない」
とも言われる、、、なのに、
常時発情期となった人類(交尾を快楽追及のために続ける人類)、
快楽のみならず、環境的に負の遺産(子孫に負荷を上乗せする)が
蓄積されつつあるのを忘れている。

飽くなき余生・延命を求め続ける過度の環境資源消費、
経済成長率追及、生体改造(生物のクローン化利用、
臓器移植や臓器の加工商品化、、など)などの全てが、倫理限界
ギリギリに来ているのは何故であろうか。。。

   この世界に戦争・飢え・病気が無かったら、人類は地球に溢れていた、
つまりこれらが結果的には過度の人口増加を抑制してきたかもしれない。
若干、わずかながら救われる傾向も無いではない。世界の人口増加率が、
1970年前後に年率2%でピークに達し、2010年には年率1.2%を下回っているのだ。

  とはいえこれは増加率の話で、世界人口そのものは1970年以来倍増しているため、
毎年8000万人増え続けている。
すなわち、毎日21万人以上が生まれ、新たな食事の追加が必要だが、
その多くは、空の皿でもてなされることになる

  明日にはまた21万人以上が生まれ、これだけ容赦なく人口が増加すれば、
近い将来には農業従事者が応用できる技術も、土地も、水も、限界を超えることになる。

増加し続ける世界人口をみると、シャーレーの中の実験微生物が
栄養源(エサ)の枯渇で一瞬に死滅する様相が背景映像として去来する
  約5万年の実績しかないホモサピエンスという人類生物が、
どれほどの期間、地球上に生息できるか判らないが、今日の人類の民族間エゴイズム、
世代間エゴイズムを捨てて、人類の未来の幸福(長期にわたる人類の幸福)を
考えねばならない時が到来しているのだ。

   特に石油依存で自動車時代を経過し、
全て電化・電気エネルギー生産で石炭石油から原子力に依存し、
そして核汚染の環境悪化スパイラルのリスクの中に我々は生きている。

全ての人が我々人類の短期、中期、長期的な将来のことを少しでも考えてみること、
そして、
何をどうすることが自分にとって 幸せ・幸福であるかを考えてみることが必要であるし、
避けて通れない路であろうと実感する。

地球上で節度無く、人類だけのことを考え、自国だけの、
自分だけの利益のためを考えた行動に対して
生物の創造主はこれを許さないであろう、、と感じる。。。

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E007: エコロジーに対する意識と責任 E007: エコロジーに対する意識と責任

   自然からの供給が人間の消費需要を上回っていた時代、自然の価値はゼロに近く、
ただ綺麗な場所・すばらしい風景などという感傷的価値しか認められなかった。
しかし、自然資源は大量消費という急激な需要によって枯渇・供給不足となった。
だから[自然の価格をゼロとみる時代は終わった]と、すでに誰もが認知している。

     しかし、限度を超えた生物多様性の対策費は経済的負担で、その負担のために
   さらに自然環境も損なわれるという悪いスパイラルに陥る可能性もある。
   今我々が乗っかっている経済社会は、人間の善悪判断とは無関係に、
   または予期出来ない内に、
   人類の将来を危うくしているという危険をはらんでいる。

  自然資源は潤沢にあって、それを活用しない手は無いといった儲け主義、商売拡大主義、
無秩序な経済成長引き上げ策、
そんな現状の経済システムに見落としがちな盲点があるが故に、
世界は人類の生活安定性を低下せしめ、
環境面での生物種や生態系の調和を喪失しつつあるのである。

     簡単に言えば、今までの経済システムは、熱帯ジャングルを切り開き
   モロコシ畑や果樹園プランテーションにしたりする方が、
   熱帯林を自然のまま残すよりも採算がとれる。
   乾燥した大地には大量の地下水くみ上げで
   灌漑農業を広げた方が収益・国益も上がる。

   湿地を残すよりも、ショッピングモールを建設して
   電化製品を扱った方が誰のためにも良い、
   などなどの延長をまだまだ走り続けている人類である。

   だれもこうした活動が、天候変化、地下水の塩分上昇、
生物種激減での生存能力不安定化、
など人類の将来・将来環境に重大な悪影響を与えようなどとは、
考えもしなかった。 

今、多くの人々がより長期的な視野で将来環境を考え始めている。
最近は世界的に「スローライフ」が話題にのぼる。

   生活スタイルや環境に無理な負担を積み上げないで、
「ゆっくり・ゆったり・ゆたか」な社会を目指そう、
今日(2011,6,22)もスローライフ学会(筑紫哲也会長・
神野直彦東大教授が学長)の立ち上げがテレビレポされ、
また節電・持続可能なライフスタイルを志向する「ライフスタイルを
見つめ直すキャンドルの夜に」などの活動が報道されていた。

指導者でもない普通の国民一般の多くが、
環境や将来性、持続性などを考え、
個々の善悪判断をするようになりつつある、希望的観測ではあるが。。。。

     最近、経済成長という言葉に非常な違和感を覚える時がある
   人類破滅への速度指標のような感じさえ受ける時がある。

   株式制度という隠れ蓑に若干気分が落ち込むときがある、
   全ての人が株投資について常識的な善悪判断をしているとは言えないし、
   直視できる自分の行動は善悪判断できるが、投資株資本がどんな経済活動に
   回っているか、その善悪が感知しがたいのだ。

   経済活動が環境負荷を負わせる側面が有る以上、株投資もそのいく末を
   責任をもって注視する必要があろう。

   簡単な話、経済活動で頻繁にある事象は、株券購入して株主になるが、
   後は会社任せで成績上昇と配当増加を願うけれども、
   どんな会社指針で善良な企業活動しているかには企業代表者任せで、
   直接感知しようとしない場合が多い。
   
     国の税金とか、その使い方も同様であろう。簡単な例は選挙で選んだ代表が、
   選ぶ時には意図していなかった方策を具体化していた、、、なんて状態がある。
   大体は政治家や人任せになってしまう。

   企業代表は兎角直近の企業活動活性化と安定経営、収益性に重点を置き、
人類の将来や環境などに注意を払う傾向は小さくなる。
この株とか投資信託などは安定成長か儲かるかが注目され、
それを運営する会社責任者やファンドマネージャーは
結果的な儲け高に意識を集中する。

     我々が人類の将来を若干でも意識するならば、お任せ主義ではなく、
   所有する株式の活動内容、所有する信託財産の運用活動にも
   全面的な責任を負う必要があろう。

    税金、国家予算の使い道なども、国民側もがそれを吟味、見守る必要がある。
   一般的にはこうした認識が薄く(自分含めて)、
   活発な経済活動もその善悪判断、是正活動が欠席のまま、経済成長率なんていう
   指標を上向けることが当然の目標のようになって、
   金に物を言わせて生産・消費活動が続いているのが現状ではなかろうか。。

   特に法人組織は その団体が周囲との交渉・結果については
「法的には人として扱う法人格」で処理される訳だが、
実際にはほんの少数の代表者の儲け主義、
または全組織的なノルマ的儲け目標に
支配されて活動している常態と思われ、長期的な人類の幸福を考える時、
現状の経済システムの最大の欠陥がそこに潜んでいるように思われて仕方がない。

     ま、地球上での経験の少ない新参の人類の行動はそんなところか?
   1億年以上も僅かな進化しか見せないまま地球上で生存し続ける被子植物や
   昆虫達の現状とその歴史からすれば、
   人類の歴史などはちょっとマバタキする数秒の出来事なのだ

  いや、そんな事はない、人類の生活空間は永遠に続くのだから、
新参者の人類ではあっても、
エコロジー、自然環境、先輩生物種を含めた生物全般の生存状態、
そして自分達の生態などを謙虚に考え、
利己的人類から脱却する方向に向って私は生きていく、、、、、
なんて声が一杯聞こえてくると、、、嬉しい。





E008: 謙虚な生き方   E008: 謙虚な生き方


   老人介護、末期の生きかた、昔はリスクや安全確保できない仕事のためか
戸外で死す人も多かった。
今は家の中で臨終することが多い、さらに延命活動が渦状にまで進行し、
病院で末期を迎える場合が多くなった。
それも医療産業の活性化ともなっているが、病院経営の破綻にも繋がっている。

往診して貰えれば、痛み止めさえ処方して貰えれば、もうそれで十分。
周囲に迷惑かけるよりもそれが一番、、そう考える人が多いのでは。。。

  最近テレビトークで、皆に看取られて最期を迎えるか、一人でひっそり最後を
迎えたいかの問いに、意外と一人でと言う返答も多かった。
都市生活の核家族の結末が一人暮らしの孤独死を招いている大きな要因と思うが、
孤独死が誰にも気付かれずに放置されていた報道が結構ある。
地方行政の問題として、何とか一日一回訪問とかで解消したい問題である。

 とは言え、病院でやたら管を巻きつけられて延命工作されるのは嫌だ、、、
そう思っている人は多く、訪問医療で痛み止めはして貰いたいが、
自然に末期を迎えたいと言う人は多い。 こう言う人には「脳溢血で瞬時に逝きたい」
なんて話す人が多いのだ。

  高齢にむかうと自分を認知・知っていてくれる・想いを馳せてくれる人は段々と
少なくなる。 自分が高齢者の先端に向かっているのだから仕方ない。
寂しいことだが、人知れず息ついている状態が続いていくのだろう。

  「破れ障子にウグイス描いて、寒さこらえて春を待つ」、
そんな理想的スローライフの津軽三味線の曲がある。
東日本大震災・福島原発事故と汚染、等々で大幅に個人的精神状態も劣化した。
こうした世の中の無情を知り、
今後をどう生きるかを考えるには、あの音色しかない。。

   チョットだけ三味線の話をしておこう。
ギターのように音程を規定するフレットも無いから、
弦の押さえ位置(勘所・カンドコロ)も奏者によって微妙に上下する、
つまり半音域に入り易いのだ。

半音が曲中に多いと(マイナー音階)になって哀愁を帯びた曲調になる。

   多分弦楽器の発祥源ではないかと小生が考えているペルシャ(現イラン)・トルコ辺り
そこに残る楽器・「サズ」などは、
フレットの代わりに多数の紐を棹に巻きつけて音程を作ってあって、
半音より細かな音程調整が随所にされるらしい。

だから、スゴーク哀愁を帯びた、もの悲しいメロディーが出来上がる。
多分、これが津軽三味線のルーツと感じる。
かなりの哀愁音調であり、飢饉や暗く長い冬、地震や津波の幾多の試練を乗り越えて
東北地方に生き続けてきた人々の叫びが津軽三味線の音色なのであろう。

  そして、最大のエコ楽器ではなかろうかと自己判断。。。
何故化と言えば、
大体音程は耳で学習するから目を閉じていても問題ない、
電気が来なくても、夜中の暗闇でも演奏に問題なし、電力不要なのだ。

棹で弦を押さえる指先、バチの上げ下げ、
高齢者の脳活性化、痴呆対策にも良いはずだ、
大体、戸外活動・旅行その他の趣味に比べてエネルギーを浪費しないのだ。

  在宅末期老人達は三味線を弾きながらおぼろげにこの世を去ってゆく、
そんな状況が出来れば理想的だ、在宅医療では本人の希望にもよるが、
痛み止めを中心とする処方で問題なし。

消費電力がピークに近い頃には、皆が木陰に入って三味線を弾くのだ。
半分以上は冗談だが、生活ペース・快楽追求を若干でもスローダウン出来れば、
空の青さは増して、白い雲はクッキリとより美しく見えるに違いない。

  最近、あい対する人達の行動や考えに「心を馳せる」ことが少ない、
単に情報媒体といった感触で人間関係が存在している感じが、何やら寂しい。
スローライフを意識出来れば、
きっと、風の音を肌に感じることができる。

雑木林の上空には流れる雲の白さ、自然の中を飛び交う昆虫達の羽音、
地球ガイヤの中に生きている人間としての喜びを感じることが出来る。
真摯に相手の目を真面目に見つめて、会話ができるようになろう。

  そして暗くなれば、
少々の焼酎を舐め、津軽三味線から流れる色即是空の音を聞く。
昼間の小川沿いの道を散策する時、水の優しさと温もりを感じるのである。

勝手な独り言ですが、植物、動物、人間の今と今後/将来をも考えに入れる、
そんな生き方、過ごし方、自然との接し方も考えてみたいものだ。



E009: 地球環境に目をとめよう、  E009: 地球環境に目をとめよう、 

  
 時間がある時にはたまに地球がおかれた環境条件が、人類がおかれた地球が
どんな問題(地球にとって、生物にとって、人類にとって)を抱えているのか、
抱えつつあるのか、なんて事をWEBで見てみよう。
この小生のHome-pageのリンクにも載せた「ワールドウォッチジャパン」を紹介する。

米国農務省で国際農業開発局長を務めていたレスター・R・ブラウン氏がワールドウォッチジャパン
研究所を創設し、我々が置かれている環境について、地球白書、地球環境問題雑誌、
レポートなどを発行し、人類の注目を求めている。

  興味有る部分だけをたまに斜め読みしてみるのも良いだろう。
例えば以下のような報告である。

1)生物多様化を保全する/絶滅危惧種の保護、2)河川への化学物質投棄の防止/
水質浄化法/湿地の創造・補強・修復、3)森林保護/中国の退耕還林政策、
4)持続不可能な工業的集約、5)土壌生産力の低下、6)有機農業の促進/土壌有機質の流出防止、
7)都市型農業の復権/市民農園の効果、8)エネルギー自給都市/地域経済主義、
9)帯水層枯渇/灌漑面積の急減/地下水の低下と変質、10)ゲイツの脱原発政策と背景、
11)福島原発事故からの教訓、12)気候変動の影響、13)集中豪雨や山地災害、
14)世界の穀物生産高、15)食料危機/フードインセキュリティー状態、
16)放射能と土壌汚染、17)地熱発電の利用、、、、、などなど

  例えば、農業の誕生と産業革命による転換 そして温暖化と農業などに触れれば、
2万年前に氷河が後退して気候が温暖化した時、肥沃な土壌の面積は拡大し、
栽培に適する生育期間は長くなった。

同時に、狩猟の対象となる野生動物は姿を隠し、マンモスやその他の大型動物は絶滅した。
およそ8000年前には、エンマーコムギ、ヒトツブコムギ、オオムギ、アマ、ヒヨコマメ、
エンドウ、ヒラマメ、ビターベッチ[飼料用ソラマメ]が栽培されるようになり、
家畜が増え始めた。

  人類は、森林を農耕地に開墾したり、大規模な村や都市をつくったり、
灌漑や洪水制御のために川を付け替えるなど、大きく地形を変え始めた。
7000年前までには、ほとんどではないが、世界中で多くの人々が農民になっていた。

  このような状態は、人類が次の氷河期を迎えるまで続いていたかもしれない。
しかし文明が、その軌道を変えた。石炭、ガス、石油を利用することで、
産業革命が起こったのである。

ふたたび人類は、完全には掌握できない方法で、地球のリズムを変えた。
この21世紀の100年の間に、地球の温暖化は過去2万年でもっとも急速に、
そしてもっとも高い気温まで上昇する可能性がある。

農業システムは深刻な問題にみまわれるだろう。
・農業機械の燃料や化学肥料の原料となっている石油の供給が減少する最悪の状況。
・農作物に壊滅的な打撃を与える熱波、病害虫の蔓延、灌漑用水の減少。
・人口と移民の増加による切迫した食料需要。
          とりわけ、食肉や加工食品への需要の高まり。
・生産活動が地球の限界を上回って続けられてきたために、
           経済活動規模を縮小しなければならないことから生じる金融不安。

 といった様な中長期的状況とコメントが報告されている。

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E010: 大声で警告を始めた自然環境  E010: 大声で警告を始めた自然環境


   山の幸に感謝し、時に災害に畏怖し、海の幸に感謝し、
また災いに畏怖を持ちながら日本人の私達は生活をしてきた。

自然環境への畏怖と感謝を続けながらその中に共存し続けてきた。
しかし、何時頃からだろうか、恐らく産業革命以降だろうが西洋の物質文明に押され、
自然との共存ルールを破って、安楽さ、快適さの願望から逃れきれず、
資源乱開発、自然は利用すべき対象へと認識を変貌させてしまった。

  自然は時に、山火事、崩落、津波などで警告を発するが、
工業化生産の拡大、重機を駆使して自然破壊、人間の国土開発力を過信してしまった。
化学肥料、殺虫剤等のケミカルが農地、河川を汚染し、
小動物を壊滅状態に追い込み、自然との共存関係は消失した。

  昔、ペットショップなんて無かった頃、猫は自分の一大事(出産と臨終)には山に帰る。
子供を生めば、しばらくして子供達を引き連れて飼い主のもとに帰参してくる。
そんな話を祖母から聞いたような気がする。
小生が小学校の頃、祖母に馴染んでいた我が家の猫も、最期は里山の中へ姿を消した。
我輩は猫である、イヤ 猫ではないが、猫の気持ちは良く判る。

小生も雑木林の中で、落ち葉の上で、暖かな夕日の射し込む中に最期を迎えたいと思っている。
少々の痛みは我慢する。小さい頃、そんな里山が遊び場だったからかも知れない。
そんな雑木林は今は某大学の体育館の敷地になってしまったし、
もろもろの条件はそんなことを許してくれる環境にはない。

ただ末期療法でのパイプ類で縛られた状態よりは雑木林の落ち葉の上が心地よく感じるだろう。
姥捨ての老人達も、遠野の蓮台野の老人達も、
自ら進んで里山奥に末期を迎えに出たのではなかろうか。

  人間は自然環境を激変させる行動を平気でする、
それは生物他種すべてを巻き込んでしまう身勝手な行動でもある。
すでに人類は生物である穀類植物を食料とし、動物を家畜化して食料として手なずけ、
結構身勝手な扱いをしてきた。

全体の地球環境を破壊することは、これ以上に極めて身勝手な許されない行為である。
食料とする他の動植物に対してだけではない、チェルノブイリーや福島原発の核廃棄物の処理など、
我々の子孫に、人類末裔に多大な負荷を残してしまった。
こうした事実は如何に現代人が大きな短所・欠陥を有する動物に変貌してしまったかを示している。

  産業革命以降、物質至上主義、物質所有と生産拡大、資本主義経済の成長と儲け競争の加速、
これだけ多くの人類の禍根を積み上げながら、近代化、未来に向けた開発だと美化して、
人類末路の方向修正を行う気配は乏しい。

だが、明確なことに、人間が万物の霊長の如く、自然の限界をも考えないで、
開発・開拓・荒廃を自由にしてきた時代は終わった。
人間が生物の頂点に居る訳もなく、
たまたま人間の目に認識できる大きさの生物の中で割と自由に生活している、
ただそれだけのことなのだ、そんな勘違いをしているだけなのだ。

 他の昆虫や微生物の生息は、少量の食料で人間の何十倍、何万倍も生息でき、
環境への順応力にも長けている事実を愚かな人間は認知していない、それだけの事である。

  愚かな人類であっても、愚かな人類であるが故に、
人間が地球上の環境全てを激変させてしまう知力も暴力も持っている事実は
認識しておかねばならない。
しかし、自然の暴力も膨大である。
国土の地表指標点は今回の東日本大地震で最大76cmも太平洋側・日本海溝側へ移動した。
広域の指標点もことごとく同方向へ移動した。

大震災以降の余震震源地は茨城・千葉北部へ南下傾向にあり、
東京直下型の震災確立も高く、その規模はM7とも言われている。

となれば莫大な被害が再び近未来に生ずることになる。
自然への畏怖を忘れ、身勝手な生物・人間の行動に対して、
海が鳴り、山が叫び始めたのだ。