1911(明治44年)
2月26日 |
岡本一平、かの子の長男として生まれる。 |
1917(大正6年)
6歳 |
東京・青山の青南小学校に入学する。転校を重ねた後、慶應義塾幼稚舎に入学。 |
1929(昭和4年)
18歳 |
東京美術学校洋画科に入学するが、半年後に中退し、一平、かの子、とともに渡欧、翌年よりパリで生活を始める。 |
1932(昭和7年)
21歳 |
ピカソの作品を見て衝撃を受ける。翌年、非具象芸術グループ「アプストラクシオン・クレアシオン」に参加。 |
1937(昭和12年)
26歳 |
「アプストラクシオン・クレアシオン」を脱会。はじめての画集『OKAMOTO』刊行。 |
1938(昭和13年)
27歳 |
パリ大学で民族学を学び始める。 |
1940(昭和15年)
29歳 |
ドイツ軍のフランス侵攻により、帰国。 |
1942(昭和17年)
31歳 |
現役初年兵として出征。1946年に復員し、東京青山に戻る。 |
1947(昭和22年)
36歳 |
この頃より「対極主義」を提唱。 |
1948(昭和23年)
37歳 |
「夜の会」を結成し前衛芸術運動を開始。 |
1952(昭和26年)
41歳 |
東京国立博物館で見た縄文土器に衝撃を受け、「縄文土器論」を発表。 |
1953(昭和28年)
42歳 |
パリとニューヨークにて個展を開催。 |
1954(昭和29年)
43歳 |
青山にアトリエを移し、「現代芸術研究所」を設立。『今日の芸術』が刊行される。 |
1956(昭和31年)
45歳 |
映画「宇宙人東京に現わる」の宇宙人の美術デザインを担当。 |
1959(昭和34年)
48歳 |
彫刻にも本格的に取り組み始める。 |
1962(昭和37年)
51歳 |
二科会を脱会。『忘れられた日本─沖縄文化論』を刊行、毎日出版文化賞を受ける。川崎市の多摩川河畔に岡本かの子文学碑「誇り」を制作。 |
1967(昭和42年)
56歳 |
日本万国博のテーマ館プロデューサーに就任。 |
1970(昭和45年)
59歳 |
日本万国博覧会に「太陽の塔」を建て、テーマ館館長を務める。 |
1972(昭和47年)
61歳 |
飛行船に絵を描く。 |
1981(昭和56年)
70歳 |
テレビCMでの「芸術は爆発だ」が流行語となる。 |
1985(昭和60年)
74歳 |
青山・こどもの城に「こどもの樹」を制作。 |
1991(平成3年)
80歳 |
川崎市に主要作品を寄贈。 |
1993(平成5年)
82歳 |
川崎市名誉市民となる。 |
1996(平成8年)
83歳 |
1月7日、急性心不全により死去(享年84歳)。 |