かにた婦人の村のこと


かにたって、なんですか?
それは、ここを流れる小さな谷川の名前でした。
カニがチョロチョロする小川の誰も住まない日だまりに、おいて行かれた、
全国からの幸薄き女性たちは、優しい大自然に抱かれ、息づき、癒され、
洗われ、甦り、あます力とあます命を惜しみなく発揮しています。
けれども、持って生まれた才能に乏しく、生後の環境もわるく、女性として
搾取されつくしていますので、あらゆる工夫にも拘らず、生産するものは僅
かです。とても常人の半分も、四半分もむずかしいのです。
(かにた便より)

1.かにた婦人の村

 かにた婦人の村のことを初めて知ったのは、1982年の、大学1年の夏休みに、実家でたまたま目にした
婦人雑誌の記事でした。思春期を複雑な家庭環境で過ごした私は、児童福祉、とくに非行問題ばかりに目
が行っていたのですが、かにた婦人の村のことは、とても印象的でした。そして、売春防止法に基づく婦人
保護事業というものがあり、婦人保護施設があるということを知ったのも、その時でした。
 かにた婦人の村は、長期婦人保護収容施設として、知的障害と精神障害、何人かの人は身体障害までも
併せ持った、社会復帰が困難と思われる女性が日本全国から集まってきています。各都道府県に枠があっ
て、各地の婦人相談所を通して入所します。法的主体は売春防止法、経営主体は社会福祉法人ベテスダ奉
仕女母の家です。初代施設長で、現理事長は深津文雄牧師です。

 かにたでは入退院による増減があるのですが、大体80名くらいの寮生が生活しています。寮生は6件の寮
(担任はいるが、職員は常駐はしていない)と、養護棟で生活し、自分の好きな作業班に通って仕事をしていま
す。そして、毎月作業労賃を得て小遣いなどに充てています。作業は、農園(畑、牛、豚)、中古衣料整理(全
国から大量に送られてくる)、調理補助、陶芸、パン屋、洗濯、掃除などがあります。
 
 私のいた大学では、3年の時に社会福祉実習という必修科目があります。多くの学生にとっては、初めて福
祉の現場に触れるチャンスです。そして私は、心にひっかかっていたかにた婦人の村に、頼み込むような形で
実習させて頂いたのでした。3週間の泊まり込みでした。
 作業班での実習は楽しいものでした。毎朝食堂で深津ご夫妻と一緒に朝食を摂り,毎日実習日誌を提出す
る(ほぼ交換日記)以外は野放し状態でした。
 
 実習日誌の中で印象深かった事は、農園で野菜の収穫を手伝った時、「私の取った菜っ葉がお味噌汁の中

に入っていたら、あ、私の取った菜っ葉だ、と嬉しく思うけど、豚肉を食べながら、私が世話した豚の肉だわ、と
は思えない」と書いたら、深津先生に「そんな中途半端なブルジョア意識は即刻捨てるべきである」と叱られて
しまったことです。スーパーのトレイに綺麗に入っている肉も、同じく命のあったものなのですから。私はほんと
に恥ずかしくて、もう、一生懸命考えて、(その過程は略します)感謝して食べるということに辿り着きました。

 私は特に信仰している宗教があるわけではありませんが、自分や家族の命を繋ぐために動物や植物の命を
貰っているということをいつも真摯に受け止め、感謝する事を忘れてはならないと思うのです。農業に惹かれ
ていった原点は案外この辺にあるのかもしれません。

 
 その他には、寮生が色々な物をくれる事で、それはガラクタから手作りの物、お金を出して買ったもの(お菓

子等)など様々でしたが、それらを受け取って良いものか聞いたときに、物をくれるという行為には、他の人よ
りも良く思われたいというような綺麗とは言い難い心もあるのだが、それらを全て受け取ってしまう事が治療に
なると思うから自分は何でもくれると言う物は全て受け取っていると言う答えを頂いた事も、忘れられません。
自分だって、贈り物をした時にありがとう、と感謝して受け取ってもらうことは確かに嬉しい事ですから。


 あと、何といっても素晴らしかったのは、食事がとっても美味しい事です。そして、足りないよりは余る方が良
からとたっぷり有り、おかわり自由なのです。

 寮生が私に話すのはかにたの自慢話ばかりで、イヤだという事を訴えてくる人はほ
とんどいませんでした。
長く居る人がほとんどなので、入所した当初は禁酒・禁煙が辛かったとか、テレビが無いのがつまらないとかい
う話はありましたが。
 
 そんなわけで,実習を終えて、私はかにたが大好きになっていました。