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Data Picture 映画・青と赤 |
| ベストセラー小説「冷静と情熱のあいだ」が映画となって上映されました。ストーリーは順正(じゅんせい)とあおい、二人の主人公の再会と再生に向けてゆっくりと進んでいきます。私は映画で2回、ビデオで1回見ました。 |
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| 小説にしても映画にしても、イタリアを訪れたことのある方にはなつかしい記憶をゆさぶられ、イタリアをまだ見ぬ方にはイタリアへのあこがれをよび起こしたのではないでしょうか。 | |
| 順正のフィレンツェ、あおいのミラノ、そして二人が共有する東京。このページでは、物語の舞台となったイタリアの町をたどります。 映画や小説に関心がなければ、読み飛ばしたほうがいいページかもしれません。 |
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| 順正の、青の物語が小説のタイトルにもとづいて あおいの、赤の物語が 映画が青と赤の中間色となる |
| ▼ Firenze |
| 小説にある、ヴェッキオ橋から歩いて5分の、順正が通うアトリエから夕刻に出ると、橋の先にドゥオモのクーポラが見えることから、絵画修復士としてフィレンツェで働く順正の工房はヴェッキオ橋の南詰から川下に歩いてすぐのところにある。 映画では、自転車やバイクに乗った順正がサンタ・トリニタ橋を何度も行き来するとき、バックに決まってヴェッキオ橋が映っている。この2つの橋がとても大きく映っていることと、アングルからしてカッライア橋の上からかなりの望遠をかけて撮ったものと思われる。 |
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| 順正はラファエロが好きだ。とりわけこの美術館に飾られた「大公の聖母」には特別な気持ちがある。そして、「あおいの視線にも似た、斜め下を静かに見下ろす物憂げな視線の先」を想像しながら何百年も前に描かれた聖母のいまだ消えない美しさに見入るのである。 再会をはたしたあおいを、やはりこの絵を見に連れてきている。 |
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| 順正は、イタリア人とのハーフである芽美のことを、彫りが深い顔立ちと肉感的な身体つきから、ボッティチェリが描くヴィーナスに似ていると感じている。 映画の冒頭で絵画修復についてのレクチャーがおこなわれたのが、ウフィツィ美術館のミケランジェロの間。彫像が並ぶ廊下が何度も映る。 |
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| 順正が修復中だった絵画が何者かにズタズタに引き裂かれた。そのことで警察の取調べを受けたあとの深夜、この広場の角で順正は理由を考える。
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| フィレンツェを訪れた順正の祖父は、順正らとともにフラ・アンジェリコを堪能する。彼らが休憩した聖アントーニ回廊はミケランジェロが彫刻を始めた場所として伝説が残る。
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| 小説ではフィレンツェを一望できるほどの高台にあり、真下にアルノ川の水面が、ちょっと先にヴェッキオ橋が見えることから、ヴェルヴェデーレ要塞の西側のサン・ニッコロ地区にあることになる。 映画で使われたアパートはその屋上から眺めたドゥオモが近いことや、そのクーポラの方角からしてバルジェッロ博物館の北側にあるようだ。 |
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| フィレンツェ旧市街でアルノ川に架かる最上流の橋。ここで順正はジョバンナを見送り、高梨と話した。 |
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| 絵画修復の先生・ジョバンナが順正の腕に手を巻きつけて歩いていてドゥオモの前を通る。クーポラを見上げる順正に「どうしたの」とジョバンナが問いかけると「思い出ではなく、約束がある」ことを告げる。 あおいとの約束、実は自分との誓いを果たすため、順正は2年ぶりにフィレンツェへ戻った。その日、大聖堂のクーポラのあまりの高さに気づいた。 「その日」の朝、順正は「仮りに会えなくても、自力で壊れかけた自分を再生させて堂々と降りてくる」と決意して長い階段を登った。頂上に出たとき、春の風と見渡すかぎりのフィレンツェの風景が広がった。 夕刻にドイツ人の二人連れが、10年間待ちつづけた順正に四葉のクローバを渡し幸運を祈ってくれた。空が赤く染まり、そのときが訪れた。 映画ではオープニングとともに空撮によるフィレンツェの町並みがあらわれ、一目でドゥオモが見て取れる。ドゥオモの頂上の再会シーンでは、ジョットの鐘楼からのショットとともに空撮が印象的だった。 |
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| 二人が再会した直後にこの広場を訪れる。通りの奥にはドゥオモのクーポラが。順正とあおい、双方の姿をアップにするたびに画面のバックにはカチュウコの泉が映っている。
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| 順正とあおいが再会した翌日、二人はこの教会を訪れている。
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| あおいは順正を連れて野外コンサートに誘う。そして、思い出の曲が。 ミケランジェロ広場からアルノ川へ降りたところのポッジ広場の向かいで、川にせり出した部分。 |
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| 青で順正はあおいと再会した3日目、ミラノ行きのICに乗るあおいを改札前で見送った。 映画では、誰もいないホームで列車の到着を待つあおいの思いつめた姿がスクリーンの端に写されている。そのあおいを追いかける順正はバイクを駅のまん前に乗り捨てるのだから、なかなか男らしい。構内で駅員を捕まえ、次のESがあおいの乗るICより早くミラノ中央駅に着くことを聞かされる。 |
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| 順正がバイクに寄りかかり、あおいが遠くを見つめる映画のポスター画像はここで撮られた。
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| この物語ではFS列車が重要な役割をはたす。 青では順正は芽美といっしょに、芽美の父親に会いにESでミラノへ向かう。また、ICでミラノに戻ったあおいを、順正はイタリア最速列車ESで追いかけた。 映画であおいは、順正との永遠の別れに胸が痛み、IC車内で泣けくれる。 |
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| ▼ Milano |
| 父に会う目的でミラノを訪れた芽美とともに順正は付属食堂に眠るレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を観る。このとき2人は行列を並んで入場を待っており、壁画はまだ修復中であった。 あおいがミラノでいちばん好きな場所がこの教会の中庭だ。あおいは読書をしに、そして一人になりたくてやってくる。映画で、あおい役のケリー・チャンが回廊の柱にもたれて順正からの手紙を開く場面はとてもきれいなシーンだ。ミラノでの数年間、あおいはこの教会近くの高級アパートで恋人のマーヴと暮らした。 |
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| 順正は芽美とともにミラノの美術館をめぐる。ここではポッライオーロ、ジョバンニ・ベッリーニなどに触れる。
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| ルネッサンス美術の宝庫に目を奪われる順正。芽美はラファエロの「聖母マリアの結婚」の前で、父親に会いに行くと告げる。
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| 青では教会について「最初はその華やかさに引かれ、それから中に入って今度は信仰の尊さに心を奪われる」といっている。芽美にドゥオモの屋上に登ってみたいと云われて、あおいとの約束を思い出す。 あおいはミラノのドゥオモのことを荘厳だけど人をよせつけない感じがすると評する。二人の共通の友人である崇はあおいのアパートを訪れる前にドゥオモに登っている。 |
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| 順正はふと視界をよぎったあおいの姿を追いかけるが見失う。そして、会えると信じていればまた会えるという期待を抱いた。
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| あおいの幼なじみのダニエラはブラマンテが設計した教会でルカからプロポーズを受け、ここで結婚した。 |
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| 市内中心部にあって緑と水が豊かな公園の近くにあおいが勤めるアンティーク・ジュエリーの店がある。 映画であおいの満たされない、あるいは世を捨てたような虚無の気持ちが街角を歩く姿にあらわれている。 |
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| 「その日」昼過ぎ、あおいはローマ行きの列車に駆け込んだ。 3日後、あふれてとまらない想いが涙にしかならないあおいひとりを乗せたICがアーチ形の天井におおわれたプラットホームに滑り込む。ホームの雑踏の続くその先にあおいはこちらを見て笑う「現在」を見つけた。 |
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| ▼ Impressions |
| 小説が映画になった場合、両方に触れたあとではどちらか一方にもの足りなさ、ときには失望を感じることがある。けれど「冷静と情熱のあいだ」では小説と映画、それぞれに欠けた部分を補完しあっているとおもう。 |
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| ズバリ言って、小説は小説としての出来が、映画はその出来がよくない。ともにストーリーに起伏がなく、かといってあまりイメージをふくらませてはくれないように思う。「フィレンツェのドゥオモの頂上で再び出会う」というただひとつの目的に向けてたんたんと進んでいくだけである。 竹野内豊はこの映画が始めての出演なので、ケリー・チャンの映画を例にとると、完成度は別にして、「冷静と情熱のあいだ」は「世界の涯てに」ほどにはストーリーはしっかりしていないし、「アンナマデリーナ」ほど見るものにイメージを起こさせはしない。 | |
| けれど、小説からは「情熱」の部分を、映画からはビジュアルな部分を持ち寄り、見たものが自分らしい「冷静と情熱のあいだ」の世界をつくりあげることができるのでは、と感じる。 |
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セリフが少ない映画である。順正がもの静かな役柄だからか、あおい役が香港人のケリー・チャンだからかはわからない。少ない会話がとてもぎこちなく聞こえる。ならばいっそ、もっと極端にセリフを削って観客の想像力に訴えるように製作してもよかったのではと思う。 |
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| 「ハンニバル」ではヴェッキオ宮殿が舞台となっている。ヴェッキオ橋上の風景を含めてどうやって撮ったのかと思う、すごいカメラワークだった。 |