コラム

第2回 モノと人(2)
2000.1.11


 モノの構造や仕組みを理解した上で使うということは、かつてはごく当たり前のことであったと思う。仕組みがわかっていれば、たとえ自分では作れなくても、日常的なメンテナンスは自分で行なえるし、些細なトラブルにも対処できる。当然、使い方もそのモノの性質にあった使い方をするようになる。

 最近の機械は、面白くないと思う。車も、昔のクルマの方が魅力的に感じる。それは、職人芸的な部分が感じられるからかもしれないし、法規制などにあまりとらわれない自由な部分が感じられるからかもしれない。しかし、最大の理由はもっと他の所にある。昔のモノの方が単純なのである。

 昔のクルマのエンジンルームを見てみる。エンジンがあり、ラジエーターがあり、キャブレターがあり、排気管が見える。いくつかの補機類があり、それぞれの機能・役割や全体の構成は一目瞭然である。それらの隙間からは駆動系が覗き、地面が見える。

 最近のクルマのエンジンルームはどうであろうか。エンジン本体にはカバーがかぶせられており、よく見えない。当然、他の機器も見えない場合が多い。カバーが外されたエンジンには、制御のためだろうか、電子機器らしいユニットがあり、そこからは多くのケーブルが縦横無尽に張りめぐらされている。

 機械が、ブラックボックス化している。中身がどうなっているのかわからずに使っているものがあまりにも多い。わからないから、不具合が起きたときに自分では対処できない。また、構造がわからないから変な使い方をしてしまう。

 コンピューターをはじめ、電子機器は我々の生活に欠かせないものとなってきている。電子機器というのは機械的なものに比べて一般人には構造が理解にしくく、またデリケートであるためブラックボックス化せざるを得ない。実際、僕自身も今自分の目の前にあるMacが具体的にどういう回路で成り立っているかはしらない。むしろ、自分の使っているパソコンを素子レベルで理解できている人はほとんどいないであろう。

 このごろ、機械を長く使う人が少なくなっているという。壊れたら新しいものに買い替え、それまで使っていたものは捨ててしまう。技術の進歩が早いせいもあるだろうが、これは前述のブラックボックス化と無関係ではないと思う。

 電子機器を駆使した機械は、構造が複雑なので自分で直すことは普通できない。また、生産性の向上や配線の簡略化のためにいくつかのユニットに分けて作られているので、修理の際にはそのユニットごと交換というケースが多い。そうなるとどうしてもメーカーのサービスを利用するので修理費は高くついてしまい、下手をすると買い替えた方がいいという場合もある。そうなれば、修理するのも面倒だから買い替えようかということになってしまう。

 修理できないからだけではない。わけのわからない機械には、愛着がわきにくい。愛着がなければ捨てることに抵抗はないし、直す気にもならない。だったら、より新しい、安い機械に買い替える。つまらないデザインならば、なおさらである。

 一時期モノに対するこだわりのない人が少なくなかったのも、こういうことが一因にあると思う。最近、この流れが変わりつつあると思う。ブラックボックスである機械も、デザインの工夫によって愛着が持てるようになってきた。また、昔ながらのローテクなモノも評価されている。いいことだと思う。

 もはや、ハイテク機器のない生活は考えられない。しかし、ハイテク機器の構造を理解することは難しい話である。モノを理解することの意味が、ハイテク化によって変わってきていると思う。構造を知るのでなく、役割と機能を知ることに。

 20世紀は、科学の世紀であった。その間に、モノと人との関係が急速に変わってきた。前回述べたような現象やPL法の制定などはその変化がもたらした歪みの一部分であると思う。今、モノと人とのあり方をもう一度考え直す時期が来ているのかもしれない。

 コラム「モノと人」 完



 もどる