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偉大なるストーンフェイス。バスター・キートンについて、少し・・・・

本名、ジョセフ・フランシス・キートン。1895年10月4日、カンサス州生まれ。

父と母は舞台芸人で、薬を売るために客を集める「メディシン・ショー」の出演者として、名を売っていた。

キートンは、幼年期から父、母と共に舞台出演。「ザ・スリー・キートンズ」として人気を得て、各地を巡業。

バスターの名付け親は、占星術をよくするといわれたハリー・フーディーニ。

赤ん坊のキートンが階段から転げ落ちたとき、かすり傷はおろか、笑っていたことから、

「赤ちゃんはなかなかの大立ち回り(バスター)でしたよ」というところかららしい。

1917年にニューヨークでロスコー・アーバックルと出会い映画界へ入った。

18年に第1次世界大戦のため一時徴兵となるが、アーバックルの助演から19年には主役は昇格。

アーバックルは他社に移籍のため、彼の元マネージャーであったジョー・スケンクという人物が

作戦参謀として、キートン自身の作品制作を行うよう独立プロダクションが設立された。

同時代では、ハロルド・ロイドがキートンを意識しており、偶然にも年産2本の長編発表で完成度、

ウケ具合等などを競っていた。

キートン最初の主演作品は、「マイホーム」とされている。(アーバックル共演作品を除く)

何本かの超ヒット作を発表したのち、1928年、マネージャーの奨めにより、M.G.M.社の契約

スターとなる。・・が、多くの批評は、このころからのキートン作品は駄作と書かれる。

サイレントからトーキー映画へと時代は移り、キートンは、冬の時代を迎える。

そののち、「サンセット大通り」「ライム・ライト」「80日世界一周」

などに出演。

1966年2月1日、逝去。

(参考資料・サイレント・コメディー史/喜劇映画研究会編)