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末日聖徒イエス・キリスト教会モルモン教会
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 旧約聖書、新約聖書を読んでいると同じ組織の中でも大きく二つのグループに分かれています。もちろん、モルモン書も同じです。

 この二つのグループを新約聖書のコリント人への第二の手紙 3章6節の言葉で表すと「文字に仕える者」と「霊に仕える者」となります。
モルモン書で言うと「レーマン人」と「ニーファイ人」となりますが、モルモン書の中で「ニーファイ人」も堕落する場面がありますので混乱を避けるためにここでは、「文字に仕える者」と「霊に仕える者」と言う表現で話を進めます。

 旧約聖書、新約聖書、モルモン書、どの時代にも「文字に仕える者」と「霊に仕える者」のグループに分かれているのです。正確に言うと、モルモン書には、「霊に仕える者」だけの民の記録も一部書いてありますが、ほとんどが「文字に仕える者」と「霊に仕える者」の二つのグループの争いの記録です。

 旧約聖書では、ノアと言う預言者の時代に悪人は大洪水によって亡くなったのですが、大洪水の後に「文字に仕える者」と「霊に仕える者」のグループに分かれます。モーセと言う偉大な預言者のときもエジプトからイスラエル人を救い出しましたが、やはり「文字に仕える者」と「霊に仕える者」の二つのグループが存在していました。

 新約聖書では、

新約聖書
ヨハネの第一の手紙
2章19節

彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。

   

 この聖句から二つのグループ、「文字に仕える者」と「霊に仕える者」が存在していたことがわかると思います。

 そのことを考えると、回復された真実の教会にも二つのグループに分かれていると考えるのが妥当だと思います。

 個人的に
「文字に仕える者」のグループをモルモン教会の会員と呼び、
「霊に仕える者」のグループを末日聖徒イエス・キリスト教会の会員、
または、末日聖徒
と呼んでいます。

 ちなみに、末日聖徒イエス・キリスト教会の聖典のひとつである「教義と聖約」では、「霊に仕える者」を「長子の教会に属する者」と表現して一般の会員と分けた書き方をしています。

 「文字に仕える者」と「霊に仕える者」の二つのグループが教会に存在しているとこと理解してないと私が経験した「無知」に書いてあるような大惨事に遭う危険性があるのです。

 では、なぜ神は「文字に仕える者」をそのままにしておくのか?

 それは、
神の愛なのです。「文字に仕える者」が悔い改めて「霊に仕える者」となれるように「文字に仕える者」を追い出さないで忍耐強く悔い改めをまっているのです。

 また、教会では、「霊に仕える者」となれるように「文字に仕える者」でも教会の責任に召します。ときには、指導者的な責任にも召します。

 たとえ、「文字に仕える者」が指導者的な責任に召されても「霊に仕える者」は、聖霊に従うことを知っていますので「文字に仕える者」の指導者から害を受けることがないのです。

なぜなら、

ブリガム・ヤング
大管長の言葉
(説教集 9:150)

(1996年8月号 の聖徒の道の8ページでジェームズ・E・ファースト第二副管長が引用しています。)

私は、この民が指導者をあまりにも信頼しすぎて、自分たちが神によって導かれているかどうか自分自身たずねようとしなくなることをこのほか憂慮している。私が恐れているのは、この民が、盲目的な信頼に陥り、よく考えもせずに信じて、みずからの永遠の行く末を指導者の手に委ねることである。こうした信頼は、かれらの救いに関する神の目的を妨げ、指導者に対する彼らの影響力を弱めてしまう。この民は、自分が正しい道に導かれていることをイエスの啓示によってみずから知ることができたのである。男女を問わず、すべての人は、神のみたまのささやきによって、指導者が主の導かれる道を歩んでいるかどうか、自分自身で知るように努めなければならない。

  


 「霊に仕える者」は、上記のブリガムヤング大管長の言葉を御霊を通して熟知しているからなのです。

 しかし、「無知」だった当時の私は、まさしく妄信的な信頼に陥り、よく考えもせずに指導者にゆだねてしまったことです。そのためとてつもない不幸を招いてしまいました。大切なことは、みずからイエス・キリストの贖いによって与えられる助け主である真理の御霊による啓示を大切にすべきでした。

 くれぐれも、「文字に仕える」モルモン教会の指導者にはご注意ください。

 モルモン教会の指導者と末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者の見分け方は、自分自身が「霊に仕える者」になることです。

 それに、人は不完全ですから「文字に仕える者」の時もあれば、「霊に仕える者」の時もあるのです。ですから一概に決め付けることは出来ませんのでご注意ください。


 話しを少し変えます。

歴代大管長の教え
デビット・O・マッケイ
第三章
「教会の目的」

教会の使命は地上に神の王国を最終的に確立するよう道を備えることです。
  


 デビット・O・マッケイ大管長は、明確に教会の使命を公表しています。

 すなわち「末日聖徒イエス・キリスト教会」=「神の王国」ではないのです。
「末日聖徒イエス・キリスト教会」は、「地上に神の王国を最終的に確立するよう道を備える」ことです。

 このことを正しく認識してないと真実の教会に集っていても悲劇が起こるのです。

 現段階の末日聖徒イエス・キリスト教会は、神の王国ではなく、神の王国に行くための予備校と考えるべきです。予備校ですから「文字に仕える者」もいれば、「霊に仕える者」もいるのです。そして、予備校の教師は責任に召された人ではなく御霊が教師です。指導的な責任を受けている人も福音の実技を学んでいる生徒なのです。

新約聖書
マタイによる福音書
23章10節

また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。
  


 でも、福千年と言う次の時代では予備校としてではなく神の王国の組織として働くでしょう。

 日曜学校、神権会、扶助協会などで「霊に仕える者」になるための学科を学び、責任を通して「霊に仕える者」になるための実技を学ぶのです。そして、実際の生活のあらゆる場面で御霊の働きを実践するのです。
そして、聖典にでてくる多くの預言者のように「霊に仕える者」になり、神の王国に行く権利を得るのです。


新約聖書
コリント人への
第二の手紙
3章6節

神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。
   


 この聖句のとおり「文字に仕える者」と「霊に仕える者」の違いは明白です。「文字は人を殺し、霊は人を生かす。」のです。

 信仰生活が苦に感じる人は、「文字に仕える者」の可能性があります。

 特に末日聖徒イエス・キリスト教会では「文字に仕える者」の信仰生活が苦痛に感じる傾向が出やすいのです。

 ですから、「霊に仕える者」になるためにこの地上で最高の環境なのでしょう。

 「霊に仕える者」は、信仰生活に大いなる平安の御霊の慶びがあるのです。「文字は人を殺し、霊は人を生かす。」のです。

 「文字に仕える者」になるか、「霊に仕える者」になるかは、私たちが福音を人の知恵で理解するか、真理の御霊によって理解するか、その人の自由意志の結果なのです。



新約聖書
コリント人への
第一の手紙
2章11節〜14節



いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。

ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。

この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。

生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。

   

 「霊に仕える者」とは、御霊によって神の御心を理解し、御霊によって福音を理解し、御霊によってすべてのことを判断できるになるために精進している人が末日聖徒イエス・キリスト教会の会員なのです。

 でも、悲しいことに教会には「文字に仕える者」も沢山います。



新約聖書
ヨハネの
第一の手紙
2章18節〜19節


子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。

彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。


 と、新約聖書時代の初期の教会にも「霊に仕える者」になれなかった人々が反キリストになったように現代の教会にも同じような現象がおきているみたいです。

 御霊によって福音を理解し「霊に仕える者」になっている末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の家族は、家庭の中が本当に小さな天国のようになっています。

 一方、福音を人の知恵で解釈し「文字に仕える者」、すなわち、モルモン教会の会員の家族は、悲惨な状態です。外面だけよく見える家族でも内面は争いがたえない仮面夫婦・仮面家族です。


 また、運動競技、芸術、文学、科学、・・・・・、どのような分野でも共通するのが奥義を窮めるのは限りがありません。

 
「霊に仕える者」になることも同じです。霊に仕えることの素晴らしさを知れば知るほど、奥の深さを感じます。

新約聖書
マタイによる
福音書
17章20節


するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。

   

 と、イエスが言われているように「霊に仕える者」の奥義を悟った人間は山をも動かすことができるのです。信じられないことですが不思議な経験をいくつか経験してくるとイエスが言われたとおりである確信が増します。

 そう考えるとまだまだ私は「霊に仕える者」の奥義を悟ってないと思います。これからも日々精進の気持ちを忘れずにいたいと思います。

 末日聖徒イエス・キリスト教会の会員とモルモン教会の会員は、同じ教会に集っていても全然違いますのでご注意ください。


 もう一度書きますが「末日聖徒イエス・キリスト教会」=「神の王国」と考えるから問題がおきると思います。現段階では、教会を神の王国に行くための予備校なのです。教会の存在目的を正しく認識していれば多くの問題がなくなると思います。

 予備校は、大学合格ができるために勉強を学び、訓練する場を提供しているだけです。それと同じく教会は、神の救いを得られるために福音を学び、訓練する場を提供しているだけなのです。

 教会を離れた多くの人が教会に救いを求めていますが、救いはあくまでも神様から与えられるものです。どのようにしたら神からの救いを得られるかを学び、訓練して習得する場所が教会なのです。教会に頼らずに神に頼るべきです。

 教会は、予備校と同じですからいろんな人がいます。
予備校には千差万別な人が集まります。東大にほんのわずかの差で落ちた人もいれば、最低ランクの大学にも引っかからない人もいるのです。まじめに勉学に励んでいる人もいれば、遊び歩いている人もいるのです。「予備校に行っている人」=「東大に行く人」ではないのと同じように「教会に行っている人」=「神の王国に行く人」ではないのです。予備校ですからいろんな人がいるのです。

 でも、福音の奥義を悟り神からの助けを得るためには、末日聖徒イエス・キリスト教会が最高の環境だと確信しています。

 しかし、聖句を使った人の慰めだけがほしいのなら末日聖徒イエス・キリスト教会よりカトリックやプロテスタントの教会の方が良いと思います。

 カトリックの神父やプロテスタントの牧師は、聖句を使った人の慰めを与えるプロだからです。それに比べ末日聖徒イエス・キリスト教会の地元の指導者は生計を立てる仕事を別に持ったアマチュアの指導者で教会から金銭もしくは物品的な報酬を一切もらっていません。それどころか自分の収入の10%以上のお金を教会に献金しているのです。なので一時的な聖句を使った人の慰めがほしい方はプロフェッショナルの神父のカトリックか牧師のプロテスタントをお勧めします。彼らは、みずからの生計のために聖句を使った一時的な人の慰めを与えてくれます。

 その違いが人が創った教会と神が組織された末日聖徒イエス・キリスト教会の違いです。
カトリックやプロテスタントは聖句を使った人の慰め末日聖徒イエス・キリスト教会は福音を悟ることによって与えられる神からの慰め。これを勘違いするとたとえ真実の教会にいても不幸を招きます。

 余談ですがカトリックとプロテスタントの違いは、簡単に言うと直営の大型スーパーとフランチャイズのコンビニエンスストアの違いです。カトリックは、直営の大型スーパーですから信者の献金はすべて組織に入ります。同じ位の神父間で貧富の差は、ほとんどないと言うか全ての物が組織の所有物です。プロテスタントは、フランチャイズのコンビにストアですから信者の献金のほとんどが牧師のものです。ですから同じプロテスタントの牧師でも貧富の差が大きいです。世界レベルで考えると年収が日本円で億を超える牧師もいるみたいです。日本レベルでも年収が数千万円を超える牧師を知っています。

 要するにカトリックとプロテスタントの神父と牧師は、信者の献金で養われているのです。言葉を変えると信者を食い物にしているのです。

 そして、カトリックもプロテスタントも出ところは今でも他宗教から忌み嫌われている十字軍です。十字軍として世界を恐怖にみたした子孫がカトリックとプロテスタントなのです。

 キリスト教を政治の道具として使うためにローマ帝国のコンスタンティヌス帝が西暦325年にキリスト教関係者300人を小アジアのニコメディア市南方のニケーア (ニカイア) に召集して多数在ったキリスト教の宗派を一つにまとめるために無理やり決めさせたのがニケーア (ニカイア)信条と言うものです。一つにまとめたほうがコントロールしやすいからです。

 ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が決めさせたニケーア (ニカイア)信条を受け入れた教会を「正統派」と呼び、受け入れない教会を「異端」として廃絶しました。

 「正統派」と聞くといかにもイエス・キリストが組織した教会のように聞こえます。しかし、実体は、キリスト教を政治の道具として使うためにローマ帝国のコンスタンティヌス帝が決めさせたニケーア (ニカイア)信条に従うか、従わないかの違いです。

 すなわち、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝に従う教会が「正統派」で、従わない教会が「異端」なのです。

 神様やイエス・キリストと聖霊に関しての真理が、人の議論で決まるのでしょうか?

 もちろん、末日聖徒イエス・キリスト教会は、人が寄り集まって決めたものを真理として受け入れません。真理は、人の議論で決まるものではないのです。神様やイエス・キリストと聖霊は、人の創造物ではないのです。この世にある全ての物が神の創造物なのです。

新約聖書

ヨハネによる福音書

14章16節〜17節

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

  

モルモン書

モロナイ書

10章5節


そして聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。
 


 人の議論で真理を導き出すのではなく聖霊の力で真理を悟るのです。

新約聖書
マルコによる
福音書
8章14節〜21節


弟子たちはパンを持って来るのを忘れていたので、舟の中にはパン一つしか持ち合わせがなかった。

そのとき、イエスは彼らを戒めて、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」と言われた。

弟子たちは、これを自分たちがパンを持っていないためであろうと、互に論じ合った。

イエスはそれと知って、彼らに言われた、「なぜ、パンがないからだと論じ合っているのか。まだわからないのか、悟らないのか。あなたがたの心は鈍くなっているのか。

目があっても見えないのか。耳があっても聞えないのか。まだ思い出さないのか。

五つのパンをさいて五千人に分けたとき、拾い集めたパンくずは、幾つのかごになったか」。弟子たちは答えた、「十二かごです」。

「七つのパンを四千人に分けたときには、パンくずを幾つのかごに拾い集めたか」。「七かごです」と答えた。

そこでイエスは彼らに言われた、「まだ悟らないのか」。

 


 イエス・キリストも論じ合うのではなく心で「悟る」ことの大切さを説いています。



 でも、残念なことに日本人は「正統派」「異端」と言う言葉に弱いのです。



 ちなみに末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長、十二使徒などの幹部の生活費は、生活共同体と言うやり方をしています。幹部に召された時に財産をすべて教会に納め、納めた財産から生活費を分配しています。教会が大会社の株券を所有しているのは以前幹部に召された人が所有していたものがほとんどです。教会幹部の生活費に信者の献金は、一切使われておりません。すなわち、信者を食い物にしていないのです。

 ここが、他の宗教団体と大きな違いです。なぜなら、真実の教会だからです。

 余談が続きますが、ゴートン・B・ヒンクレー大管長は、一般向けの本を書き一般の書籍店で販売したらベストセラーになり、印税収入から税金、一般の慈善団体の寄付などを差し引いた額が400,000ドル、日本円で約44,000,000円を超えたそうです。彼は、教会幹部の生活共同体に入っているのですべてを教会に納めたそうです。なのに一部の無知な人たちは、大管長の年俸が44,000,000円毎年教会から貰っていると騒いでいると言うメールを友人から貰いました。困ったものです。貰った額ではなく納めた額なのに。


 話を戻します。

 末日聖徒イエス・キリスト教会は、

新約聖書

ヨハネによる福音書

14章16節〜17節

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

  

 と、イエス・キリストが約束された助け主である真理の御霊を受けるための学びの場であり訓練の場なのです。日曜学校、扶助協会、神権会、聖餐会などで御霊を受けるための福音を学び、教会のそれぞれの責任で御霊を受ける実技を訓練するのです。教師は、御霊です。そして、自分の家族、社会の中で御霊を受ける実践をして家庭を小さな天国にするのです。

 もう一度書きますが末日聖徒イエス・キリスト教会は、人の慰めを受けるために組織されたものではないのです。ですから、人の慰めや知恵を求めている人には不向きです。

 ただし、イエス・キリストが約束された助け主である真理の御霊を受けるための学びの場、訓練の場としては最高の環境の教会です。まさしく真実の教会です。

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メ ー ル
kaz_ito_room@yahoo.co.jp
z_ito_room@yahoo.co.jp

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