生徒指導上のルール

 生徒の起こす問題行動の初期段階として、よく校内飲食が取り沙汰されます。

 校則の中に明記されているかどうかはともかくとして、義務教育のほとんど(全て?)の学校では登下校時も含めて飲食は禁止していることでしょう。
 しかし、ここで敢えて考えてみたいと思いますが、なぜ校内飲食は禁止なのでしょうか。

 曰く、「学習に不要な物である」「食生活が乱れる」「金銭感覚が無くなる」「食べ散らかしてゴミが散乱する」「喫煙などの問題行動につながる」等々…
 よくよく考えればいずれも授業中には自粛するなどのけじめがつけられれば、学業には全く支障がないはずです。これはどちらかといえば躾の問題であり、食べることそのものが問題なのではありません。

 実際に、子どもの飲食を問題視している大人の側にもマナーの悪い人は大勢います。子どもは身近な大人の行動(特に悪いこと)を見てそのまねをするという傾向があります。 「校内での禁止」という箍を外された大人が、所かまわず食べ散らかす様子を見れば、子どもたちも「学校を離れれば好き放題できる」と考えても不思議ではありません。

 生徒指導では、子どもの動きに制限をかけて問題行動を未然に防ごうとしますが、そうなると子どもは大人の目を盗んではルールを逸脱するようになるでしょう。
 そうなるともうイタチごっこです。であれば、何でもかんでも禁止するよりは、飲食そのものは認めた上で「マナー指導」に切り替える方が得策でしょう。これは携帯電話の指導にも通じるものがあります。

 それにしても、なぜ学校側がそろいもそろって杓子定規に禁止しているのでしょう。
 私が思うに、「自分たちも認められなかったから…」というのが最大の理由のように思えますが…

 学校という場は、知識や技術を身につけるとともに、対人関係を含めた社会の仕組みを学ぶための場です。ここでルールを守ることの意義や、ルールを逸脱した場合のリスク(単に怒られるということも含めて)、その改正のための手続きを教えないということであれば、それは教育の怠慢というものでしょう。

 どんなルールであれ、それが定められる理由が必ずあるはずです。
 理由といっても、安全確保、礼法、トラブルの回避、業務の効率化、管理者の都合など、さまざまなものがあります。そして定められたルールは守り、ルールに不都合が生じたら変更する。それがルールのあるべき姿だと思うのです。
 したがって、校内飲食を禁止するのであれば、その理由を理解させた上でルールを徹底させる必要があります。
 そして、ルールに不満があるならばこれを改正するための手続きを教え、生徒の要望を却下するのであれば生徒が納得できるような理由を示さなければなりません。

 ところで、「郷に入れば郷に従え」という言葉があります。これは、「ルールは無条件で守るもの」というようなニュアンスを持っています。「学校に来るんだから学校のルールは守らなければならない」ということなのでしょうが、無条件にルールに従わなければならないのは「自分の意思で」その場に入る場合です。
 ルールに納得ができなければその場に入らない、あるいは別の場へ移るという自由が保障されているという前提が必要です。つまりこれは大人社会での話です。

 大人が決めたルールを、本人の意思とは無関係に(半ば強制的に)集められた子どもたちに適用するのは大げさにいえば子どもの人権を侵害することにならないでしょうか。
とはいえ、いずれは社会に出て行く子どもには「ルールを守ること」を教える必要があります。

 子どものルールに対する意識(ルールに限らず認識や思考全般について言えることですが…)には発達段階が考えられます。

 @ とにかく守らなければならないもの。
 A 意義をふまえてこれに従うかどうか判断するもの。
 B 状況に応じて変えたり新たに定めたりするもの。

 大雑把に言えばこんなところでしょうか。勿論個人差はあるでしょうが、小学校では低学年で@高学年でA、中学校ではAからBへの移行期、高校以降ではBと考えることができるでしょう。

 教師の立場では原則としてルールは守らせる方向で指導しますが、子どもがそのルールをどう認識しているかによって自ずと指導法は変わって然るべきです。

 @の段階では理屈抜きに「ルールは守りなさい」という指導になるでしょう。ここでは子どもの安全を守ることが最優先されます。実際問題として、相手は理屈が通用するほど状況認識が発達していません。まずはルールを守らせるだけで精一杯です。

 状況認識が発達すると、杓子定規にルールを守らなくても不都合がないことに気づきはじめます。子どもの正確にもよりますが、「ちょっとくらいなら…」「誰も見ていないから…」と考えはじめるわけです。しかし調子に乗りすぎると思わぬところでトラブルが待ちかまえています。これがAの段階です。
 ここでは、なぜそのルールがあるのかという理由付けが重要になります。ルールを守っていればとりあえず安心できるし、トラブルがあっても、小さなものであればルールに従って自分たちで解決することができるようになるからです。そして、やむを得ずあるいはついうっかりルールを逸脱することがあっても、実害がなければお互いに目くじらを立てることもなくなります。

 しかし、そうして身の回りのルールを見ていくうちに、いくつかはどう考えても行動を制限されて窮屈な思いをするだけだと感じるものが見えてくるでしょう。こうしてBの段階に移行するわけです。
 この段階では、ただ「ルールを守りなさい」と言うだけでは子どもは納得しません。また、意義を理解できないできないルールには不満を感じます。これを「問題行動」と見なしていたのではいつまでたっても解決を見ずに、大人への不信感を募らせるばかりです。
 こうなると、生徒の要求を何らかの形で聞く必要が出てきます。そのためには、子どもに要求を出すための手続きを教える必要があるわけです。具体的には、生徒会で決議を出すなどの方法があるでしょう。

 生徒会活動は学校管理下で行われる活動ですから、管理責任者である校長以下教職員の認める範囲内でしか活動ができないという制約はあります。ついでに言えば、行事の運営などにうまく利用されているという側面もあります。
 しかし、逆に言えばそうした制約の中で、いかにして自分たちの学校生活を快適で有意義なものに高めていくかを考えることができます。これは自治活動以外の何物でもありません。

 私は子ども達に、国の政治にも関心を持ち、自分の権利を守ろうとする意識を持った社会人になってもらいたいと考えています。何よりも問題なのは、あきらめて無関心になってしまうことだと思うのです。

 ルールを変えようとした場合、最終決定権が大人にあるという事実は重要です。それは、子どもが何を話し合っても無駄ということではありません。大人を説得できるだけの議論をできるかどうかが試されているということなのです。
 場合によっては、議論を続ける過程で子どもが自らの論理の矛盾点に気づき、要求を取り下げることもあるでしょう。それは決して敗北ではなく、ルールの妥当性を認識したということなのです。

 問題になるのはそうした過程における学校側の対応です。ただ「駄目だ」の一点張りではなく、子どもの要求をしっかり聞き取り、要求に正当性があればこれを認める方向に、認められないのであればその理由を説明する責任があります。
 教育機関という性格上、子どもの権利は少なからず制限を受けているわけですから、このことに対する説明責任を果たす必要があるはずです。

 ただ、現実の問題として生徒会活動が有名無実となってしまっている学校も相当数あるということも否定できませんが…

 

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