|

芙蓉寺 坐禅修行道場
禅、修業を云う前に
通常、大部分の人は間違いの無い生活、自分を生きている。ただそれに確固たる自信を持てていない、が故に、迷う時がある。誰も人生とはこうだと、確信を持って生きている人などいない。ある程度のところで折り合いを付けている。それが人というものなのです。
その事をよく納得し、生活上足りない物は補い、余計なものは捨てる。
そうして、これなら、これで、私も自分の道を生きていける。これ即ち本当の自分、活きるという事なのです。
“人として活きる元気を取り戻す”
閉じた心の扉を開き、人の内に宿る元気を呼び戻す。生き方の方向性を確立させ、本来の自己・本当の自分に立ち戻る。或いはそれを探し出す。本人主役の坐禅・修行・研鑽の場所です。
『宗教』、即ち 心の、人の、世の中の本質を探る。
『坐禅』、即ち 黙坐瞑想、不動心と知恵を養い
『修行』、即ち 行動力を身に付ける。
「この三つを整え互いに融合させて、人としての機能、本来の元気を呼び戻させるのです」
「より強固に」
呪縛、自縛−生きる事の息苦しさ−からの開放⇒⇒生きるから活きるへ
思いが人を動かし、そして人を縛るのである。自分はどちらを向いて生き、そして何に縛られたか、縛られているのかを冷静に分析する。
いつの間にか人にはめ込まれ、人から作られた自分、又自ら作り上げた自分。何故そうなったか、そうならざるを得なかったのかを。
ここまで来れば答えはもう見えているのだが、ただ飛び出せない。
もっと自由に自在に高く羽ばたく
自分を解放し、よりよく生きる。欲望と保身と常識のしがらみからの脱出。人間社会というジャングルを、ある時には一人で生き抜くサバイバル術を。只生きるから“生き生きと活きる”の道に、勇気を持って一歩を進めようではないか。

“人とはかくも不可解な生き物である。故に古より皆道に迷い、心ある人はその生き方を模索してきたのである−”
|